‘初めて’の話
「じゃあマカロンとかどう?クッキーにアイシングしてもかわいいよね」
「………何か、楽しそうだね」
「楽しいよー。」
「ヤエ、自分で作って配りそうな勢いに感じるんだけど」
「オレ貰う側なのに?あ、でもそれ面白そう」
何の話をしているんだ。あいつらは。
リビングの手前で聞こえてきた会話に、ドアノブにのびかけていた手が、ふと止まる。次いで、既視感を覚えた。
あれだ。シャーウッドだ。内容は違うが、何となく思い出してしまった。まぁ、いいとドアを開き中に入る。
「あ、おかえり」
振り返った椿に声をかけられた。出かけたときと変わらず、勉強道具を広げている。違いといえば、テーブルの真ん中におかれた菓子ぐらいだろうか。
「………ただいま。もう食ったのか?」
「うん」
「何か、早くない?もっと遅くなると思ってた」
「早くもねぇだろ」
ヤエの問いには適当に答え、どさりとソファに腰を下ろす。
「まだ、いたのか」
「ん?うん。いたよー」
「飯食うだけじゃなかったのかよ」
「えー?だって一人でお留守番は寂しいじゃん」
「もう、一人でも留守番でもねぇだろ」
ヤエが、わざとらしく驚愕の表情を浮かべた。そして椿に詰め寄る。
「椿、シキがひどい。もう用済みだからとっとと帰れだって」
「悪いか?」
「しかも開き直りやがった!」
「寝みぃんだよ。疲れてんだ」
少し困ったような椿が口を開く前に畳み掛ける。こちらを向いたヤエが、ゆっくりと瞬いた。
だから、何でそう一々大袈裟なんだ。
「疲れてるの?」
「ああ」
「二人きりになりたいとかじゃなくて?」
「は?」
ヤエの言葉に、顔をしかめる。
気付いてるかのような口ぶりが、気にくわない。
「……そんなわけ、ないって」
呆れたようなため息と共に吐き出された椿の言葉。思わず、グッと体に力が入る。
そんなわけ、ないわけではない。確かに、一番の理由は先程告げたように疲れているからだけれど。だからこそ、ゆっくりと休みたくて。椿といれば、心安らぐからと。
ヤエがいると、どうしたって椿はヤエの相手をすることになる。その姿をただ眺めているのは、あまり面白くない。だからと言って、邪魔をしすぎて疎ましがられるのも好ましくない。だからこそ、早々に帰らせようとしたのだ。
「………シキ。お風呂、溜まってるからゆっくり浸かって休んだら?」
「………あ?……ああ、ありがとな」
椿にしてみれば、オレと二人きりだろうが、他に人がいようが気にすることではない。わかっては、いるのだけれど。
思考を追い払い、椿の言葉通り風呂に入ってしまおうとしたら、ヤエが口を開いた。
「シキが、お礼を言った」
「あ?」
今度は一体何を言い出した。
椿も不思議そうに首をかしげている。
「驚くようなこと?」
「だって、シキがお礼言うなんて珍しくない?オレは一度だって言われた覚えないよ」
「いや、そもそもお前、礼言われるようなことしてねぇだろ」
胸に手をあててみろと告げれば、本当に両手を己の胸にあてた。
「あ、本当だ。したことなかった」
「………ヤエ」
「あはは。ま、いいや。これ以上いたら遅くなりそうだし、そろそろ帰るね」
「あ、うん」
ようやく重い腰を上げたヤエを、椿が玄関にまで見送りに行く。ソファに腰かけたまま、椿の戻りを待った。
「………シキ、お風呂は?」
「入る」
入るけれど、その前に。
ソファの、隣の空いてるスペースを軽く叩く。首をかしげながら、椿が腰かけた。
「何?」
「いや」
ただ、何となく。近くにと。
「………飯、何だったんだ?」
「ハンバーグとサラダと玉ねぎスープ。ちょいちょい作り方違うとこあって面白かったよ」
「へぇ」
楽しめてたなら、まぁいい。
少し、面白くなくはあるが。椿の様子を見ると、まだ不思議そうにしていた。
「そうだ。シキ、桜子ちゃんにお返しって、どんなのあげてる?」
「ん?」
「や、何か買って渡そうと思ってたんだけど、ヤエが手作りで貰ったなら手作りで返した方がいいんじゃないって」
帰ってきたときに話してたのはそれか。
「………適当に買って渡してんな」
「そっか」
「自分の姉にはどんなの渡してたんだ?」
「ん?飴とかが多いかな。日持ちして、個数の多いやつ」
ただ…と椿が言葉を続ける。わずかに首を傾け、髪がさらりと揺れた。
「手作りって、初めて貰ったから」
「そうなのか?」
「うん。そもそも、姉以外からが初めてだし」
「ん?前、付き合ってたやつからは?」
確か、一年以上続いていたと言っていたはずだが。
「あぁ…えっと、本命以外で」
それにと、言葉を選ぶそぶりを見せた。黙って続きを待つ。
「義理…友チョコ?とかを身内以外から貰うのが初めてで、それとは別に、手作りチョコを貰うのも初めてだった」
「そうか」
桜子が初めてなのか。
何故か勝ち誇ったような表情が浮かんでしまい、顔をしかめる。悔しい、とかではないはずだ。張り合うようなことではないのだから。
因みに、と椿がテーブルの上の菓子を指した。
「それが二つ目」
「………それは?」
「ヤエから」
そういや、ばらまくとか言っていたような言っていなかったような。もう、過ぎてんじゃねぇかと言ってやりたいが、それは言えない。
オレだって、やったのに。
いや、あれは手作りではない上に、そういう意味ではなくだったが。けど、ヤエから、男からのを受け取ったなら、あんな口実作らなくても大丈夫だったんじゃないか、とか。いや、そもそもガラじゃねぇし、とか。
オレだって、今までは貰うばかりで、渡したのは初めてだったのに。
手を、ぎゅうと握りしめる。
「………シキ?」
「いや」
何でもないと首を振る。
無性に、椿の手に触れたくなった。
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