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これからも




 帰ったらとは言ったものの、家についてすぐ椿は夕飯の支度を始めた。何となく、おいてけぼりをくらった感がしたが、台所について行くわけにもいかず、ソファに腰を下ろす。

 そうなると手は自然とスケッチブックにのび。

 膨らみ始めていた梅の蕾。神社の裏道。空に伸びる百日紅の枝。手をあわせる椿の横顔。どこか遠い眼差し。微笑む姿や後ろ姿など。今日の散歩でのことを記憶を頼りにメモ程度に次々と描いていく。

 手を動かす内に止まらなくなり、段々と描いてみたい絵の構図のラフスケッチになっていた。

 梅がこうあるとしたら、ここに佇んで。身体の向きは。顔はどちらを向いているか。例えば他にも雪景色の中なら。花筏の話も出てたな。

 思い付くままに描いていく。

 花や、水の流れ、風の動きなどはいい。ずっと見て、描いていたからその構造や基本的な動きは頭の中に入っている。けれど、やはり、人は。

 椿にポーズとってもらわなきゃ無理だ。

 ラフですら、どこか違和感がある。描けば描くほどそれが顕著になる。息を吐き、頭を振る。それから椿がすぐそばにいることに気づいた。

 ローテーブルに向かって勉強している。

 いつの間に、そう思いぼんやり眺めていると、不意に椿が振り返った。

「…………あ、もう、いいの?」
「あ?……ああ」
「じゃあ、夕飯にする?お風呂の準備もできてるけど」
「あー…」

 もう、風呂もたまってるのか。そう思い、何となしに時計に目を向け眉を寄せた。

「………もう、こんな時間か」
「シキ、集中してたから」
「悪い」

 やんわりと笑んだ椿が緩く首を振る。

「どうする?」
「……飯、先に食う」
「わかった」

 手早く勉強道具を片付け、すっと立ち上がる。台所に向かう後ろ姿をひき止めそうになり、どうにか抑えた。

 まずは飯を。オレのせいで大分待たせてしまっている。腹が減っているだろう。そんな、小さな約束のために、これ以上待たせるわけにはいかない。

 飯食ったら。そう考えて、己の手を見下ろした。

 そうして結局、風呂まで済ませてしまい、椿が風呂から上がるのを待っている。手がスケッチにのびそうになったが、先ほどの二の舞になるわけにはいかない。気づいたら椿がすでに寝ていたなんてなったらたまらない。

 ゆっくりとコーヒーを飲みながら時間を潰す。

 チッチッチッと、時計の秒針が進む。

 やがて、ガチャリと音がして椿が戻ってきた。一瞬ちらりとこちらを見るが、すぐに一度台所に向かう。そしてコップを手にし、隣に腰を下ろす。

 数口、水を飲み、ちらりとこちらを見る。

 チッチッチッと、秒針の音が響く。

 声を、かけようとは思うものの、どうかけるかで悩む。変に意識しなければいいのだが、意識し過ぎてしまっているからおかしなことを言い出してしまいそうで。

 それでも、このまま声をかけられず、なかったことになるよりはマシか。

「……………椿」
「……ん?何?」
「どうする?」
「ん?」

 隣を見る。椿が不思議そうに見上げてきていた。

「……昼間、言ってたやつ。……指切り」
「……したい」
「……じゃあ」

 どこか、ほっとした様子の椿に向き直り、指を差し出す。じっとその指を見つめ、椿が恐る恐るという風に、そっと指を絡める。

 その感触に、一瞬息が止まる。

 視線を動かせなくて、ただじっと絡み合う指先を見つめる。

「……………ほら、早く」
「……え?オレが?」
「ああ」
「えっと…じゃあ…ゆ、指切りげんまん……?」

 自分より細い指に引っ張られるようにして、リズムに合わせて軽く上下する。力はお互い込めておらず、軽く触れあっているだけの状態。だから、離れてしまわぬよう、気を使いながら。

 何だか少しおかしくて。口元に小さく笑みが浮かぶ。

「嘘ついたら、針千本、のーます?…指切った」

 戸惑いがちに歌いきられた歌。

「……………終わったよ」
「だな」

 言いつつも、指はまだ絡めたまま。離すのが惜しい。椿も、自分からは離そうとしていないし、もう少しぐらい平気だろう。

 もう、少し。

「………シキ?」

 問いかけには答えず、左手をのばす。絡めていた小指も解き、けれど離しはせず両手で椿の手に触れる。軽く握られていたのを開かせ、掌を指先で撫でればピクリと反応した。

「………手」
「え?」
「まだ、荒れてんな」
「あぁ…うん」
「そう、すぐよくなったりはしねぇか」
「いや……えっと…その…」

 妙な歯切れの悪さにどうしたのかと顔を上げれば、椿は気まずそうに顔をそらしていた。

「……………」
「……………」
「使ってねぇのか?」

 椿の身体がギクリと強張る。その様子にそっと息を吐いた。

「あわなかったか」
「そ…うじゃなくて」

 匂いが平気だと言っていたし、自惚れじゃなければ嬉しそうに見えた。結局、自分が浮かれてただけなのだとわかると、何とも言えない気持ちになる。

 椿がそっとこちらを見て、口を開いた。

「……その…もったいなくて」
「……は?」
「……せっかく、シキがくれたから……痛い」
「あぁ…悪い」

 思わず込めてしまった手の力を抜く。椿は緩く首を振り、依然申し訳なさそうな表情をしていた。

「………使わなきゃ、意味ねぇだろ」
「わかっては、いるんだけど」
「ちょっと、持ってこい」
「え、ヤダ」
「あ?」

 先程までの歯切れの悪さから一転。間髪を入れずのきっぱりとした断りに眉を寄せる。

「だって、もう、貰ったし。今さら返せと言われても」
「んなこと言わねぇから。いいから持ってこい」

 半信半疑の様子ながらも、椿は立ち上がる。その後ろ姿を見送り、手を軽く握る。先程まで触れていた暖かさが離れたせいで、少しだけ物足りなく感じた。

「………シキ、これ」
「ああ」

 戻ってきた椿から缶を受け取り、蓋を開く。再び腰を下ろした椿に手をのばし、その手をとる。

 一瞬、ピクリと反応したが、したいように任せてくれた。

 掬ったクリームを先日と同じように塗り込めていく。

「………ごめん」
「いや……」

 少し考え、唇を湿らせる。

「それより、毎晩、こうやって、塗ってやろうか?」

 嫌でなけりゃと、どうにか伝えれば、俯きがちだった椿が顔をあげる。すぐに右に左にと視線が動き、それから消え入るような返事が聞こえた。

「………嫌じゃ、ない。………ありがとう」

 ほっと息を吐き、頬が緩みそうになる。

 毎晩こうして触れてりゃ、少しは慣れることができるだろうか。今みたく、ただ触れるだけで変に緊張しないように。





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