Helter Skelter(彼女の狼狽)…1



会いたくなかった。この男にだけは。


そう思っていながら,学校の屋上なんて場所に留まってぼんやり地上を眺めていたのは,私が筋金入りの間抜けだからではない。……すくなくとも,この件に関しては。

覚悟は出来ていた事だ。
同じ学校に通っていれば偶然顔を合わせることもあろうし,
委員長がその気になれば,私がこの町の何処に居ても――――私の過大評価でなければ,もっと遠くまで行ったとしても――――やすやすと見つかってしまうだろう。
風紀委員たちの人海戦術をもってか,あるいは当人の動物的な勘や権謀術数によってか,いずれにせよ。

私が委員長を避けていることに,何の関心も抱かないでいてくれればいいのだが。


(仕事があるとか茶が飲みたいとか退屈しのぎとか避けてるのがムカツクとかなんとなくとかで,来るんだろうな,きっと)


それならば,何処に行っても一緒だと思った(「委員長にとって私って何?」などと考えたら負けだ,多分)。


だから,覚悟はできていた。

はずなのに。


それでも彼の声を聞いた瞬間,私は揺れた。



――――どんな顔をすればいい?



これが他の相手だったなら。話はずっと簡単だ。
長い間,私は意中の相手に釣り合うように,「学業も運動もそつなくこなす,明るいクラスの人気者」を演じてきた。
父の仕事の都合で,短いスパンでの転校を繰り返してきたから,先々で仲の良い友人はできても,自分の秘密を曝け出すほどにはならなかった。

そうやってすっかり演技をし慣れた私にとって,自分の弱みを隠して演技を続けることに特別な労力は要らない。
悩みとかなさそうでいいねと言われることがあるけど,何も悩んでないわけはない。
慢性的に悩みがあるから隠し慣れているだけだ。

そのことについて,誰も私を理解してくれないとか,有り勝ちな泣き言をいうつもりはない。
誰でも多かれ少なかれ,社会生活を円滑に送るために仮面を被って世渡りしている。
私だって他の誰かを理解できているわけじゃないのに,自分だけ理解を求めるなんて勝手な話だと思う。

たまたま私は,一身上の都合で,他人より仮面が分厚かっただけ。
だから,別にそのままで構わない。そう思っていたのに。

図らずも初めて秘密を共有した相手に,今更演技をしてみせるのは――――厭だった。


でも,ずっとそうして生きてきた私は,ほかに本心の隠し方を知らない。
素のままで接してきた委員長に対して,精神的に弱った自分をどう取り繕えばいいのか,こんな時どんな顔をして話せばいいのか判らないのだ。


だから彼にだけは,会いたくなかったのだけど。
私がそう思っているのを見透かして嫌がらせをするかのように,直ぐに屋上にやって来た。
他人の感情に興味などなさそうな委員長は,こんな時ばかり,聡い。


「君,ここで何してるの」


背後から浴びせかけられる,ささくれだった声音。


(避けてたことに気づいてるな,これは)

それでも私は振り向けない。
この顔のうえに,どの表情を乗せればいいのか,まだ決められていないから。

逡巡。

一縷の望みをかけて,私は返事をする。
フェンスにもたれて視線を外に向けたまま,極力なんでもない風に装って。


「もうすぐ帰るから,気にしないでよぉ」


……これは「他人用」の言葉だ。いつも隣にいた仲間への言葉ではない。
一人にしてくれないか,というメッセージ。

でも,そんな突放し方はやはり逆効果だったようで。
衣擦れの音にちらりと後ろを見やると,委員長は無言でその場に座り込んでいた。

帰らない。そう主張しているのは明らかだ。


(……参ったな)


気まぐれな委員長殿が何を考えているかは知らないが,一度こうなったら梃子でも動かないだろう。
こっそりとため息を漏らしながら地上を見下ろすと,丁度校門のあたりに仲の良さそうな男女が目に入った。
こうしてぱっと見ただけでもお似合いだなと思える,微笑ましい二人。
兄とあの女の子の姿が,それと重なる。


そう。私は,兄と長篠をお似合いだと思ってしまった。
初めて二人が一緒にいるところを真正面から見て,掛け値なしにそう感じた。
幸せそうな兄,幸せそうなあの子。
私の立ち位置は意地悪な継母役か,トウシューズに画鋲を入れる古典的なライバル役か,とにかく誰が見たって,ヒロインはあっちで,邪魔者はこっちなのだ。

そんなことは解っていた。いや,解っていると思っていた。
頭では解っていて,それでも感情が追いついていかないから,開き直って気の済むまで邪魔してやるんだと決めていた。
弁解の余地もないほど自己中心的で傲慢な行いだと知っていても,この思いはどうにもならないのだからと。

でも,改めて現実を目の前に突きつけられて,揺ぎ無かった筈の私の信念は,呆気なく足場を失った。
そうして拠り所のないまま,私はここに流されている。


「……君,変だ」


背後から声をかけられても,私は校門を通り抜けていく見知らぬ二人から目を離せず,「そうかな」などと気の抜けた返事を返す。
目の錯覚か,徐々に遠くなっていく男女が,一瞬兄たちの姿に見えて。
それを振り払うようにぎゅっと目を瞑り,大きく息を吐くと――――


(……疲れた)


私の気持ちは全然整理できないし,委員長はこんな時に限って帰らないし,
もう気を張っているのも面倒臭くなって,ぐるりと空を見上げた。
色んなことが,どうでもいい。


「なんか……空しくなっちゃってね」


一度声に出すと,堰をきったように次々とまとまらない言葉が溢れてくる。
こんなことを愚痴愚痴いっても詮無いというのに。自分の声なのにどこか遠く聞こえて,まるで誰かが私の体を乗っ取って勝手に喋っているみたいだ。


「長篠ともはが嫌な奴なら良かったのに」


それなら気兼ねなく,思うさま我侭に振舞えたのに。
ただ一度会っただけで,あの善く笑う小さな少女に,すっかり毒気を抜かれたみたいだ。
なんて中途半端な,なんて情けない私。


誰に聞かせるでもない,取り留めの無い呟きに,「もういい」と制止の声がかかった。
その声に現実に引き戻されたようになり,私は口をつぐむ。


そこでやっと気づいた。

様子がおかしいのは私だけではない。・・・・・・・・・・・・・・・


こんな面倒なだけの状況は,彼のもっとも好まざるところだろうに。
何故,なんのために,ここにいる?


正体の判らぬ不安を抱えながら,ゆっくりと体の向きを変え,正対する。
今日はじめて視界の中心で捉える彼の姿は,徐々に濃くなってきた夕暮れの闇に紛れて――――



なんだかとても,疲れて見えた。




タイトルはビートルズの曲から。

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あきゅろす。
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