ヨルノトバリ
 chapter.4/花火/Sっ気委員長




ヨルノトバリ


屋上へ続くドアを押し開けたとたん,むっとした熱気を頬に感じた.
夜になって気温が多少下がっているとはいえ,湿気のせいでとても快適とはいえない.
今年の夏も過ごしにくそうだ,と顔をしかめながらあたりを見回すと,目的の人物が一段高いところに寝転がっているのが目に入った.

私は彼に近づいて,とりあえずその横に腰をおろす.


「こんな時間にわざわざ呼び出して,何の用?」

「判らないのに大人しくここに来たの?」


彼は少し目を見開いて呆れたように聞き返す.自分が招いたくせに,腹立たしい奴.


「委員長が‘いいものが見られるよ’って言うから」

「へえ,信じたの」

「嘘だったの!?」

「冗談だよ.もうすぐ始まる」

「始まるって,なにが……あ」


屋上から見える街並の,ここからそう遠くないところ----確かあのあたりは公園があっただろうか----に,かなりの人ごみがあるのが目に入った.屋台らしきものの明かりも見える.
あそこで何かあるのだろうか,と目をこらすと,その人の山に向かう人々の列に,ちらほらと浴衣姿の女の子がいるのが判った.
私がこの街に来てからこれが初めての夏だが,この光景はよく知っている.日本全国どもでも見られるものだ.


「もしかして,花火?」


振り向いて答えを聞く前に,瞬間,夜空がぱあっと明るくなった.
一呼吸おいて,空気を奮わせる音とともに,花火会場からの人々の歓声.


「ワオ……」

「なにそれ.まさか僕の真似のつもり?」

「いつも一緒にいるからうつるんだよ.たーまやー」

「いまどき‘玉屋’ときたか……」

「だって,すっごい大きくて綺麗だよ.かーぎやー」

「打ち上げ場所と近いからね」

「こんな穴場なら,他の生徒が来てもよさそうなのに……」


花火会場はその周囲にまで人が溢れているのに,ここには私と委員長のほか人っ子ひとりいない.こんな場所を独占できるなんて,かなり贅沢.


「みんな僕が今日ここにいることは知ってるから」

「……ああ,なるほど」


最近はすっかり忘れてしまっていたが,そういえば彼はこの街で最強にして最凶,という物騒な称号を得ているのだった.
私は成り行き上難を逃れているが,通常人ならどんなに見晴らしがよくても人間核弾頭の隣で花火観賞などごめんこうむるというところだろう.


「私は委員長の特別席にご招待いただいたってことか.ご厚意賜りまして光栄の極み」

「この貸し,高くつくから」

「え……タダじゃないの?」

「当たり前でしょ」

「……こんな綺麗な花火見ながら,よくそんな色気のないこと言えるね」

「色気?」


委員長が怪訝そうに眉をあげ,横目でこちらを見る.
無愛想とかそういうことを抜きにして考えれば,花火に照らされるその横顔は,「端正」という単語がぴったりくる.

(ホント,黙ってればきゃあきゃあ言われそうなのに)

神様はなにゆえこのような男にこの顔を与えたのか.資源の無駄遣いとしか言いようがない.


「そう,色気.ふつうさあ,こういう時には私なんかじゃなく好きな女の子でも呼んで,もうちょっとロマンチックなことを囁くもんじゃない?」

「例えば?」

「えー,例えば?そうだなあ,『花火なんかより君のほうが綺麗だよ』とか……はははははは.委員長がそんなこと言ってるの想像したら自分で笑っちゃった,あははははは」

「君……喧嘩売ってるの」

「そんなつもりじゃない,けど,あは,あははは」


想像の中のクサい台詞を吐いている委員長が妙にツボに入ってしまって,笑いがとまらない.委員長は酷く不機嫌そうな顔をして,笑いすぎて溢れるてくる涙をぬぐう私の手を思い切り引っ張った.
その勢いで私はどさりと委員長の上に倒れこむ.


「わっ……ごめん,悪かったってば」


本気で怒らせたかな,と心配になって慌てて身を起こそうとするも,がっしりと抱きかかえられていて,身を捩るくらいにしかならない.


「ちょっと,委員長……」

「じゃあ,練習」


少し掠れた囁き声が,意外なほど耳の近くから聞こえてきて,私はぎくりと身を固める.耳元にかかる呼吸に毒でも入っているかのように,体が硬直して動かない.こんな様子の委員長は見たことがない.


「れ,練習?」

「『花火より』」

「!!」


練習って,まさか.まさか.私の心臓が急に跳ねだす.
兄以外の,気のない男の人になら何をされても平静でいられるのに,委員長が相手だと何故だか調子が狂う.


「『名前のほうが……』」

「〜〜〜〜〜っ」


耳に届く,一緒にいて一度も聞いたことのないような,甘い,甘い声.
発される一音一音が,確実に私の頭を混乱の渦に沈めていく.どうしたらいいか判らなくて,私はただぎゅっと目をつぶる.


「『……きれ』」

「ぎゃあああああああああ!」


耐えられなくなった私は,ありったけの力をこめて委員長の体を押し,体を離した.正に,火事場の馬鹿力.
肩で息をしながら見下ろすと,私を混乱に陥れた本人は意地悪そうな笑みをうっすらと浮かべ,こちらを見ている.

……からかったんだ.
かあっと顔が熱くなるのを感じる.こんな仕返しがあってたまるか.

悪魔の申し子は,人の悪い笑みを浮かべたまま「僕がこういうことを言うと,笑えるんじゃないの」と問いかけてくる.


「……委員長って,時々洒落にならないような悪ふざけするよね……」


なんだかどっと疲れた私には怒る気力もなくて,肩を落として花火を見上げる.
丁度いくつものハート型の花火が上がるところだった.花火にまで冷やかされて笑われているような気がする.


「……けどね」


そのとき一際大きな花火があがり,委員長がこぼした呟きは,重たい破裂音にかき消された.


「え?何?」

「なんでもない」


どうせまたろくでもない意地悪を言ったんだろう.
私はそれ以上追及せず,委員長に背中を向けて,花火に目を戻した.
どうか夜の闇が赤くなった頬を隠してくれていますように,と願いながら.





(了)




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あきゅろす。
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