***
彼は決して目立つタイプではない。
それでも、気づけば姿を視線で追っていた。
初めてその姿を目にしたのは、入学式の前日。新入生代表で挨拶をするその打ち合わせの帰りだった。
ついでとばかりに散策をしていたら、いつの間にか校舎を大分離れた外れの方まで来ていた。そろそろ戻ろうかとした時、声が聞こえた。
何となしにふらふらと近づく。そこは敷地の端の塀のそばで。塀に寄りかかり二人の男が座り込んでいた。
一人は中学の頃から有名だった一学年上の先輩。常に一人でいて、不機嫌だったその人が楽しそうに笑っていて、ひどく驚いた。
そして、その時一緒に話していた相手こそが、彼だった。
彼は外部入学生だったから、本当にこの時初めて顔を目にして、さらにはあの先輩と親しげにどころかむしろ平気で叩いたりしていたので不思議な感じだった。
その先輩は周りから怖がられていた。オレ自身も怖い人なのだと思っていた。でも、楽しげに会話をしている姿は普通の高校生で。彼がそんな姿を引き出したのかと思うと、素直に感心した。
きっと怖がることなく、変な先入観とかもなく友人として接しているのだろう。すごいな。どんな人なのだろう。話して、みたいな。
寮の自室に戻っても、頭の中は彼の事で一杯だった。自分では、気づいていなかったけれど。
迎えた入学式。壇上から彼の姿を見つけて、あぁ同じ学年だったんだなとわかった。
座っているのは違うクラスの場所で、残念に思った。けれどすぐに生徒会の補佐に召されて、忙しくなった。先輩たちは人使いがとてつもなく荒かった。
三度、彼を目にしたのは新歓の準備が始まって慌ただしくなった頃。職員室に持って行く書類の山を抱えて廊下を歩いていて、空き教室の前を通りかかった。
もう放課後で、校内に残っている生徒は数少ない。人気のない廊下。今でも、何でその時その教室を覗いたのか理由はわからない。
ただ本当に、何となく通りかかった空き教室を覗いて、心臓が小さく跳ね上がった。
彼が窓辺から外を眺めていた。その横顔はとても穏やかで大人びていて幸せそうで。
目が、離せなくなった。
息を忘れてその姿を見つめる。クスリと、彼が小さく笑った瞬間我に返り、逃げるようにその場を走り去った。
心臓が痛いくらいに煩くて、呼吸が苦しくて、泣き出してしまいたい衝動に駈られた。自分に何が起きたのか理解できない。
な、んだ、これ。何が、起きた。何で。どうして。
その後、いつの間に生徒会室まで戻ったのか覚えていない。気がついたら、仕事を終えて自室にまで戻っていた。
空き教室の光景が目に焼き付いて離れない。あんな所で何をしていたのだろう、とか。何を見ていたのだろうとか。そんなことばかりが頭の中をめぐる。
彼のクラスはわかってるけど、名前も知らないのに。
……………………
あ、そうだ。
思い付いた翌日、オレは彼のクラスに来ていた。な、何もいきなり呼び出して名前を聞こうとかしたわけではない。そんな、面識もないのに呼び出すとか。
ただ、同じクラスに友人がいたのを思い出し、それとなく、さりげなく、その探ってみようかと。
「おぅ水瀬。何かあったか?」
「いや、少し気晴らしに」
「あー、生徒会大変そうだもんな。まぁオレら新入生のために頑張れや」
「……オレも新入生なんだがな」
「ははっ、今さらだろ」
友人と話ながらも、意識は教室の中に向かって仕方がなかった。き、気のせいでなければ、最初に中を見回した時一瞬彼と目が合った気がする。し、しかもその時少し笑った?
そわそわしていないか心配だ。平静を装わなくては。
「お、そうだ。例の話進めといて良いか?」
「ああ。頼む。魚住が隊長やってくれるなら安心だ」
「当たり前だろ」
「威張るな。……クラスの様子はどうだ?」
「あぁ、そこそこだな。外部生はまだ馴染めてないみたいだけど」
「へ、へぇ。こうして見ると結構わかんねぇけど」
さりげなく、さりげな〜く話を変えて教室内に視線を向ける。
「そうか?ほらあそこら辺のきょどってる奴らとか。何で水瀬が来て騒ぎになってるのかよくわかってねぇだろ」
「それはオレも理解したくないが。……あそこの彼は?見ない顔だけど落ち着いてる」
ってか、こっち見てる。な、何か微笑ましそうな顔された。う、な、いや、クラスの奴ほとんどこっち見てるからだろうけど。でも!
と、とりあえず落ち着け。自分。
「ん?……あぁ、北村か」
き、北村。
「そういやあいつも外部だったな。のわりにはすでに溶け込んでるけど」
もう馴染んでるのか。さすがだ。
「溶け込みすぎて、外部生の癖に目立たないんだよな」
少しだけ話をしてから戻った。放課後、生徒会室で見つからぬようこっそりと生徒名簿を開く。
クラスと名前と出席番号しか載っていないんだこれには。前にも一度見てみたけど、知らない名前も結構あって、見つけられなかった。
彼のクラス。北村は一人だけ。
北村壬允。
これが、彼の名前なのか。しっかりと目に焼き付けようと凝視していると、背後から声がかけられた。
「静葵?何やってんだ?」
「っ!?あ、あかり先輩っ!?」
し、心臓が止まるかと思った。
「な、何でもありません!」
「生徒名簿?何でんなもん見てんだよ」
書記のあかり先輩に見つかり、名簿を取り上げられる。慌てて取り返そうと立ち上がると、室内の注目を集めてしまった。
「その、し、新歓のメンバーどんな人かなと思いまして」
「まだメンバー決定してねぇんだからこれ見たって意味ねぇだろ」
「あ!やっぱり水瀬も気になる?オレも、オレも!」
はい!と金本が勢いよく手を挙げた。
「……二人とも同じチームになりたい奴とかいんの?」
「っ!?」
「なりたいってか、怖い先輩とかとは一緒になりたくないです!」
「へぇ〜…例えばオレとか?」
「そうそう。東山先輩とか」
あ、バカ。
思った時には遅く、すでにあかり先輩は満面の笑みを浮かべていた。気づいた金本はわずかに青ざめている。
「なぁーかのとー」
「な、何ですか?」
金本の肩を抱き寄せ、顔を覗き込むあかり先輩の表情はかなり悪どい。
「オレの学年に学校一怖い奴いんのよ。お前そいつと決定な」
「ひぃ〜!やめてーっ!」
「つーわけで、覩月さん!かのと、選りすぐりの怖い奴らと決定!」
「おぅ、まかせとけ」
「やめて!会長!お願いだからやめてー!」
「つーか、いっそもう一人の二年はあかりでいいんじゃないか?」
「いーやー!」
必死に暴れる金本をあかり先輩が背後から押さえつける。そしてそれを見て楽しそうに悪のりする谷原会長。
すまない、金本。オレにはとてもじゃないが助けられない。
「で?水瀬は?希望あんの?」
「…………交流が目的ですから、今まであまり関わったことのない人となれれば」
た、例えば外部生とか。
「この良い子ちゃんめ!そんな模範回答が聞きたいんじゃなーい」
いや、実はかなり下心があるのだが。言えばどうなるか目に見えてるから、曖昧に笑ってごまかす。
「水瀬は良い子だからなー。お願い叶えちゃうぞ」
「谷原会長……では、金本と同じチームで」
「水瀬っ!」
金本が希望に満ちた目で見つめてくる。それを打ち砕くのがこの先輩方だ。
「はい。それ却下」
「はい。それダメー」
間髪を入れずの息の合った回答。やっぱこうなったか。
「そんなっ!?何でっ!?」
「だってかのと喜んじゃうじゃん」
「ひどいっ!鬼っ、悪魔っ、この鬼畜っ!」
「ハッハッハ、誉めるな誉めるな」
「誉めてなーいー」
最終的には言ってたように怖い先輩だとかあかり先輩だとかと同じチームになることはなく、金本は喜んでいた。新歓の後、少しだけ様子がおかしくて気にはなったが。
そしてオレはと言えば。彼とは同じチームになれなかった。それはまぁ、仕方がないが、その後も何となくきっかけを作ることができず、ずっと姿だけを追っていた。
例えば放課後の教室。人気の途絶えた中庭。静かな図書室や、校舎外れの森の近くとか。彼は実に様々な場所にいて。
読書をしていたり、どこか遠くを眺めていたり、ただ静かに時を過ごしたりしていた。
どんな本を読んでいるのだろう。何を見ているのだろう。どんなことを考えているのだろう。
そんなことばかり思いながら、ただ時間だけが過ぎていった。
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