おまけ・突撃!お宅訪問
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彼はその時、自宅のリビングで雑誌を捲っていた。
その時というのは彼の自宅のインターホンが景気良く鳴った時のことだ。もちろん、彼は無視をしたが。
普通ならば音が聞こえた瞬間、何らかの反応はあるはずである。けれど彼はきれいに無視した。指先一つ動かすことなく。見る者がいれば本当に聞こえていないのではないかと思わせるほどに。
しばらくの後、もう一度インターホンが鳴る。
彼は物憂げにページを捲るだけ。
実際、彼は気だるかった。退屈なのだ。暇だったのだ。だからといって、突然の来訪者を招き入れようとは欠片も思い至らないのだが。
やがて、ドアを乱暴に叩く音と共に、彼の名が大声で呼ばれた。それでも彼はピクリとも反応しない。
まるっと無視し続けた。
どれ程たった頃だろうか。音の主は諦めたのか再び静寂が訪れた。否、無音ではない。リビングには何やら、音楽が流れていた。弦楽器の音色に耳を澄ませながら、彼はふと視線を上げた。
それは先程までの煩い音が止んでいたから、ではなく。目の前のカップが空になっているのに気づいたからに他ならない。
億劫そうに立ち上がり、カップを手にとる。けれどリビングから庭へと通じるガラス戸が目に入った途端、彼は盛大に顔をしかめた。
ガラス戸の向こうには先程までの騒音の主が立っていた。ニコニコと笑顔で。鍵の部分を指差しながら。片手には大きな庭石を装備して。
開けなければ割る。
そう、態度で示していた。
奴は本気だと、彼は理解していた。
開けなければ本当に割ると。器物破損だとか住居不法侵入だとか、それ以前の社会的ルールやマナー、常識などお構い無く。しれっと割る。
人畜無害な見た目に騙されては泣きを見る。否、血を見るはめになる。彼はそれをよく知っていた。もっとも、他人のことを言える立場でもないのだが。
キッチンへと向けようとしていた足を、ガラス戸の方へと向ける。
目の前に立てば奴は開けてとのたまう。それに対する彼の返答は一言。
うせろ。
奴はわざとらしく耳を彼へと向ける。ご丁寧に手を添えて。そのジェスチャーを訳すとすると、
Pardon?
といったところか。対する彼の返答はもちろん、
とっととうせろ。
少し増えた。
彼は思う。自分が呼びつけたならば問題は何一つないのだ。勝手に押し掛けられるのが気にくわない。
うぜぇ。
その一言につきる。ニコニコと笑みを浮かべている目の前の奴。友人などでは決してあり得ない。鳥肌が立つ。
端から見れば悪友という言葉がしっくりくるのかもしれないが、どんな形にしろ目の前の奴との関係に友という字は使いたくない。絶対に。何がなんでも。
微妙にテンション高そうなところが、益々もってうざったい。警察でも呼びつけてやろうか、とも思ったが、彼としても厄介事は面倒なので考えるだけに留める。
奴はニコニコと笑みを浮かべたまま、手にした石で軽くガラス戸を叩いた。
コンッコンッ
そろそろ開けなくては割られる。彼は諦めて鍵を外した。
「聞いてよ!今日、シキのとこの学祭行ってきたんだけどさ……」
「喚くな。喋るな。息するな」
開けた途端前置きも挨拶もなく話し出した奴。彼は気の弱いものが見れば泣き出してしまうほどの凶悪な顔で対応した。
もちろん、そんなことでへこたれるような奴ではないのだが。
「息しなきゃ死ぬって。話しに来たんだからさ。喚くなんて人聞きの悪い」
彼が分かっていて言っていることなど理解していてそう告げる。手にしていた石をペシッと捨て、そして家主の了承を得ずに上がり込み、先程まで彼が座っていたソファの上にドサリと腰を下ろした。遠慮など微塵もなく。
彼はガラス戸を閉じると、一人掛けのソファに座った。飲み物をいれにいく気力は削がれた。ふんぞり返るように腕を組み、足も組む。
腰を落ち着けるのを待ち、奴は口を開いた。怒涛のごとく話し出した。
曰く。本日最愛の弟の学祭だったこと。けれど本人には会えなかったこと。代わりに、弟の友人と会い色々話したこと。出展されていた絵のこと。そしてその中の一枚が弟の同居人の絵だったこと。
「同居人って……あの気配に聡い奴か?」
「そう。その気配に聡い子」
あの、だとかそのだとかいうのは奴が前回彼の元に来た時の話に遡る。
前回の来訪は最愛の弟の家を訪ねた翌日の事。一ヶ月以上会えなかったから遊びに行っちゃったと何故かわざわざ報告に来た。
一ヶ月以上会わなくて、弟の方は平和だったんだろうなと彼は思った。学祭で会えなかったのも、弟にしてみれば幸いだったのだろうと。むしろ避けていたんじゃなかろうかと彼は考えた。(正解)
その時、ふと気がつけばリビングに一人きりだった奴は、声のする台所へと向かったのだという。ただ、二人が仲良く話していたので邪魔する気はなく、気配を消して様子を見ようとしたのだと。
けれど弟の同居人はどうやら気づいたらしく、視線を向けられ慌てて隠れたのだと奴は語った。
弟は全く気づいてくれなかったのにと。
弟。弟。弟。
彼の聞かされる話の八割は弟の話だった。因みに、残りの二割は叔父である喫茶店のマスターの話。
兄バカブラコン野郎とは彼がつけた呼び名。
何せ大学で史学を専行した理由の一つに、
史学の史は史規の史!
というどこまで本気かわかったもんじゃない事を述べていた。これについては七割方本気なのではと踏んでいる。
さらに、いつだったか彼が聞かされた将来の目標に、弟と暮らすというものがあった。だから、弟に同居人ができ、なおかつ上手くいっている様子を目の当たりにしてひどく羨ましがっていた。
それはもう、うざいという言葉では足りぬほど。
その目標を弟本人に言ったら、本気で嫌がられたらしいので望みは全くないのだが。
因みに、そのやり取りを聞いた長兄が
オレも二人と暮らしたいな(ハァト)
と言ったので、奴は力の限り拒否したという。弟は冷たい目で見ただけとか。次兄に対するほどの拒絶はなかったらしい。
ざまぁ。というのが彼の感想。
とにかく、弟の事で何かある度に押し掛けられるので彼は辟易していた。他に話す相手がいないのかと問えば、友達には話せないという。
一応、引かれる自覚はあるらしい。
当たり前だ。
一時などは弟の友人関係にまで口、否、手を出していたのだから。弟をからかったり意地悪したりする輩を見つけては血に…いや地に…いや、何も言うまい。
とりあえず、弟の友人が少ない理由の一つがこの兄にあることを彼は知っていた。特に同情したりしないが。
過保護を軽く超越し、嫉妬深いどころかストーカーの嫌いがあるそれが、今回の同居人にまぁ友好的なのには理由がある。
昼食を用意してくれたから。
餌付けされたわけではない。
弟と食事できたから満足なのだ。その場のセッティング、弟の説得をしてくれたから好意的なのだ。
そしてもう一つ。
「あれきり会えなくて、まだお願いできてないんだよな」
もちろん、そのお願いというのも弟がらみ。
来月の弟の誕生日にサプライズをしたいらしく、その手引きを頼もうとしていた。タイミングを逃してそれきり。会う機会がなく頼めていないそうだが。
こんな奴に祝われるなんて最低以外のなにものでもない、と彼は思っていた。
けれどこの試みは毎年の事。
奴に諦めという言葉などないのだから、弟が観念すればいいのに。そうすればこの鬱陶しいのはここに来なくなるのに。彼は何度かそう考えていた。
弟を人身御供に。
否、むしろ彼自身が人身御供なのか。
奴は弟に構ってもらえないからと、彼の元に来るのだから。やはり、弟が諦めれば平穏が訪れる。彼にとっての話だが。
滔々と流れる雑音を聞き流し、彼は背もたれに頭を預けた。今年の計画など彼には関係ないし、関心もない。話を聞く気など微塵もないのだ。
彼は瞼を閉じ、深く呼吸する。
部屋に流れていた音楽は、いつの間にか止まっていた。
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