夜半
シキがするように、先に月都を寝かせて電気を消す。それから月都に背を向ける形でベッドに入る。身体が強張りそうになったのは、どうにか無視できた。
いつもオレが寝る場所に月都がいる。いつもシキが寝てる場所に、オレがいる。壁でもシキの背でもなく、見えるのは暗い室内。なんだか落ち着かない。これが、シキの寝る前に見ている風景なのかと、詮なきことを思った。
「……じゃあ、おやすみ」
「お、おやすみ」
顔の前に持ってきた手の、手首を握りしめる。瞼を閉じた。
ゆっくりと数えながら息を吐き、一拍おいて同じように息を吸う。眠っている時の呼吸と、同じリズムになるように。大丈夫と言い聞かせながら。
「……椿?」
「……んー?」
呼吸のリズムが乱れないように、ゆったりと返事をする。月都の声に緊張が滲んでいる。背後で、動く気配がした。
「……その、ごめん」
「……それはシキに言って」
背後で言葉につまる気配がした。まったくと、ため息を吐く。
「明日になったら、ちゃんと仲直りするんだよ」
「……でも」
「時間たったら気まずくなるよ」
桜子ちゃんが悪いわけでないと言っていた。だから納得できないだけで相手が間違ってるわけでないとわかってはいるのだろう。今はただ、変に意地を張ってしまっているだけ。
呼吸を、ゆっくりしたものに戻していく。
「帰り、づらく、なる、のは、イヤ、でしょ?」
「そりゃ……てか、眠いのか?」
「ん?……んー?うん」
眠いわけではない。むしろ眠気は一切ない。眠くなるようにしているだけで。けどまぁ、勘違いしてるならそれでいい。お喋りしていたら、眠気が遠退く。
「そうか……おやすみ」
「うん。おやすみ」
もぞもぞと動く気配がして、しばらくしたら寝息が聞こえてきた。もう寝てしまったのか。うらやましい。
ゆっくり息を吐き、ゆっくり息を吸う。身体がベッドに沈んでいくようイメージして。余計なことはなにも考えないようにして。ただ、ひたすら睡魔を待つ。
けれど、いつまでたっても眠気はやってこない。むしろ、どんどん目が冴えてくる。
背後の気配が気になって仕方ない。シキとの時とは違う緊張感。動く気配がする度、寝息が聞こえるだけで息が止まりそうになる。時間の経過がひどく遅く感じる。
どうしよう。とてもじゃないけど眠れる気がしない。
のろのろと起き上がり、ベッドの縁に腰かけ深く息を吐く。時間を確認すれば、思った通り針はあまり動いていなかった。
手首をさすり、首筋に触れる。それでも不安にさいなまれる。膝の上に肘をつき、両手で顔をおおう。
シキとなら一緒に寝られてたから、大丈夫になったかと思ったけれど。やっぱり無理だ。呼吸が短くなりかける。もう、寝るのは諦めてしまおうか。横になることもできやしないから。
一人になりたい。外の空気を吸いたい。せめて、何か飲み物を。
震えそうになる身体を叱咤して、寝室を後にした。
台所でコップに注いだ水を飲む。少しだけ、楽になった気がする。けれど寝室に戻る気にはなれない。
……ダイニング。
ダイニングで一晩過ごそうか。イスに座ったままでも、うとうとできれば上々だ。明け方近くにベッドに戻ればバレないだろうし。
でも、その前に一度外の風にあたりたい。ベランダに行こうと足を動かし、リビングで止まった。
さっき通ったときは気にしなかったけれど、シキがソファで寝ている。何となく、引き付けられるようにその傍らで腰を下ろす。
シキの寝姿。
勝手に眺めるのはどうかと思ったけど、シキだってオレがソファで寝てたときよく眺めてたのだから問題ないはずだ。眺めてってか、スケッチだけど。
暗がりの中、上下する胸。きつく閉じられた瞼。どんな夢を見ているのか、眉間にはわずかにシワがよっている。微笑ましくて、小さく笑ってしまった。
寝るときはいつも壁側を向いていた。最近、たまにシキの方を向くことがある。そんなときに見えるのは後ろ姿だから、こうやって寝顔を見るのは新鮮だ。ずっと、眺めてたくなる。
呼吸は、いつのまにか楽になっていた。
しばらくそうやって眺めていたけれど、まさか朝までこうしているわけにはいかない。だからといって離れる気にもなれなくて。
ソファに背を預けるようにして膝を抱えた。もう少しだけでも、近くにいたい。
膝の上で腕を組み、顔を埋める。ゆっくりとした寝息に耳を澄ませる内に、なんだかだんだん心地よい睡魔に包まれてきた。
ゆっくりゆっくり、意識が沈んでいく。
さっきまでは寝るのを諦めようとしていたくらいなのに。どうして、だなんて疑問は浮かびもしなかった。ゆっくりと意識を手放す。
「……椿?」
夢うつつにシキの声を聞いた気がする。ふわふわと意識が浮上した。ぼんやりとしたまま、何度か瞬く。暗いリビングに、どうしてこんな所にいるんだろうと思った。
視線を感じて振り返ったら、シキがいた。怪訝そうな表情が優しげなものに変わる。何だか嬉しくて、胸があたたかくなる。
「椿」
「うん」
シキが名前を呼ぶ。
ソファに横たわったまま、シキがまっすぐに見つめてくる。オレも、膝の上に片頬をのせてシキを見つめた。心が満たされる。
やがてシキの腕が動く。ゆっくりと近づいてくる手に期待が高まる。一瞬、止まってしまったけれど、すぐに再び近づいてきてホッとした。
あと少し。もう少しで触れるという瞬間、どこからか叫び声が聞こえ、シキの意識はそちらに向いてしまった。手が、離れてしまう。
わずかに眉をひそめ、身を起こすシキを眺めながら、ひどく残念に感じ小さく息を吐いた。
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