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遠出




 □□□□□

「行くぞ」
「………え?」

 思わずシキの方を見ると、早くしろと視線が言っていた。

「え?今から?」

 シキはただ笑みを深めるだけ。

 戸惑って窓の外に視線をやる。外はすでに真っ暗。夕食も風呂も終え、あとはもう寝るだけというころ。

 寝る支度は済んでいる。けれど幸いと言うか、外に出ても支障のない部屋着。寒さ対策のため、カーディガンとコートをはおり、玄関に向かうシキを追う。

 外の風は冷たく、雲のない上空にはわずかな星が煌めいていた。隣を歩くシキは無言。

 それが昨夜の出来事。まだ外にいる。

 二十四時間営業のファミレスで夜を明かし、それでも帰る気配はない。何なのだろうと思っていたら、授業があるからしばらく好きにしてていいと言われた。ただ、家にだけは近づくなと。

「………何かあるの?」
「………………いや」

 言いたくないなら別にいいけど、でも本当になんなんだろう。

「授業って、何時まで?」
「昼には一旦空く」

 一旦。どうしようか。

「どうした?」
「………ちょっと、用があったんだけど…そっち行くと戻ってこれるのが三…二時ぐらいになるから……」
「今日、バイトないはずだろ?」
「バイトじゃなくて。その、友達?が受験生でその勉強見てるから」
「受験?」
「うん。高校受験。昼間時間あるから。ほら、前に電話してた子」
「間違い電話のか」
「うん」

 シキが少しだけ考える素振りを見せて、表情を緩めた。

「なら、行ってこいよ。午後も講義あるし。終わったら近くにサ店あるから、そこで待ってろ」

 ということになって、今その大学近くのサ店で待っている。時間を潰せるものなど何も持たずに来たので、置いてあった雑誌を適当に眺める。

 どこかの海の写真を目にしながら、全く別の事が頭をめぐる。

 生まれるという電話の後、ヤエから無事男の子が生まれたとの連絡があった。その時に、なぜか今日の予定を訊かれた。

 いつも通りだと答えれば、がっかりされた。家に近づくなというのと何か関係があったのだろうか。

 だとすれば、ヤエは理由を知っていることになる。それは何だかモヤッとする。

 シキに付き合っている人がいると告げた時もそうだった。別に隠していたわけではない。わざわざ伝える必要も、話す機会もなかっただけ。それだけのはずなのに。
 
 しまったと、そう思った。

 あまり言いたくないな、と。

 サエさんには普通に報告できたし、ヤエはその場にいたから多少の気まずさはあったけれどそれだけ。なのに。

 土曜に会ってるのだって、隠れてとかではなくて。向こうの都合とか色々加味した結果そうなっただけで。シキも、その日はいないし。夕食の準備には間に合うようにしてるし。

 何かこう、モヤッとする。

 言いたくないなと思いつつ、どんな反応をするか気になるなんて。

 シキは驚いただけだった。少し考える素振りは見せたけれど、それだけ。それだけなんだけど、何か、こう。

 想像できないみたいなことを言われた記憶があるから、もう少し訊かれるかと思った。この感覚は前にもある。

 会ったばかりの時も、何も訊かれなかった。それはとても助かったのだけれど。

 興味があるのは、オレだけなのかな。

 片想い。

 片想いか。

 友達になりたいわけではなく、今の距離感が心地よいのだけど、でも何かしっくりくる。まぁ、傍にいられればそれだけでいいのだけど。

 雑誌のページを捲り、頬杖をつく。ふと、指先がこめかみに触れ、一日だけかけていた眼鏡の感触を思い出した。

 のびてきた手は、避けようと思えば避けられた。けれど身体は動かなかった。触れると思った指先は、眼鏡にだったけれど、まっすぐに見つめられたまま動かされたそれに肌の上を滑るような錯覚を感じた。

 自然と、溜め息が零れる。

「椿」
「あ、シキ」
「行くぞ」
「え?」

 声をかけられ顔を上げると、シキがいた。すぐ出るという言葉に驚いていると、雑誌と伝票を持ってレジに向かってしまった。

 慌てて後を追う。

「シキ、お金」
「行きたいとこ、あるか?」
「え?」

 財布は持っている。だから払ってもらう理由などないと渡そうとしたら、問いを投げかけられた。

「どっか、あるか?」
「行きたいとこ?」
「ああ」
「……特にないけど」

 一瞬、浮かんだ場所は論外で。いきなり言われても他は何も出てこない。今のところ、シキがいるならどこでも良いのだけれど。

 シキが、ピタリと足を止めて振り返る。じっと見つめられて、何だろうと見返していると、やがてふっと笑みを浮かべた。

 本当に、何だろう。

 そのまま電車に乗って、行き先もわからないまま付いていくと、着いたのは海辺だった。

 夏とは違い、人気のない寂しい海を眺めながら道路を歩く。ザザッザザッと休むことなく寄せては返す波の音。潮風の匂い。

 適当な場所でシキが腰を下ろし、並んで座る。シキはカバンからスケッチブックを取り出し、写生を始めた。

 海の向こうはすでに暗くなっている。どうせなら夕日の沈む光景の方が絵になりそうだけど、どう見繕っても着く頃には沈みきっていただろう。

 ここからでももう、陽はほとんど見えないのだから。

 海の絵を、描きたかったのかな。さっき見ていた雑誌で色んな海の特集を組んでいたから、少しだけ変な感じがする。

 聞こえるのは海の音と絵を描く音。そして時おり背後を行く車の音や人の話し声。とても静かだ。

 横からシキの手元を眺める。

 徐々に辺りは暗くなってくる。ちょうど街灯の近くなので、灯りに困ることはない。色鉛筆で描かれているのは、目の前の暗い海。

 色を重ね、完成に近づいていくそれを黙って眺める。

 訳はわからないままだし、寒いし、眠くなってきたけれど、何だかとてもいいなと思った。

 このままこの時が続けば良いのに。そう思うくらいに、満たされた気持ちでいた。





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