日常とそれから
好きかどうかはわかる。
その言葉がやけに引っかかって仕方がない。何も、間違ってないはず。自分の好きなモノぐらいはわかってる。それなのに。何か、見落としてるような気がして。
ソファに寝転び、ぼんやりと己の手を眺める。確認するように、握ったり開いたりしてみる。そんなことで答えがわかるわけじゃないけれど。
言葉通り、シキは毎晩ハンドクリームを塗ってくれている。慣れればとは思ったけれど、まだ慣れない。握った手を、胸の上に置く。シキの手の感触が残ってる。
夜が、楽しみになっていた。
シキが触れてくれる。月都とか光太とか、他の人に気軽にのばされる手が羨ましくて。どうしてオレにはのびてこないんだろうと、わけのわからない思いをしていた。
触れてほしいとか、そんなことを思うわけないのに。他の人に触れてるのは面白くなくて。でも、今は毎晩触れてくれていて。毎日触れてるのなんて自分ぐらいだと思うと、ほんの少しの優越感があった。
瞼を閉じる。手が、胸が熱い。
シキが帰ってきたのはクロスワードを解いてる時。リビングに入ってきたシキを、おかえりと迎えただいまと返される。シキはその後すぐに部屋にこもってしまった。どうやら絵を描いてるようだけど、そうなるといつ出てくるかわからない。
いつ出てくるかわからなくても、いつ出てきてもいいように夕飯の用意はいつも通りしておく。そうして、台所で肉をこねていると、シキがふらりとコーヒーをいれにきた。
「今日、夕飯何だ?」
「鶏つくね。………何時ごろ食べたい?」
「いつできる?」
「七時ぐらい、かな?」
「ならそれで」
「わかった」
カップを持って出ていく後ろ姿を何となく見送り、再び肉をこね始める。
一通り作り終えて、シキに声をかける前にテーブルを拭いておこうとダイニングに行く。すると、すでにシキがいた。イスに腰かけ、開いたノートに目を通している。
「ん?……あぁ、もうできたのか」
「うん」
ほらとのばされた手に首をかしげる。何だろうかと思って見ていたら、持っていた台布巾をとられた。
「あ、ありがとう」
ふっと、シキが笑った。その表情になぜか心がざわめいて。逃げるように台所に戻る。
夕食の席では、別に食事中に限ったことではないけれど、特に会話はない。時々、思い出したように言葉を交わす程度。たまに、長く話したりもする。
おいしいとか言われることはない。でも、結構顔に出ていて、その様子をこっそり確認するのが楽しかったりする。
ごちそうさまと、手を合わせてから食器を重ねる。
「……コーヒーいる?」
「ああ。頼む」
コーヒーを落としてる間に、テーブルをもう一度拭く。それからカップを二つ手にしてリビングへ。シキはまたノートに目を通していたので、一つをテーブルに置き隣に腰かける。
「あぁ…ありがとな」
「ううん」
のんびりとコーヒーを飲んで、一休みしてから食器を洗い始める。黙々と洗っていたら、ふと背後に人の気配。振り返るまでもなくそれはシキで。
飲み物をとりにきたわけではないようで、ならばまたスケッチをしているのだろう。洗い物してるところなんてもう何度も描いてるだろうに、よく飽きないものだ。飽きられても、寂しいのだけれど。
そこまで考えて、ふと首をかしげる。何で、飽きられたら寂しいのだろうか。
いや、飽きられて嬉しいわけなどないのだけど。でも、何か。
答えが出る前に洗い物が終わる。蛇口を閉め、手を振るう。布巾で食器を拭き、しまい終わる頃にはシキはリビングに戻っていた。
何となく、寂しさを感じ、だからどうしてなのだろうとまた首をかしげる。
風呂の準備をしてシキに告げる。それからソファの前に腰を下ろし、勉強道具を広げた。ひたすら数学の問題を解いていく。
どれくらい解いた頃か、何となくシキを見たら相変わらずスケッチブックに鉛筆を走らせていた。ただその姿はどう見ても風呂上がりで。時計を見たら思ったよりも時間が過ぎていて、慌てて風呂に入った。
髪をよく乾かしてから、リビングに戻る。シキはあくびを噛み殺していて、申し訳ないなと思いつつも、少しワクワクしながら隣に座る。
ハンドクリームの缶を渡すと、少しだけ表情が和らぐ気がする。シキが缶の蓋を開き、クリームを一掬いとる。そうして、オレの手をとる。
おざなりになることはなく、優しく丁寧な手つきで。この時ばかりは、どうしてだかシキの顔を見れない。ただじっと、手の動きを見つめている。
右手が終わったら左手。左手が終わっても、すぐ離されることは少ない。状態を確認するように、しばらくの間は手を見られる。嫌ではない。むしろ、手が離れるのが惜しいぐらいで。
蓋を閉めた缶を受け取りしまう。シキが電気を消して、オレが先にベッドに入る。以前より寝付きは悪くなった気がする。でも、手を抱き締めるようにして、背にシキの存在を感じて。とても満たされて、いい夢が見れそうだった。
朝は、いつもシキが先に起きる。一緒に寝ても、オレが先に寝てもそれは同じ。昼まで寝てる日もそう。もしかしたら、シキが隣にいるから起きれないのかもしれない。
着替えて、洗顔をして朝食の準備をする。シキはソファでテキストを開いていた。もうすぐ、試験なのだろうか。
テーブルを拭き、朝食を並べてからシキに声をかける。席に着き、両手を合わせ、箸に手をのばした。
同じようで、少しずつ違う日々の繰り返し。こんな日々がいつまでも続けばいい。目の前で箸を進めるシキを眺めながら、そんなことを思う。
最初はただ、何となく居心地がよくて。もう少しだけと、居座り続けた。光太に見つかって、もうダメかと思ったけど、シキは好きにしていいと言ってくれた。
ただ、やっぱり本当は迷惑なんじゃないかと、優しいからそう言ってくれてるだけなんじゃないかと気になって。いると言ってもらえて安心した。
毎日、一緒に食事をして、のんびりとした時を過ごして、共に眠る。たまに、連れ出されたり、苦い思いをすることもあるけれど、満ち足りていて。シキとの、そんな生活がとても愛しい。
愛しく、て。
「………あ、そっか」
何だ。そんなことだったのか。この間、シキに言いかけて、でも出てこなかったことがようやくわかった。
触れられて嬉しかったり、他の人に触れてるのが面白くなかったり、別の人に想いを寄せてるのが、嫌だったり。振り返ってみれば、どうして今まで気づかずにいれたのか不思議なぐらいだ。こんなにもわかりやすかったのに。
正面を見る。箸を止めたシキが、不審そうにしていた。
「どうした?」
「ううん。大したことじゃ、ないよ」
そう。大したことじゃない。気づいたからといって、何かが変わるわけでもない。
「……ただ、好きだなって思って」
真っ直ぐに見つめて告げる。こんなことを言われても、迷惑なだけだってわかってる。それでも、伝えるだけはしておきたかった。
例え、これで追い出されたとしても。
シキは眉間にシワを寄せ、ざっと食卓を見回した。
「……ひじきがか?」
つい、苦笑してしまう。
そうだよ。普通は、同性にそんな想いを寄せるなんて思いはしない。だから仕方がない。
緩く頭を振り、シキの目を正面から見据えてきちんと伝える。
「シキのこと」
シキの目が見開かれる。開きかけた唇が一度閉じ、それから言葉が紡がれる。
「そう、か」
「うん」
引かれはしなかったようで、安堵した。ずっと引っかかってたことがわかってすっきりして、同時に少しの後ろめたさが生まれた。
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