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我が家の幽霊




 横目でシキの様子を窺ってから、シャツのボタンに手を伸ばす。パチリパチリと外していき、素肌をさらす。そして鶯色の着物に袖を通した。

 濃紺の帯を締め、裾を整え一息。

「……着たよ」

 近づいてきたシキが、襟元を僅かに調整し満足げな表情をした。そして、仕上げとばかりに肩にもう一枚着物を被せられる。

 深紅の女物の着物。

 落ちないよう、襟を手で押さえ、元の位置に戻るシキを目で追う。

「で?どうすればいい?」
「好きにしろ」

 好きにって…。

 少し考え、その場に足を崩して座った。横のソファの上に片腕を伸ばし、枕にする。シキの方へは横、というかほとんど背を向けた形になってしまったけど、何も言われなかった。

 このま昼寝をする心づもりだ。

 横目でシキを見ればスケッチブックに鉛筆を走らせ始めている。

 静寂の中の鉛筆の音に耳を澄ませている内に、瞼が段々と重くなってきた。

 少し休むつもりだった。それなのに目を覚ました時には、辺りは夕闇に包まれ始めていた。身を起こすと、肩に掛けていた紅い着物がずり落ちる。

 シキはすでにいなかった。

 夕飯を作らないと。その前に着替えて。そんなことを思うのだけれど、寝起きの頭はうまく動かなくて。ただ、落ちた着物を眺めていた。

 カチャリ。

 音のした方を見る。ドアを開けたシキが、そのままの体勢で止まっている。言葉はない。ただ静かに見つめ合う。

 薄暗くなってきた室内に、時計の微かな音だけが響く。

 そういえば、初めてここで目を覚ました時もこうやって見つめ合った記憶がある。

 何だか懐かしくなって、知らない内に笑みを浮かべていた。







 鍵をもらったせいか、外に出掛けてみたくなった。散歩ついでにバイト先を覗きに行くことに。何気に、自宅よりもここからの方が近い。

 木造の古い建物。裏口に回り、鍵を開け中に入る。ずっと閉め切っていたせいで少し埃っぽい。

 窓を開け、換気する。事務所と無駄に広い店頭を簡単に掃除して少し休む。冷蔵庫の中の賞味期限切れの物は持ち帰ることにして、放置されていたカレンダーは捲っておいた。

 帰りに、何となくシャーウッドに寄ったら六郷さんはいなくて、代わりに知らないウェイターがいた。

 マンションに着いて、部屋に入ろうとして首をかしげる。ドアの前に知らない子がいる。

 しばらくドアを睨み付けて、インターホンに手を伸ばしかけて止めて、頭をかきむしって悶え始めた。

 見ててなんか面白い。

「……シキに何か用?」

 ずっと見ているわけにもいかないので声をかけた。子供がギョッと振り返る。

 小学生ぐらいだろうか。まだ幼さが残っている。

「……シ…シキの知り合いか?」
「うん。何か用?」
「………」

 訊ねるも警戒心顕にじっと見つめてくるだけで何も答えない。しばらく待ってみたけど何も答えない。もういいやと思って鍵を開けようとしたら横から驚きの声が上がった。

「えっ!?」
「ん?」
「か…鍵もってんのか!?」
「あぁ…うん。今やっかいになってて」

 驚くのはまぁわかるけど、呆然と凝視されると居心地悪い。どうしたものか。

「…シキに用があるんだよね?」

 コクコクと子供が頷く。

「中で待つ?」

 夕飯いらないとは言ってなかったから、遅くならないはず。子供は大きく目を見開くと、一つ頷いた。

「お…お邪魔します…」

 やけにおどおどと上がった子供は、ソファに座ると不安そうに辺りを見回した。飲み物を出すと、物言いたげにじっと見つめてくる。

 そういえばまだ自己紹介をしていない。

「オレは椿」
「お…オレは九頭竜月都」

 両手でコップを持って飲みながら、チラチラとこちらの様子を窺っている。何だか珍獣でも見てるかのような目だ。

「何?」
「っ!?」

 いちいち反応が大きくて面白い。

「あ…う…ほ、本当にシキと暮らしてんのか?」
「いついてるだけだよ」
「……な、仲いいんだな…」

 仲がいい?しみじみと言われた言葉に首をかしげる。

 別に親しい間柄なわけではない。

「違うよ」
「え?でも…」
「オレ、シキの弟」
「………は?」
「だからここにいる」
「う……嘘だっ!」
「何が?」
「弟なんて…聞いたこともないっ!」
「でもここにいるし」
「〜〜〜っ!でもっ!」

 分かりやすいぐらい激昂して、両手をバシンとテーブルにつく。からかわれていると思って怒っているのだろう。

 事実、からかっている。

「オレはっ」
「うん」
「ガキん時からずっとシキを知ってんだ!」
「……今もまだ子供だよね?」
「もう中学生だっ!」

 まだ、中学生。

「そっ、そう言うお前はいくつなんだよっ!?」
「高校生だよ」
「高校生だって子供だろっ。まだ未成年じゃないか!」
「うん。そうだね。まだまだ子供だね。精進しないと」
「認めんなっ!」
「認めるよ。事実だし」

 何か、楽しい。

「って違うっ!そうじゃない!」

 うん。話が大分ずれてきている。バシバシテーブルを叩き、月都が喰いかかってくる。

「オレはシキの親戚なんだっ!だからっ!」
「じゃあ、オレとも親戚だね」
「違うだろっ!?オレはお前なんか見たことない!」
「うん。はじめまして」
「っ!?だからっ!〜〜〜っ!」

 声にならない呻き声をあげ、月都は頭をかきむしり始めた。

「何なんだよっ!お前っ!」
「だから椿」
「そうじゃなくて…そうじゃなくて―――っ!!」

 流石に、これ以上はかわいそうかなと思った時、時計が目にはいった。もうこんな時間か。

「っておいっ!どこ行くんだ?話はまだ終わってないぞっ!」
「夕飯作らないとだから」
「なっ!?」
「納得できないなら、シキに聞いてみれば?」

 何て答えるのか、少し楽しみ。

 なおも言い足りなさそうな月都をリビングに残し、キッチンに移動する。

 しばらくするとシキっと呼ぶ月都の声が聞こえた。シキが帰ってきたのだろう。声が大きいのでこちらにまで所々聞こえる。反対にシキの声は全く聞こえなかった。

 いつもなら、帰ってきたからといって出迎えたりはしない。けど、今日は一息ついたところでリビングに戻った。

「シキ、おかえり」

 シキに詰め寄っていた月都の身体が、ビクリと強張った。

 ん?

 ゆっくりと振り返り、こちらを見る。その目は何故か恐怖に満ちていた。首をかしげて様子を見るけれど、口をパクパクするだけで音にならない。

「……何?」
「―――っ!?」
「ククッ」

 シキの笑い声に月都がハッと見上げる。

「シキっ!?騙したのかっ!?」

 何も答えずにシキが月都の頭をポンポン撫でると、悔しそうに顔を真っ赤にした。

「で?お前なんでここにいんだ?」
「シキが時間過ぎても来ないからだろっ!」
「あ?」
「今日、勉強の日だぞ!」
「いや、今日は飯喰いに行くんだろ?」
「………へ?」
「つーか時間平気なのか?」

 その言葉に月都は固まり、段々と血の気が引いていった。

「……あ…忘れてた…やばいっ!」

 脱兎のごとく駆け去る月都を見送り、首をかしげる。

「……何だったの?」

 シキは肩をすくめるだけで何も答えない。

「てか、月都に何言ったの?」
「あぁ…お前が幽霊って」
「………え?それ信じたの?」
「ククッ」

 呆れてため息がこぼれた。

「……勝手に人、殺さないでよ」





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あきゅろす。
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