音楽鑑賞
じっと、瞼を閉じて歌声に耳を澄ます。
イヤホンから流れ込んでくる声はとても優しく力強い。大丈夫だと言い聞かせてくれるその歌詞と声が好きで、自然と口許が緩む。
大多数に向けた歌ではないと知っている。気軽に会えるわけではないからせめて声ぐらいはと。その気持ちが伝わってくる。そこまでしてくれなくても平気なのに。そう思うもののやはり嬉しくて。
じっと、聞き入れば心が落ち着く。
無心に聞いていて、いつのまにか眠ってしまっていた。それほど長い眠りではなさそうだけど、流れてくる歌声は全く別のもの。
今何時だろうと、時計を確認するために瞼を開いたら、目の前にシキがいた。
いつの間に帰ってきたのだろう。ソファの上。手にしたスケッチブックに鉛筆を走らせている。真剣な横顔をぼんやりと眺めた。チラリとこちらを向く。視線が合う。
僅かに持ち上がった口角。何で笑みを見せるのだろうと考えてみた。考えても、わかるわけなどなく、ただ見つめるだけに終わる。
数度、手を動かしたシキは紙を一枚捲った。ちらちらとこちらに視線を向けながら鉛筆を動かしていく。その光景を夢現のまま眺めていた。
やがてシキの手が止まり、パタンとスケッチブックが閉じられる。背もたれに体重を預けたシキが、ゆっくりとこちらを向く。
「何、聞いてんだ?」
「………ん?」
耳、とジェスチャーで示され言葉の意味を理解する。何となく、イヤホンを片方外し、シキへと差し出した。目を見開いたシキは、けれどすぐに表情を緩め受け取った。
渡す瞬間、指先が触れそうになり、心臓が跳ねた気がした。
「………英語?」
「うん。童謡みたいな感じ」
聞いてもらった方が早いと渡したのだけれど。シキへと繋がっているコード。聞いているのは同じ歌。少しだけ近く感じる距離。
何故か落ち着かない。
ゆったりと歌を聞いているシキはこちらを向いてはいない。オレばかりが見ているのはバツが悪くて、視線をそらす。それでも、耳についているイヤホンがシキに繋がっていると思うと、そわそわする。
いてもたってもいられなくて、イヤホンを外した。気づいたシキが不審そうな表情をしたので、曖昧に笑ってごまかす。それからさっとテーブルの上に視線を走らせた。
「コーヒー、いれてくるけどいる?」
「頼む」
返事を確認し、台所に逃げ込む。流しに手をつくと、そのままずるずるとしゃがみこんだ。
何かおかしい。何かがおかしい。けれど何がおかしいのかわからなくて。何となしに自分の毛先を摘まんだ。そんなことをしても意味などないと、わかってはいるのだけど。
シキが帰ってくる前にあった感情は、きれいに消え去っていた。
なんだかなぁ。
深呼吸して、コーヒーを用意して、リビングに戻る。シキは興味深そうにプレーヤーの本体を眺めながら音楽を聞いていた。
テーブルの上にカップを置くと、顔を上げたシキと目が合う。
「………何か気に入ったのあった?」
「………この曲」
少し考えるそぶりを見せたシキが、先程のオレと同じようにイヤホンを片側外し差し出してくる。その距離を近く感じて逃げ出したのだからと断ろうとして、けれど気付いた時には片耳にイヤホンをつけて並んで座っていた。
「………これ?」
「ああ」
すぐにどれかはわかったけど、シキが巻き戻したので一緒に最初から聞いた。知り合いに勝手に入れられたやつ。シキが気に入ったのならよかった。
楽しそうな表情を盗み見て、表情が緩む。
いいな。ずっとこうしていられればいいのに。そう思うのを止められない。
歌が終わるのを見計らって、イヤホンを外す。シキに渡して、コーヒーを数口飲む。それから、テーブルの上に放置されているスケッチブックに手をのばした。
「見ていい?」
「ん?………ああ」
了承を得てページを開く。中に描かれているのは鉛筆画。細かく描かれたものから、簡単に輪郭だけのものまで。ゆっくりページをめくりながら眺めて、ふと首をかしげる。
「………………」
さらにページを進め、おもむろにパタンと閉じた。
何とも言いがたくてシキに視線を向けると、クツクツと笑いをこらえている。
「………シキ」
「練習、させろつったよな?」
「言ってたけど」
確かに言ってたけど。そしてそれに是と応えたけれど。スケッチブックの中身はほぼオレだった。一応、他もあるにはあるけど。
めくってもめくっても自分ばかりで何だかいたたまれない。時々描いているのには気づいていたけど、これほどの量になっていたとは。
飽きはしないのだろうか。練習と言っているのだから、それこそ手に覚えさせるほどに描く必要があるのだろうか。なら、それまではここにいられるのだろうか。
ふいに、シキがイヤホンを外した。オレの手からスケッチブックを取ると、ページを開く。それを横から眺めた。
シキの手がページをめくっていく。指が紙の上をなぞる。絵の中の、髪や頬の上を通り過ぎる。実際に触れられているわけじゃないのに、擽ったさを感じた。
「………っシキ」
「ん?」
思わず声をかければ、ページをめくる手は止まった。向けられた視線に、顔をそらしてしまいたい衝動を覚えたけれど、どうにか抑える。
「あー…っと、明日、出かける」
「………めずらしいな」
「そう?」
「ああ」
バイトやなんやかんやでよく出かけている。シキより先に帰るようにしてるから、知られていないのだろうけど。
「遅くなるのか?」
「ううん。なるべく早く帰ってくる」
「そうか」
午前中は用があるからと、午後に人と会う約束を入れた。気乗りしないわけではないけど、会うのが約半年ぶりぐらいだから妙な緊張感がある。
いつものように、早く帰るつもりだからわざわざシキに告げる必要はなかった。誤魔化すために選んだ話題。それだけのはず。
それだけのはず、なのだ。
どういう相手なのか説明するのは躊躇われる。話す必要性もない。ただ、本当に何となく、黙って会いに行くのに後ろめたさを感じた。
<>
[戻る]
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!