無二の人
連れてこられたのは、シキの所の近くに位置するマンションだった。シキは我が物顔でエレベーターに乗り込む。
廊下を進み、一室の前で立ち止まった。表札には二階堂と書かれている。
「………」
確かに、この人の書いた本で知ったのだから、この人の所にあっておかしくはないけど。てか、こんな近くに住んでたのか。
シキはインターホンを押しもせずにドアを開いた。鍵はかけられてなかったようだ。そして、さも自宅であるかのように上がり込む。
いいのだろうか。声もかけずに。とりあえず立ちすくんでいても仕方ないので、シキに倣って靴を脱ぐ。
「おい、玄関開いてたぞ」
「あー…サキちゃん?」
「あぁ、ごめんごめん。鍵閉める習慣なくてさ。気を付けるよ」
廊下の先の扉を開けたシキが、挨拶もなしに中に話しかける。あまり、気にする必要はなかったようだ。けどそれ以上に気になることがあった。
「…お邪魔します」
「………そいつ、連れてきたのか?」
「あぁ」
「え?あ、もしかしてこないだ言ってた椿?」
シキの後ろから室内を覗き込む。顔をしかめている悟さんではなくて、もう一人。聞き覚えのある声があった。ソファの上に寝そべっていた人物と目が会う。
「あ」
「え?」
身を起こしたその人物は、スラッとした身体に当然のように男物のシャツとジーンズを着こなしている。短い髪は一切染めずに真っ黒なまま。起き上がった時に、腰につけたチェーンがジャラリと鳴る。
街を歩けば女の子が振り返りそうな風貌だけれど。その正体を実は知っている。
「椿……?」
「シキの弟の四季崎椿です。初めまして」
「………」
相手が何か言う前に少し早口で自己紹介をする。強引なのはわかっているけれども仕方がない。しばらくじっとこちらを見た後、彼女は全てを理解したような顔で笑みを浮かべた。
「初めまして。三枝沙紀です」
よろしくと差し出された手に応じるため、とてとてと急いで近づく。ガシッと握りしめ、交わした視線は、共犯者のそれだった。
手を引かれ、促されるがまま隣に座ると、シキと悟さんが何とも微妙な顔をしていた。当たり前か。今の挨拶は白々しいにもほどがある。
「知り合いなのか?」
「違うって。今挨拶したじゃん。椿とは初対面。ね」
「うん」
椿としては、初対面。
手を繋いだまま座ったので、握りあった手がオレの膝の上にある。それを悟さんが睨んでいる。どうしたものか。
「で?何しに来たの?わざわざ挨拶しに?」
「えーと…本を見に?」
「ん。悟。書斎借りるよ」
「え?…あ、あぁ」
ぐいっと引っ張られ、今度は立ち上がらされる。そのまま手を引かれ、部屋を後にする。何となく、気まずくてシキの方は見れなかった。
書斎のドアを閉め、二人きりになってから向き合う。
「久しぶり。イチ」
「久しぶり。サエさん」
「椿ってあんたの事だったんだ」
「うん」
「本当に好きだね、つばきのこと」
「だって憧れだから」
「今、シキの所にいるんだ?」
「うん」
「もしかして、家に帰ってない?」
「ん?サエさんも?」
同意するサエさんと、笑みを交わした。
「皆には黙っててね。オレの居場所」
「オッケー」
「サエさんの言ってたサトルって悟さんのこと?」
「ん?言ったじゃん。悟と付き合ってるって」
「同一人物だと思わなかった」
世の中がそこまで狭いと思っていなかったし、何よりサエさんは自分の恋人の事をおもしろ系のニートだと言っていた。
「悟はおもしろいよ」
まぁ、見方は人それぞれだけど。
「それに本、出してても売れなきゃ仕事ないのと同じだよ」
それは、本人の前では言わない方がいいと思う。
一見、どう見ても男なサエさんだけど、戸籍上の性別は女で、制服は女物を着用している。高校は共学なのにも関わらず、バレンタインにはチョコを渡される。その中には本命チョコも紛れていた。
オレより高い背に、短い髪。うん。男らしい。
「サエさんは……っ!?」
「だからっそういう問題ではないだろっ!」
「うわ…」
怒声と共に勢いよくドアが開いた。目の前にいたため、思いきりぶつかる。倒れかかったところをサエさんに抱き止められたから、事なきを得たけれど。
「大丈夫?イチ?」
「……脇腹が…」
ドアノブが当たったため、すごく痛い。サエさんが抱き締めたまま脇を擦ってくれた。
「悟!危ない!」
「あぁ…悪い」
謝りながらもこちらの様子を目にして眉をひそめたのが見えた。部屋に入ってきた二人は何故かケンカをしていたようだった。不機嫌そうなシキが、こちらを見もせず本棚に向かう。
「椿、帰るぞ」
「え?」
「シキ!話はまだ終わっていない!」
「話すことなんかねぇよ」
本を数冊、ろくに見もせず手に取ったシキは、オレの腕をつかむと部屋を後にした。引きずられるようにしてリビングに戻り、置きっぱなしにしてた荷物を持つ。
「えっと、じゃあお邪魔しました」
「またね。‘椿’」
「ん」
悟さんはひどく忌々しげな顔をしていたので、あえて何も言わずにシキの後を追った。
外に出るとすでに日が暮れ始めていた。並んで歩いていても会話はない。それ事態はいい。けど、隣にいる人の機嫌が悪いのは居心地悪い。
「……シキ」
「あ?」
「夕飯、何がいい?」
「………」
普段は気にならない沈黙なのに間がもたなくて当たり障りない会話を仕掛ける。
「……油揚げ」
「ん」
「……の味噌汁」
「………ん?」
味噌汁?できればメインで答えて欲しかったのだけれど。まぁ、いっか。何を作ろうか思考を巡らしていると、今度はシキの方から声をかけてきた。一つ息を吐いて。
「お前、サキと仲良いんだな」
「うん」
「あいつと付き合ってたのか?」
「え?まさか」
「あ?違うのか?」
「ありえないよ」
確かに、仲はすごく良い。誰よりも互いを理解しているつもりでもある。けれど恋人関係であったことは一度もないし、これから先もない。
「友達か?」
「違う」
てか前に友達いないって言ったし。横を見るとシキが盛大に眉をしかめていた。サエさんとの関係を説明しろと言われても難しい。
友人関係でも恋人関係でもない。それでも、付き合いは長く、そして深い。
「……親分子分の関係」
「は?」
「サエさんガキ大将で、オレは子分だった」
この説明が一番しっくりくる。昔の関係のまま大きくなった。納得してくれるかどうかわからなかったけど、シキは納得してくれたみたい。良かった。
サエさんと一緒に暮らしてるなんて言ったら、身元がバレるし。
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