ケンカ
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シキが半泣きの月都を連れてきた。
問題を解いていた手を止め、眺める。泣いてはいない。泣き出しそうなのを必死に堪えて、唇を噛み締めている。一体何事かと首をかしげた。月都の隣に佇むシキに視線を向けるが、ただ左右に首を振るだけ。とりあえず、
「……おかえりなさい」
「ああ。ただいま」
「なんっ、だよ…つばき、いんじゃん」
いたらいけないのだろうか。
「ぴ…ピンポン…した、のに…でねぇ、から」
「あー……」
そういえば、しばらく前にやたらインターホンが鳴らされていた。シキに、出なくていいって言われてたから無視してたけど。
そうか。あれは月都だったのか。
「え?もしかしてあれからずっといたの?」
「わりぃ、かよ」
「……こいつ、玄関の前に座り込んでやがった」
それは悪いことをした。かもしれない。
月都に恨めしげな目で見られてる。その頭をシキが軽く叩いた。呆れた表情を浮かべて。
「どうせ叱られたかなんかしたんだろ」
「……ちがう」
「……とりあえず、二人とも座ったら?」
いつまでもそんなとこでつったってないで。
短く嘆息したシキが、月都に座るよう促す。隣に座った月都を暫し眺め、テーブルの上を簡単に片付けた。それから立ち上がる。
「何か飲む?」
月都が返事せずに一つ頷く。
さて。シキはいつも通りコーヒーで良いとして、月都の分はどうしようか。どうしようかも何も、用意できるのは限られていて、だから何が良いか訊ねることができなかったのだけれど。
コーヒーは飲めなくはないけど砂糖とミルクが必要なはず。砂糖はともかくミルク、牛乳がない。そうなると後はもうお茶かお白湯ぐらい。お白湯はいくらなんでもだから、お茶か。
お湯の用意をしながら、急須を取り出す。湯飲みはついでとばかりに二つ。
リビングに戻ると二人は変わらずにいた。月都はじっと座ってるし、ソファに座ったシキはスケッチブックを開いている。月都のことは放置で良いようだ。
月都の前に湯飲みを置いたら軽く頭を下げられた。シキの前にはカップを置く。顔を上げたシキに礼を言われ笑みで返す。そうして自分の分の湯飲みをおぼんから下ろし、腰を下ろす。端に寄せていたノートを手繰り寄せ、再び開く。
お茶を一口飲んだ月都が、ゆっくりと息を吐く。両手で湯飲みを掴んだまま、ぼんやりとしている。疲れているのだろう。泣いても、泣くのを我慢しても、体力を消耗するから。もしかしたら、このまま寝てしまうかもしれない。
そんなことを思いつつ、手元の問題に意識を向けた。
切りのいい所まで進め、一息つく。気づけばシキの姿はなかった。月都は、湯飲みを握りしめたままこっくりこっくり舟を漕いでいる。あのままバランスを崩したら、テーブルに顔面直撃どころか湯飲みにぶつかり惨事になるんだけど大丈夫だろうか。
声をかけた方がいいだろうかと眺めていると、カチャリとドアの開く音がした。ふりかえると、ちょうどリビングに入ってきたシキと目が合った。
「ん?」
「……月都、寝ちゃったね」
「あぁ……だな」
シキが短く嘆息したので、くすりと笑う。
「よくあるの?」
「いや。初めてだな」
「そうなんだ」
オレが来てからは初めてだけれど、何度かこういうことがあったのかと訊ねてみれば返ってきたのは否定。シキの対応が慣れてるようにみえたのだけれど、そうではなかったのか。
月都に視線を戻す。こっくりと舟を漕ぎ……バランスを崩し目を覚ました。
「……ぅわっ……ん?あれ?」
「……おはよう」
「え?おはよ?」
寝ぼけているのか、状況が理解できないようだ。キョロキョロと見回している。
「あれ?シキ?」
「……起きたなら帰れよ」
ソファに腰を下ろしたシキが声をかけるが、脳にまで届いていないのか月都はぼんやりしてる。
「遅くなると帰りづらくなるぞ」
「……や、ヤダ!」
「あ?」
「だ、だって……オレは悪くない!」
キッとシキを睨み付けた。
「……叱られたんだろ?」
「違う!桜子とケンカしたんだ!」
「え?月都って桜子ちゃんとケンカするの?」
「……何でだよ」
「いや、ケンカって対等じゃないとできないから」
「オレが桜子に劣るってのか!?」
「じゃなくて」
それも少しはあるけど。
「月都年下だし。姉って強いから」
「そりゃ…まぁ…」
「オレも姉がいるけど、向こうの立場が強すぎて、ケンカしないってかそもそもケンカにならないから」
「……そうなのか?」
「うん」
今は話せる機会が限られてるからケンカになることがないってのもあるけど、元々なっちゃんの言葉は絶対だったし。逆らうなんてとてもできない。
「……姉とか関係なく、強い女多くないか?お前の周り」
「……そう?」
「サエとか……元カノとか」
「あー……」
サエさんを女性としてカウントするのか。いや、まぁ、生物学上は確かにそうなんだけど。
それに、シキの口からアユさんの話題出されるのは何だか気まずい。ひっぱたかれたって言ったから、気の強いイメージになってるんだろうけど。
あまり話を掘り下げたくなくて曖昧に笑って誤魔化そうとしたら、月都が食いついてしまった。
「え!?椿って彼女いんの!?」
「……過去形ね。今はいないから」
ちらりとシキの様子を盗み見る。何てことないように普通にしていて、思わず小さくため息を溢してしまった。シキにとってはどうでもいいことなのだとわかってはいるけど。
何か、やるせない、なぁ。
「何で?」
「何でって……それより月都は早く桜子ちゃんと仲直りしなよ」
「……だな」
「ぐ」
月都が言葉をのみ込む。何か言いたげな眼差しで。
「つかそろそろ帰らねぇとだろ。時間」
「う」
確かに、シキの言う通りそろそろ帰らないと心配をかけることになるだろう。多分、来たときの様子だと行き先を告げてないし。それに、オレも夕飯の準備を始めたい。
「か、帰らない!オレもうシキんとこの子になる!」
何か、変なことを言い出した。
シキと顔を見合わせる。そしてほぼ同時にため息を溢した。
ケンカするのは仕方ないとしても、できれば巻き込まないでほしい。
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