家の話
「あの後帰ってみたらさ、何か、面白いことになってたよ」
「そう」
「言わないでおいたけど、いつまでシキの所にいるつもり?」
「んー、特に考えてないんだよね。でも、もう少しいたい」
もう少しだけ。そう思って大分たつ。けど、出ていけとは言われないし、鍵もくれたしでもう少しが、もっといたいになってきている。
場所はシャーウッド。カウンターにサエさんと並んで座っている。時間帯としてはまだ学校は終わっていない。
「心配されないよう時々メールしてるんだけどね」
ふぅと息を溢せば、サエさんは軽く笑う。
「だってあんた、前科あるんでしょ?諦めなって」
「う〜ん…」
確かに、それはそうなんだけど。
「……それでも、過剰なんじゃと思うんだよね」
「アハハ。確かに。逆にあたしは一切心配されてないけどね」
「足して割れればいいのに…」
クスクスと笑うサエさんを横目で見て、コーヒーを一口飲む。
心配されることを迷惑に思っているわけじゃない。ありがたいと思ってる。
けど、心配かけてしまうことが申し訳なく、またそれを息苦しく感じてしまうから嫌気がするのだ。
「けど、ここ一度来てみたかったんだよね」
「え?何で?」
「悟から聞いてて。シキの叔父さんがやってるって」
「え?そうなの?マスター」
「え?…あぁ、うん。シキ君から聞いてなかった?」
目を瞬いたマスターにコクリと頷く。全然気がつかなかった。
「マスター思ってたよりずっと若くて驚いた。本当にシキの叔父さん?従兄弟とかじゃなくて」
「兄とは年が離れてたから…それより、二人とも学校は?」
「あ、大丈夫。オレもう留年決まってるから」
「え?」
「あたしんとこは創立記念日」
「………」
マスターが物凄く困った顔をした。サエさんはともかく、オレは事実を言っている。まぁ確認はしていないけど。
「……とりあえず、家にはきちんと帰るんだよ?」
それだけ言って、別の客のところに向うマスターに、曖昧な反応をすることしかできなかった。
「……帰れって言ったってさ」
サエさんがポツリと呟く。
「あたしもイチも…」
頬杖をつき、視線はグラスに定めたまま。ストローで中身をつつく。カランと、氷が音をたてる。
「かえるトコロなんてないのにね」
言葉が、静かに響いた。
サエさんは無言でグラスの中をつつき続ける。何も言えなくて、何も考えたくなくて、手元のカップに視線を落とした。
店内に流れるBGM。他の客の話し声。コーヒーを淹れる音。カチコチと時計の針が時を刻む。
ゆったりした空間の中、ここだけ時間が止まってしまったかのように感じた。
「で?」
「ん?」
「何でシキのとこいるの?」
頭をカウンターについた手の上に乗せたまま、ニッコリとサエさんが笑っている。
「……何となく?流れで」
「………」
「……助けてもらったお礼にご飯作ってるし…絵のモデルしてるし…」
「………」
無言の圧力を感じる。
「それに…何か、居心地よくて…」
「へぇ」
「出てけって言われてないから、まだいて良いんだって安心できる」
「何で?あっちだって出てけって言わないないじゃん」
答えのわかっている質問を意地悪くしてくる。
「言わないって、知ってるから」
「そうだね。絶対に言わないね」
何があっても絶対に言わない。だから本当は負担になってるんじゃないか、迷惑なんじゃないかと心苦しくなるときがある。
「シキは…言えるのに言わないから」
「そっか」
サエさんが腕を伸ばし、大きくのびをする。
「で?後は?」
後は…でもこれは…。どうしようかと思いサエさんを見る。静かに先を待っている。
「……夢を、見たんだ」
「夢?」
「シキのとこで、サエさんに会う前の」
「あぁ…それは、辛いね」
しみじみと言葉が呟かれる。
「うん。でも、懐かしかったんだ」
サエさんが不思議そうに見つめてくる。その表情に苦笑した。
「懐かしかったんだ」
「そう。なら良かったね」
「うん」
「………」
「………」
「あれ?おしまい?」
「ん?うん」
首をかしげたサエさんにつられ、同じ方向に首をかしげる。思い付く限りの理由は全て伝えたのだけど、納得できてない様子だ。
「………本当に?」
「うん」
何を言わせたかったのだろうか?
「…んー?まぁいっか」「………?」
「今度様子見に行くね。シキの嫌がる顔も見てみたいし」
「……嫌がる?何を?」
質問に答えず、用があるからとサエさんは店を出ていってしまった。最後の方はよくわからなかったけど、気にしてくれたのだろう。
コーヒーを一口飲む。
しばらくのんびりしてると、カランと音をたてて店のドアが開いた。入ってきたのは一人の男。店内を軽く見回してから、カウンターにつく。
「マスター、久しぶり」
「いらっしゃい」
常連さんか。
手元のカップに目をやる。残り少なくなったコーヒー。飲み終わったら帰ろう。ぼんやりと考えていたら、視線を感じた。
やたら強い視線を。
居心地悪く思い、視線の元を辿ってみると、先程の人がこちらを見ていた。凝視していると言った方が正しいかもしれない。
目があうと、ニッコリ爽やかな笑みを浮かべた。何となしに会釈し返すと、嬉しそうにされた。
そして、あろうことか隣の席に移動してくる。
「………え?」
「こんにちは」
ニコニコと挨拶されたけど訳がわからない。
「間違ってたらごめん。もしかして‘椿’?」
無言で頷くとますます嬉しそうに破顔した。
椿と名乗った相手は限られているので、その中の誰かから聞いたのだろうか。
「やっぱり。オレは八重垣榊。ヤエでいいよ」
「…ヤエはどうしてオレのことを?」
「うん。悟から聞いてたんだ。そこでサキに会って、今まで‘椿’といたって言うから覗きに来た」
サエさんや悟さんの知り合いなのか。
「シキの所に住み着いてるんだって?」
………シキとも知り合いなのかな?
「うん」
「シキの弟なんだってね」
「……それも聞いたんだ…」
「うん」
軽い気持ちで言った冗談を他の人の口から聞くのは、少しいたたまれない。
「オレ一人っ子だから兄弟って少し憧れてたんだよねー」
「そうなんだ」
「うん。椿は?兄弟いる?」
「姉が一人」
「へぇ…もしかしてサキ」
「違うよ。確かに似たようなものだけど」
言ってから、ふと首をかしげる。
「似たようなって言えば、兄みたいな人たちもいる」
「いいなぁ。妹か弟が欲しかったんだよね。うんと甘やかしてあげたくて。お姉さんやお兄さんみたいな人たち、優しい?」
「優しいって言うか過保護?」
「そっかぁ」
実際の兄弟ならケンカも多いのだろうけど。それがないことを思うと多少のぎこちなさを感じる。他人事のようにそんなことを考えた。
「オレにとっては悟が兄的存在になるのかなぁ…」
「悟さん?」
「うん。全然甘やかしてくれないけど。トメは父親…んー、やっぱおじいちゃんかな?」
トメとも知り合いなんだ。
「……何か、仲いいんだね」
「うん。いいよー。みんな友達」
「ふぅん?」
「椿もね」
「ん?」
ヤエがニッコリと笑う。
何を言われたのか、一瞬わからなかった。
「椿も友達、ね?」
「………え?」
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