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浮き沈み




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 想う相手に好きだと言われて、平静でいられるわけなどない。

 例え、その好意の意味合いが違ったとしても。

 朝食の席で、椿に好きだと言われた。何てことないように。もののついでのように。ふと、思い出してといった様子で。

 前置きにあった通り、椿にしてみれば大したことではないのだろう。深い意味などないに違いない。すぐにそうとわかるはずなのに、一瞬、何が起きたのか理解できなかった。

 どうにか一言返し、けれど頭は動かないまま。

 椿は何事もなかったかのように食事を終え、食器を片付けていた。感情はあとからじわじわと込み上げてきて。本当に、どうしていいのかわからなくなった。どうする必要も、ないというのに。

 特別な意味じゃない。

 その言葉の時こそ、やけに優しい表情をしていた。だが、後はいたって普段通り。今日は晴れたねだとか、花が咲いただとかと同じ、他愛のない会話の一つだったのだろう。

 浮かれる必要はない。好意的なのはわかっていたこと。それを、直接言葉で伝えられた、それだけで。

 変に思われはしなかっただろうか。過剰反応していなかったか。言葉につまったことに、動揺したことに気づかれてなければ良い。気づかれるわけにはいかない。

 知られてしまえば、きっとすぐに出ていってしまう。どうせ、もうじきいなくなるのだ。ならせめて、それまでは。今のままの距離を保てれば。ほんの少しでも長く。

 気にするべきじゃない。そう、わかってはいる。けれど、

 想う相手に、好きだと言われたのだ。

 その言葉が、表情が離れない。それは決して、自分のとは同じでないけれど。同じに、変質することはないけれど。それでも。

 気分が浮かんでは沈む。

 膝の上についた手に、額を押しあてて俯く。

「………帰りずれぇ」
「ケンカでもしたのか?」

 ならばとっとと追い出してしまえと、そう言いながら悟が隣に腰かける。カタリと、カップを置くのが視界の端に見えた。

「………そんなんじゃねぇよ」
「なら一体どうしたんだ?そんな重苦しい空気で。あれが何かしでかしたんじゃないのか?」
「そんなんじゃ、ねぇ」

 しでかしたと言えばしでかしたのだが、椿には何も問題はない。気にする方がどうかしているのだ。

 変につつかれたくはない。組んだ手の上に顎をのせ、納得できずに顔をしかめる悟をじとりとねめつける。

「じゃあ、何なんだ」
「………何でもねぇよ。ただ」

 ただ、何なのか。言えるわけなどない。他愛ない言葉に動揺してるなど。言う、必要がない。

「ただ?」

 緩く頭を降り、拒否を示す。

「何でもねぇ」

 話すつもりはない。カップに手をのばし、普段より苦く感じる液体を一口、飲み込んだ。

 帰りたい。

 早く帰って、思うまま椿の絵を描きたい。手が疼いて仕方がない。けれど、どう接すれば良いのかがわからなくて。いや、どうする必要もないのだ。

 普段通りに振る舞うことができるだろうか。何か、余計な言動をして、気づかれてしまったら。調子にのって、下手に距離を詰めすぎてしまったら。そう考えると、顔をあわせずらい。

「………シキ」
「あ?」
「帰りたくないなら、泊まってくか?」

 何でそうなる。

 大体、帰りにくいだけであって、帰りたくないわけではない。呆れてそう告げようとしたところで、インターホンの音が鳴り響いた。次いでガチャリとドアの開く音。

 前にも似たようなことがなかったかと視線を向ければ案の定。サキがひょっこりと顔を出した。

「悟ー…って、シキもいたんだ」
「え?シキも来てんの?」

 その後ろからはヤエが。二人とも、手には買い物袋。カラッと笑ったサキとは対称的に、ヤエは微妙な表情を浮かべる。他人の顔見てどういう表情しやがんだ。

「………何で二人が一緒に来るんだ」
「えー?さっき外で会ってさぁ。一人で買い物寂しいつーから付き合ったげたんだよ、ね?」
「………え?あぁ…うん」

 睨むようにしてこちらを見ていたヤエの視線が、サキに声をかけられて外れる。それでもまだ意識はこちらにあるようで、生返事になっていた。

「何?悟、ヤキモチ?」
「そ、そんなわけない」
「何だ。妬いてくれないんだ?」
「っ!?」

 サキが悟をからかってる間も、ヤエはチラチラとこちらを気にしている。平素なら、その悪ふざけにのっかってるというのに。

「……んだよ」
「えっと…いや…その、シキ、さぁ」
「あ、ヤエごめん。玉子割れてる」
「えっ!?」

 何か言いかけたヤエを遮るように、サキが声をかける。その内容に、ヤエは勢いよく振り返り、袋をひったくった。

「あ…あ…あぁー…」
「全滅はしてないから、まぁ、よかった」
「よくない!だから気を付けてって言ったのに!てかサエに持たせたくなかったのに!」
「あはは、ごめん。ごめん」
「うわぁー…」

 袋の中を覗き込んだまま項垂れている。

 一体、どういう持ち方してきたんだ。普通に歩いてきたんじゃないのかよ。ふと隣を見れば、悟が遠い目をしていた。諦めの浮かんだその眼差しとヤエの言葉に、何となくこれは想定の範囲内なのだとわかった。

「ははは。詫びにそれ卵焼きかなんかにしようか?」
「やめて!台所壊れる!」
「えー?」
「えー、じゃない!絶対入ってこないでよ」

 そう、言い捨てヤエが台所にかけていく。つか、台所壊れるって何だよ。確か、以前椿もサキの手伝いを断っていたが。

「あー行っちゃった。……悟。これ」
「ん?」
「渡してきて。ほら、あたし今、立ち入り禁止になったから。ついでに何か温かい飲み物お願い」
「ああ。わかった」

 ヤエが置いていった方の買い物袋を受け取り、悟も台所に向かう。さて、とソファに腰を下ろしたサキと入れ違うように、立ち上がった。

「ん?シキ、もう帰るの?」
「………ああ」

 帰り、ずらいという思いはまだある。普段通りに振る舞えるかもわからない。

 けれど、ここはもう煩いことになりそうだ。疲れるのがわかっていて長居したくはない。

「椿ももう帰ってるし?」
「………あ?」

 それは、まるで椿が出かけていたみたいじゃない。

 いや。出かけてて悪いことはない。どこで何をしてようが、それは椿の自由だ。わざわざ、オレに、報告する必要も、ない。

 だが、なぜこいつが知っているのか。

 心を読んだように、サキの目が細くなる。笑みを、浮かべる。

「あぁ、さっきまで一緒だったんだよ。椿も」
「………そうかよ」

 クツクツと笑う様に顔をしかめる。何がおかしいというのだ。

 一つ息を吐き背を向ける。悟に声をかける必要はないだろう。早く、家に帰りたくなっていた。

 想う相手に好きだと言われた。その言葉が表情が離れない。けれどそれは、サキやヤエなどに向けてるのと、同じなのだ。

 手を、握りしめる。

 毎晩触れている手の感覚。いつか触れた髪の感触を握りしめるように。チリリと、指先が、胸が焦げる。





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