Bitter chocolate
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振り上げられた手を、黙って見つめていた。
よけるべきでないとわかっていたから、受け入れた。頬に走る痛み。叩くことに慣れていないからか、うまくあたらず爪が引っかかった。
叩いた本人は、一瞬どうしようと後悔の色を浮かべて、すぐにくしゃりと顔を歪ませた。
あぁ…泣かせてしまった。
ぼんやりと思った。
悲しませてしまうことはわかっていた。できれば、合格が決まってから告げたかった。本命の入試自体は終わっていて、発表待ちだから大丈夫だろうか。これが原因で、試験に集中できず落ちてしまったら目もあてられない。
それでも、笑顔で差し出されたチョコを受けとることはできなくて。
どうせ振り向いてもらえないとわかっているなら、付き合うわけでないなら別れる必要なんてないじゃないと。他の人を好きでもいいからと言われても、頷くことはできなかった。
だって。
シキを好きだと気づいてしまったのだ。いくら振り向いてもらえないとわかっていても、そんな状態で他の人と付き合えるわけない。他の人と付き合っている状態で、シキの近くにいたくない。
なんて、自分勝手。
家に帰ると、シキはリビングにいて。ベランダの戸を開け、外を眺めていた。振り返ったシキが、僅かに目を見開いて。
あぁそうだった。叩かれたって、わかるよね。赤みが引いてから帰ればよかった。でも、少しでも早くシキの顔を見たくて。
頬にのびかけた手は、寸前で止まってしまった。その事をひどく残念に思う。けれど、仕方がない。同性に恋情を向けられるなど、気持ち悪いに決まっているのだから。
それなのに、シキは否定の言葉を口にしない。
他の人を、シキを好きになったから別れてきたと告げても。そうかと、それだけ。気まずそうに顔をそらされはしたものの、嫌悪感を表には出さない。
その優しさに、甘えてしまう。
追い出されないから、傍にいることを許してくれるから。だから、自分から離れるなんてできなくて。
変わらずに、オレの作ったものを食べてくれて。手に、触れて、同じベッドで寝てくれる。嫌だったら、シキはきちんと言う。げんに、男からのチョコはいらないと、はっきり言われた。
だから、本当に、構わないと思ってくれているのだろう。
なかったことにされたのかもとも考えたけれど、そうではないようで。時おり、ぎこちなさや距離を感じることがある。少し寂しいけれど、まぁ、仕方がない。嫌だったら、最初から言わなければよかったのだから。
コーヒーを用意して戻れば、シキはソファに座っていた。どことなくかたい表情をしていて、声をかけるのが少し躊躇われる。何か、考え事だろうか。それとも、オレが告げた言葉のせいだろうか。
緩くかぶりを振り、思考を追い払う。大丈夫だと言い聞かせて、カップを置いた。
「………シキ」
「あ?………あぁ…ありがとな」
「ううん」
隣に腰かけ、コーヒーを一口飲む。
シキはどこか緩慢な動きでカップに手をのばした。すぐに飲むことはせずに、暖をとるようにカップを手で包み込んでいる。やっぱり、心ここにあらずといった様子で。
何となく落ち着かなくて、視線をさ迷わせる。カバンが、目に入った。
「あ」
「………ん?」
すっかり忘れてた。ついさっきのことなのに。
カバンに手をのばし、中からシンプルにラッピングされた包みを取り出す。そしてシキに差し出した。
「これ」
シキが僅かに目を見開く。
「桜子ちゃんから」
「あ?………あぁ…何だ。……ん?会ったのか?」
なぜか、落胆の色が見えた。受け取った包みをしげしげと眺め、すぐに興味がないとばかりにテーブルの上に置く。
「うん。さっき下で偶然。シキ、今日どこか出かけてた?」
「いや?」
「一度、来た時、誰も出なかったって言ってたから」
「あー…気づかなかった」
「そっか」
じゃあ、きっとまた、絵を描いていたのだろう。集中してると、周りが見えなくなるみたいだし。
でも、そっか。一日中家にいたのか。なら、シャーウッドには行っていない。六郷さんには、会ってない。それはつまり、義理チョコも受け取っていないということで。
喜ぶべきことじゃないのに、ホッとしてしまった。
「食うか?」
「ん?」
それ、とシキが先ほど渡したチョコを示す。
「でも、オレももらったから」
「………受け取ったのか?」
「ん?うん。シキのは義理で、オレのは友チョコって言ってた」
「………そうか」
どうか、したのだろうかと首をかしげるが、すいっと視線をそらされてしまった。そのまま、何か言葉を飲み込むように、シキがコーヒーに口をつける。
「………毎年、貰ってるの?」
「ああ。……お前は?姉からとか」
「うん。貰ってる」
直接渡されるよりも、忍経由になることが多いけれど。
「サエからもか?」
「サエさん?サエさんは貰う側だから」
「ん?」
ようやくこちらを向いたシキが、怪訝そうな表情を浮かべる。まぁ、それが普通の反応かと苦笑した。
「サエさん、渡す側じゃなくて貰う側だから」
誰かに渡したという話は、一度も聞いたことがない。付き合っている人がいてもだ。
しばらく眉を寄せていたシキは、やがて合点がいったのかため息をついた。
「悟、期待してんじゃねぇか?」
「んー…」
どうなんだろう。
でも、どうしてもサエさんが用意して渡してるとは思えない。てか、そんな姿は想像できない。
かといって、落胆させてそのまま放置はしないはず。
「……大丈夫じゃないかな」
疑わしげな眼差しを向けられても。苦笑するしかない。
「大丈夫だよ」
きっと。
重ねて言えば、まぁいいというように肩を竦められた。そしてテーブルの上に放置していた包みに手がのびる。
「………椿」
「ん?」
「お前の………」
「うん」
「………いや、何でもねぇ」
何かを振り払うかのように、シキが頭を振る。包みを解き、チョコを一粒口にした。
その様子を、何となしに眺める。女の子からのだったら受けとるんだと、ぼんやり思いながら。それは、普通のことなんだけれども。
カバンから、もう一つの包みを取り出す。シキのと同じラッピング。中身も同じで、トリュフチョコがきれいに並べられていた。
一粒を指でつまみ、チラリと隣を盗み見る。視線はあわなかったけれど、シキもこちらを見ていて。つまんだチョコを、口に含む。
シキは、普段あまり甘いものを食べない。そのシキに渡すのと一緒に作られたチョコは甘さ控えめで。口の中に苦味が広がった。
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