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 代わりとかそんなんではなく、本気になれれば良いと思っていた。

 良いなと思う相手はいつも別の奴に思いを寄せていた。誰か一人に傾倒する姿が眩しく、同時にだからこそ振り向いてもらえることはなかった。

 ならば最初から自分を見ている人が相手ならと。フリでも続けていればいつか本気になるのではないかと。けれどいつもうまくいかない。

 無理と見切りをつけ、別れを告げる。それの繰り返し。

 だが、今回は少しばかり勝手が違った。これ以上共にいても本気になることはない。そう見切りをつけたのは同じ。ただ、今までのように時を過ごしてみての結果ではない。

 他に、より気になる存在があった。そちらにばかり気をとられるようになり、そいつ以上に想うことなどないと気付かされた。

 知り合ったのはほぼ同じ頃。その間に自分の中で存在が大きくなっていったのは、付き合っていたセンパイではなく、もう一人の方だった。

 ゆっくりと瞼を開く。カチコチと時計の音だけが響く静かなリビング。ソファの背もたれに体重を預けたまま、ぼんやりと天井を眺めた。

 心を占める人物は入れ代わった。そうなれば良いと思っていた相手ではない。なおかつ、性別の違いがあるのでその意味合いも変わる。

 結局、自分には色恋よりも絵の方が性に合っているのだろう。付き合っていた相手や心惹かれていた相手よりも、絵のモデルの方に強く関心を抱くのだから。

 ガチャリと、玄関から音がした。帰ってきた。あの後二人でどこへ行ったのか。何をしていたのか。

 視線のみを動かす。ノブが回り、ゆっくりとドアが開かれる。入ってきた椿がこちらを見て一瞬、動きを止めた。

「え?…あれ?おかえり?」

 驚いて、頭がうまく回らないのだろう。おかえりと、迎える立場なのはこちらだというのに。

「えっと………夕飯食べる?すぐ用意できるけど」

 手袋とマフラーを外し、コートを脱いで近づいてくる。ソファの背もたれにコートを置く手は素手で。先程は手袋越しだったが、直接触れたこともあるんだろうと、水仕事で僅かに荒れた手を眺める。

「シキ?」
「ん?……ああ」
「じゃあ、ちょっと待って」
「………椿」

 何で、もう帰ってたのかは訊ねないんだな。そんなことが頭を過る。台所に向かう椿の後ろ姿に声をかけ、立ち上がった。

 見上げてくる表情には困惑や戸惑い、わずかばかりの気まずさも見える。今この瞬間、その瞳に映っているのは他の誰でもなく自分で。そんな些細なことになぜか気分が良くなる。

「別れた」

 まっすぐに見据えたまま、告げる。内容とは裏腹に心はひどく落ち着いていて。じっくりと、表情の変化を観察した。

「………え?」
「今日、別れてきた」

 意味をとりそこねたのだろう。しばらくはじっと見つめてくるだけ。やがて目を見開き、ついで浮かびかけた色はすぐに消えた。代わりに浮かんだのは泣きたいような耐えるような表情。

「え?なんっ………わざわざ、報告してくれなくても」

 確かに、必要はない。けれど伝えておきたいと思った。知っておいてほしいと。理由は特にない。だからただ肩を竦めて返事の代わりにした。

 椿が戸惑いがちに口を開く。

「………なんで?」

 何で別れたかなんて。そんなの。

「お前の絵を描いてる方が、いい」

 告げた言葉に椿は目を見開く。そして眉間に力がこもった。

「比べる…ようなことじゃ」
「だな」

 比べるようなことじゃない。女関係と絵。それは全くの別物。けれど比較してしまったのだから仕方がない。

「それでも、お前の方がいい」
「………っ」

 息を飲んだ椿は、何も言わずに俯いてしまった。何かを言いかけたようにも見えたが、何を言おうとしていたのか。

「………浴衣」
「ん?」
「明後日にはできるって。取りに行ってくるから」

 わずかに震える声を、ごまかすように一息に告げられた言葉。

 浴衣の丈が合わず、サキの姉に裾直しを頼んだ。戻ってくるまではどうしようもないので、まだ描き始めてはいない。

「もう一着あんだろ?」
「それは勘弁して」

 心底嫌だという声色に、クツリと笑いがこぼれる。ジトリと睨みつけてきた椿も、つられるようにして微苦笑を浮かべた。

 女物ならば丈を直す必要はない。だからすぐにでも着られるのだが。

「まぁ、いい。楽しみにしてる」

 告げれば今度は困惑を見せる。

 自分の一言一言に表情を変える。なぜかそれが心地よくて。もっと、別の顔も見れるだろうかと手をのばした。不思議そうに見上げてくる瞳を見つめながら、髪を一筋摘まむ。

 揺れる瞳。息を飲む喉。何か言いたげに開いた唇。目をそらさず、そっと毛先へと指を滑らす。

「楽しみに、してる」

 ゆっくりと。言い聞かせるように言葉を重ねた。

 泣き出しそうな表情になった椿が唇を開き、けれどすぐに堅く閉じる。視線から逃れるように、再度俯いてしまった。

「そんな……楽しみにされても…」
「良いだろ?別に」
「良いけど…別に」

 反復しただけのような返事に、クツクツと笑う。窺うように向けられた視線は、目が合うとすぐにそらされた。そしてチラチラと指先に向けられる。

「……シキ、手」
「ゴミ、付いてた」
「そう…ありがとう」
「いいや」

 適当な言い訳を告げ、それでも離さずにいると徐々に戸惑いの色が濃くなってくる。

「……シキ」
「ん?」
「その、いつまで…」
「嫌か?」
「嫌じゃない…けど、夕飯食べないの?」
「あぁ…食う」

 そう答えつつも離しがたく思った。何となしに髪を数度軽く引っ張ってみる。肩が震え、困惑の眼差しを向けられた。

 どうして良いのかわからず、それでも無理に外させようとしない姿がおかしくて。笑いだしたくなるほど気分が良かった。





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