夜
□□□□□
チッチッチッ………
誰もいない部屋に、時計の音だけが静かに響く。
今日、シキは帰ってこない。
明日の夕方まで。
ソファの上に丸まって、息を吐く。何もする気が起きない。この家に一人でいることなんて、今に始まったことじゃないのに。
電気をつける気力もなくて、部屋は少しずつ薄暗くなってきている。食事も、朝からとっていない。
何もする気がない。しなければならないことも今のところない。
早く明日の夕方になるように、もう寝てしまおうかと思ったのに、それもできない。いつもは、気が付いたら眠ってしまっているのに。睡魔は全く訪れない。
何なんだろう。
一人が寂しいわけでも怖いわけでも、不安なわけでもない。ただ気になって仕方がない。帰ってこないということが。
今までだって、帰りが遅いことは何度もあった。何も変わらないのに。いつもより遅いというだけで。なのに。
寝つけない。
ノロノロと起き上がり、テーブルの上に広げたままの勉強道具をしまう。代わりに、携帯を取り出した。
しばらく迷ってから、ある番号を呼び出す。数コール後に相手が出て、明るい声が聞こえた。
―――おー、イチ。どーした?
「サエさん、今日そっちに行ってる?」
―――ちょい待って。………おーい!サエ!イチから電話!…ったく
―――イチー?何?
―――知らね。つーかお前自分のケータイちゃんと出ろよ。んでオレが仲介しなきゃなんねぇんだよ
―――そんなことより、早く貸してよ
電話の向こうの情景が浮かび、小さく苦笑が漏れた。
―――イチー?どした?
「今からそっち行って良い?」
訊ねる言葉は簡潔に。返ってくる答えも短いもの。
―――おいで
その声にホッと息をつき、財布と携帯だけを手にして外へ出た。途中までサエさんが迎えに来てくれて、一緒に目的地まで向かう。歩いている間に、会話はなかった。
到着して、腰かけ一息ついたところで目の前に座ったサエさんがようやく口を開いた。にっこりと笑顔で。
「で?」
「ん?」
「何かされたの?」
「………ん?」
何か?
質問の意図がいまいちわからなくて首をかしげる。
「頼ってきたんだから、理由ぐらい説明しなよ」
「あぁ……」
そういうことかと納得する。けれど理由。特にこれといってないのだけれど。
「シキは?」
「学祭の打ち上げ行ってる」
「まだ帰ってないの?」
「うん。明日まで帰らないって」
何故かサエさんがふっと男前な笑みを浮かべた。
「それで寂しくなった?」
「違うよ」
ゆっくりと頭を振れば、サエさんは首を傾けた。
「違うの?」
「うん。ただ……何となく落ち着かなくて。こっちくれば気が紛れるかなって」
「ふぅん?」
首をかしげニヤニヤと笑うサエさん。その眼差しはどこか探るようなもので、何を考えているんだろうとぼんやりと思った。
「……まぁ、いいさ。ゆっくりしてきなよ」
「ありがとう」
「ポーカーやってたんだけど混ざる?」
「ううん。見てる」
「そ」
サエさん達がトランプで遊んでいるのをぼんやりと眺めていた。途中で何度か声をかけられ、結局一度だけ混ざった。
時間の経過と共に人は減っていく。帰ったり、眠ってしまったりと。
サエさんは最後まで一緒にいてくれたけど、今はもう隣で眠りについている。
毛布にくるまったまま窓辺へと移動して腰を下ろす。ガラス越しに静かな夜の景色を眺める。辺りの静寂さとは裏腹に、心の内はざわついていた。
気は確かに紛れた。はずだった。
楽しそうに騒いでいる人たちを眺めて、それでも誰もいない部屋の事が脳裏を過る。静けさが訪れたら余計に。
今、あの部屋には誰もいない。
だからなんだというのだろう。
きっと、今ごろシキは友達とまだ飲んでいる。どんな人たちとどんな話をしているのだろうなんて、関係などないのに。
やっぱり、大学でもあまり話す方ではないのだろうか。聞いているのかいないのかわからないような顔して聞き流し、時おり口を挟んで。眉をしかめたり、笑みを浮かべたり。
そんな表情を思い浮かべていたら、自然と頬が緩んでいた。先程までざわついていた心内が、不思議と落ち着いている。
帰りたいな、と思った。
帰っても誰もいないのだけれども。胸が少しだけ締め付けられたような気がして、ガラス窓にコツンと頭を当てる。
静かな、夜。
ここには時計の音も響いていない。それなのに。
眠れない夜には慣れたはずだった。瞼を閉じて、無心にただ朝を待つだけ。
けれど、眠れないこの感覚はひどく久しぶりで。最近は、ずっと眠れていた。シキの所にいるようになってからは。
どうして今日はいつものようにいかないのだろう。何があったというわけでもないのに。
昨日の、あの絵にあてられたままなのだろうか。回っている間に持ち直したと思ったのだけれど。現に昨夜は普通に眠れていたのに。
考えても仕方がない。
今ごろシキは楽しんでいる。知らない人たちと一緒に。どんな話をしているのか。どんな顔をしているのかなんて、関係などないのだけれど。
あぁ、そうか。きっと今まで友達と遊びに行くなんて聞いたことなかったから。だから不思議な感じがして仕方がないのかもしれない。
恋人がいると聞いた時と同じように。
どうしてここまで気になるのかはわからないけれど。
帰ろう。
夜が明けたらあの部屋に。本当に帰りたいと思う所には帰れないけれど。せめて、その代わりのように。
誰もいない部屋。けれど帰る人のいる部屋。
やっぱり、ここでは眠れないから。
いつも聞こえている時計の音が、しないから。
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