溶けて落ちる戦いのはじまり
やっとのことで補習を終えて、ルークは帰ろうと昇降口に下りてきた。
外は雨。
長雨が静かに降り続いている。
確か折り畳み傘があったはずだと、鞄をあさりながら外に出る。
鞄に突っ込んだ手が傘を見つけるのと、昇降口の先に人影を見つけるのは同時だった。
長い黒髪と細いシルエット、鞄を肩にかけるようにして片手で持っている。
一目でわかる。
生徒会長のユーリ・ローウェルだ。
見た目もいいうえに面倒見のいい兄貴分なので、非常にモテるのだと、同じクラスのコレットが言っていた。
彼は昇降口の先で空を見上げていて、動く様子はない。
どうやら傘がなくて雨がやむのを待っているようだ。
ルークは自分が持つ折り畳み傘とユーリの後ろ姿を見比べた。
ルークはユーリと知り合いではないのだし、軽く挨拶をして通り過ぎればいいだけなのだろうけれど。
(でもそれじゃ気まずいというか……だってあれ、雨宿りしてる、よな?)
ルークにはこのまま何も言わずに通り過ぎていけそうになかった。
この辺りがリオンたちにお人好しだと言われる所以かもしれない。
本人に自覚はまったくもってないのだけれど。
ともかくも、ルークは再度傘とユーリを見比べ、意を決して小さく頷いた。
(言うだけ、言ってみるか)
同時に、ユーリが振り返る。
「え?」
ばっちりと目が合う。
ルークはどぎまぎして、胸の前で傘を握り締めた。
改めて真正面から見たユーリは、同性のルークから見てもかっこよかった。
整った顔立ちに不敵な笑みは似合いすぎるほど似合っていて、優雅とさえ言える動作でゆっくりとこちらに歩いてくるのを、息をつめて見ているしかなかった。
「なあ」
「は、はいっ」
声をかけられて直立不動になる。
緊張を隠しもしないルークに、ユーリは笑い声を漏らす。
その笑顔にも胸が高鳴って。
ますます強く傘を握り締めた。
「傘、入れてくんね?」
「え、あ、ああの……」
極度の緊張にしどろもどろになるルーク。
校内一の有名人に会い、話しかけられ、予想外のセリフにパニックになる。
指先が白くなるほど力を入れた手に、ユーリの細い指が触れた。
「さっきから見てただろ? 仕方ねぇから入ってやるよ」
「はぁ!? ちょ、何言って、」
「いいからいいから」
あっという間に傘を奪い、ユーリは傘を開いてさりげない仕草でルークを招き入れる。
腰に腕を回されても、混乱したルークはされるがまま。
呆然としている間に、異様に密着した体勢で歩きだす。
「お前、名前は?」
「ルーク・フォン・ファブレ、です」
「ああ、ファブレの坊ちゃんか」
飛び出してきた実家のことを言われ、ムッとしてユーリを睨むが、あまりの顔の近さに我に返り慌てて目を逸らした。
バクバクと心臓がうるさい。
密着した体を離そうとするけれど、ユーリの手ががっちりと腰を掴んでいて離れられなかった。
離してくれと訴えるが、雨に濡れるからと断られた。
(こんな近いんじゃ、心臓の音聞こえちまう)
否が応にも視界に入るその黒を、必死で視界から追いやりながら、もつれそうになる足で歩く。
ルークの家は駅からそう遠くないところにあるため、駅についてしまえば傘を渡すこともできる。
傘を渡して、自分は走って帰ればいいのだ。
そうだ、と頷いて、足を速めた。
「それにしちゃ庶民だよな」
「悪かったな」
拗ねたような表情を作って見せるも、あまりに近い距離では何の役にも立たず。
ユーリがおかしそうに笑うのを、体の傍で感じるしかなかった。
「ま、そんなだから嫌いになれないんだけどよ」
「え? なんか言ったか?」
「いーや。なーんにも」
こんなに近くにいるにもかかわらず、ぽつりと呟いた言葉を拾えず聞き返す。
ユーリは答えずに、拗ねたような表情で顔を背けた。
それがなんだか可愛く見えて、少し笑ってしまった。
「何笑ってんだよ」
「何でもな……あ」
駅に着いた。
なんとなく寂しいと思ってしまった自分にはっとして、ルークはユーリの腕を振り払って駅に走る。
雨はそう強くなかったため、あまり濡れずに済んだ。
ユーリの家がどこだか知らないが、わざわざ電車に乗ってくるのはルークくらいのものだから、きっと駅に用はないだろう。
そう思っていたら、後ろから大声が追いかけてくる。
「ルーク! 傘は明日返すからな! 覚悟しとけよ!」
何を覚悟すればいいのかわかりたくもなくて、逃げるように改札口へと駆けこんだ。
濡れた靴が気持ち悪い。
鞄からタオルを取り出し、濡れた体を拭いた。
ドキドキと駆けまわる心臓は走ったからなのか、それとも違う理由なのか、ルークにはわからなかった。
→
.
[*前へ][次へ#]
無料HPエムペ!