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おまけ・彼女の話




 □■□■□

 それは正しく一目惚れだった。

 葉桜の頃、彼女は彼に出会った。その日の天候はひどく不安定で。昼間はよく晴れていたのに、夕方近く突然雨が降り始めた。

 途端、あたりは浮き足立つ。足を早めるもの、傘を買い求めるもの、雨宿りをするものと。彼女はちょうど折りたたみ傘を携帯していたので、慌てる必要はなかった。

 次第に雨足は強くなり、やがて傘は用をなさなくなるのたが。

 彼と出会ったのは、雨が降り始めた直後。傘を取り出し広げたところで、彼は彼女の前を通りすぎた。

 真っ直ぐに背をのばし、前を見据えて颯爽と歩く彼。雨に濡れているというのに、まるで雨など降っていないかのようで。その姿に、彼女は目を奪われた。

 我に返り、急ぎ彼の後を追い脇の道に入る。けれどそこに、彼の姿はすでになかった。

 二度目彼に出会せたのは紅葉の色づき始める頃。まだ暑さの残るその日、彼女は彼に再会した。

 ちょうど、彼が喫茶店から出てくるところ。驚き、彼女は足を止め見つめていた。その視線で彼が彼女に気づく。不思議そうに首をかしげた彼に、彼女は弾かれたように駆け寄った。

 そして告げる。

 ずっと好きでした!と。

 事実彼女はずっと彼に恋していた。一目見たその時から、彼の横顔が離れずにいた。名前も何も知らない。どこの誰なのだろう。街を歩く度に姿を探し、ため息を吐いていた。

 これを恋と呼ばずして、何を恋と呼ぶのだろうか。

 感極まってうまく言葉を紡げずにいる彼女に、彼は落ち着くよう促してくれた。優しい。嬉しい。これはもう、告白するしかないと彼女は考えた。いや、もうした後なのだが。

 そしてまだ自己紹介すらしていなかったことに思い至り、名乗り頭を下げる。彼も同じような名乗りお辞儀してくれた。時間があるなら少し話がしたいと申し出れば、彼は頷き、横にいた彼の友人がならば中に入ったらと、喫茶店のドアを開いた。

 向かい合って座り、けれど何からどう話していいかわからなくなる。彼が目の前にいる。それだけで気持ちが高揚してしまい、うまく言葉を探せない。

 少しずつだけれど、どうにか思いの丈を伝える。気持ちは嬉しいけれどと断られかけても食いついて。お互いを知らないならこれから知っていけばいい。友達からといっても可能性がゼロでないならまず付き合ってみるでもいいじゃないかと。

 つっかえながらも告げ、やっぱり無理だろうかと俯く。拳を固く握りしめ、息を止める彼女の耳に届いたのは、じゃあよろしくお願いしますという言葉。

 思わず本当にいいのかと訊ねてしまった彼女に、彼は笑って首をかしげた。

 三度、彼女が彼と会ったのはデートとして。彼女が受験生であったからお勉強デートとなってしまったが。それでも楽しい一時を過ごせた。

 会える日は限られていた。大体が一緒に勉強をしていた。付き合わせてしまって申し訳なくも感じたが、共にいることができるだけで嬉しかった。

 時々は散歩したり、買い物に付き合ってもらったり。極めて健全なお付き合い。遊びに行くことはできないけれど、受験が終わるまでのこと。受験さえ終わればと、彼女は勉強に精を出した。

 彼はあまり自分のことを語らなかった。

 訊けばある程度は答えてくれる。けれどいつの間にか彼女の話に変わっていることが多かった。教えてくれたのは名前、学校、好き嫌いや趣味、そして今知り合いの家に厄介になっているということ。その理由についてははぐらかされた感が否めなかったけれど。

 それだけ知っていれば充分にも思える。けれど彼女は足りなく感じていた。

「椿くんてどんな子供だった?」
「………今もまだ子供だけど」
「そうじゃなくて。小学生ぐらい?の時って、どんな感じだった?」
「んー、普通かな。公園で遊んだり」
「何して?」
「多分あまりかわらないと思うけど……アユさんはどんなことして遊んでた?」
「え?……んーと……ゲームとか、かな?」
「ゲームって、テレビでやるやつ?」
「うん。それとか」
「RPG?パズル?」
「えっと……い、色々?」
「アクションとかシュミレーションとか?」
「ず、随分と食いついたね」
「ん。ちょっと、興味あって」
「そうなんだ」

 それならと、彼女は口を開く。

 彼は優しかった。

 それだけなら、最初の経緯もあって気遣いで付き合ってくれてるのかもと思ったかもしれない。けれど彼は彼女の話によく興味を持ちたくさん聞いてくれた。時には甘えるような拗ねるような素振りも見せてくれて。

 極めつけは彼の知り合いと遭遇しそうになった時。彼は好きになられたら困ると言った。

 彼女は嬉しかったし、幸せだった。

 最初こそ断られそうになったけれど、彼は彼女を知ろうとしてくれたし、好きになろうとしてくれた。そして実際好きになってくれたのだと、これからもずっと一緒にいれるのだと彼女は錯覚していた。

 そう。それは錯覚だったのだ。

 梅の咲いた頃、彼女は彼に別れを告げられた。

 一所懸命に選んだチョコを差し出したまま、彼女は何を言われたのか理解できなかった。他に好きな人がと告げられて、頭に血が上った。気づいたら、彼を叩いていた。

 彼はただ、佇んでいた。

 どんなに言葉を連ねても、泣いてすがっても首を横に振るだけ。ただ、ごめんなさいと。

 謝ってほしいわけじゃない。根負けしてでも同情でもいいから、首を縦に振ってほしいだけ。心なんてなくてもいい。後からどうにでもなる。けれど彼が折れることはなかった。

 受け取ってもらえなかったチョコは、そのままゴミ箱に捨てた。泣いて泣いて泣いて、涙が枯れ果てても泣いて、それでも彼を忘れられなかった。

 時間が解決するなんて嘘。

 楽しかった思いでばかりが鮮明になっていく。受験に合格しても心は晴れないまま。新しい出会いに、ときめきを覚えることもなかった。

 これから、だったのだ。もっとお互いを知っていって。色んな所に行って、色んなことをして。少しずつ、関係を深めていくはずだった。

 もう、無理だとわかっている。微笑みかけてもらうことも、手を繋ぐこともできない。それ以上のことも。

 けれど彼女は彼を諦められなかった。

 そうして季節は巡り、夏椿の咲く頃、彼女は―――





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あきゅろす。
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