Loser in the Light(彼女の失策)…2



弁解の言葉が見つからないまま,放心状態でその場に立ち尽くしていた私は,キッチンの向こうから名前を呼ぶ声にはっと我に返った.
今日は上手くいかないことばかりだ.私は悩んだ末,ある決意をしてダイニングに出て行くと,すでに三人は揃って席についていた.

長篠ともはが兄の隣の席に座っているのを見て,胸の辺りがずきりと痛む.

そこは私の席なのに.ずっと私の席だったのに.

なによりも私にダメージを与えたのは,兄も長篠もその位置にいるのがごく自然なように見えることだった.
至極当然なことのように.ずっと前から決まっていたことのように.


(じゃあ,私は)


私の居場所だと思っていたものが,ほんとうは彼女のために用意された場所だったとしたら.


私はこれから,どこに居ればいいんだろう?




「何突っ立ってるのさ.早く座りなよ」




思わぬ所から声がして,私はゆっくりと振り向いた.
委員長は自分の隣の椅子を顎でしゃくって,私を睨みつける.
何故だか凄く機嫌が悪そうで----いや,こんな面子で食卓に着くことなど不本意に決まっているから機嫌が良いはずもないのだが----一瞬,心臓をちくちくと刺す痛みも忘れてしまいそうになるくらいだった.


そうか.そうだった.
私は今,一人で戦っているんじゃあないんだ.

そう考えると,少しだけ心が軽くなった.


「あ,もしかしてこっち側の席のほうが良かったか?名前はいつもこっちだもんな,テレビも見やすいし」


私の様子に気づいたのか,兄が慌てたように椅子を立って私にゆずろうとする.
そういう絶対的な位置の問題ではないのだけれど.
私は兄のややピントのずれた申し出を断ろうとしたが,遠慮すんなって,と半ば強引に座らされてしまった.
まあいいか.これでも兄と長篠は隣同士ではなくなるんだし.

しかし,私と兄が席を入れ替わった結果,8人掛けのダイニングテーブルで,私と長篠が隣に並び,その向かいに委員長と兄が並ぶという状態になっている.それが妙にシュールに感じられて,少し可笑しい.
無意識に口元を緩めると,兄がそんな私を見て「やっと笑った」と鷹揚に微笑んだ.
時々絶望的なまでに鈍感に思える兄だけれど,こういう時はほんとうに私のことを気にかけてくれているんだと嬉しくなる.

視界に入る委員長は相変わらず,というかますます不機嫌そうで,子供が見たら失神しそうなくらいの凶悪な表情が張り付いている.せっかく私が兄との絆を再確認しているというのに何だというのだろう.
やや挙動不審な動きで,私に目配せをしたり料理と私の顔を見比べたりしているようだが,意図が掴めない.腹が減ったから早く食べさせろということだろうか.


悪いけれど,残念ながらその期待に応えることは今しばらくできそうもない.なぜなら,私には先程の決意を実行するという仕事があるからだ.


なんでもないふりをして,食卓の上の料理から全員の視線が離れる瞬間を探す.
勝負は一瞬.
長篠を追い返すための,最後の手段.古典的だけれども,今の私に残されているカードはこれくらいしかない.

そのカードは,ポケットの中にこっそりと忍ばせた小瓶----その名も,「涅槃見せます:超激辛調味料(取扱注意!!)」だった.


悪いことの後には辻褄を合わせるように幸運が訪れるものらしい.
じっと機械を伺っていると,かなり近くを走っているらしいパトカーのサイレンが窓の外から聞こえてきた.「事故か何かあったのかな」と,一斉に視線が窓の外に向けられる.
3人の注意が逸らされたその一瞬を見逃さず,小瓶の中身を思いっきり長篠の前の煮込みハンバーグに投入する.この料理を選んでよかった,色のせいでほとんど目立たない.

私がこんな邪悪な嫌がらせをするとは露知らず慕ってくれる長篠には悪いが,ここは心を鬼にして犠牲になってもらう.なんとしても,二度と苗字家には近づかないくらいの感想を持って帰ってもらわなければならないのだ.


他の誰も私の行為には気づいた様子がないのを確かめて,「冷めちゃうからそろそろ食べない?」と提案をする.

「そうですね,名前先輩……あ」

自分の前の皿に向き直った長篠が,料理を見つめて動きを止める.もしや異変に気づいたのだろうか,そんな痕跡はないはずだが…….

「ごめん雲雀くん,お皿間違えちゃった.こっちのハンバーグが多いほうが雲雀くんのだよ」

長篠ともははそう言って,委員長と皿を取り替えた.

え,ちょっと待って,嘘でしょ.
止めようと右手を前に差し出すが,適当な言い訳がなにも思いつかず,中途半端な位置で手が止まる.
今日の私にはほんとに切れがない.いつもならもうすこし臨機応変に切り抜けるくらい出来る筈なのに.

なんとか委員長にアイコンタクトで食べるなと教えようとするけれど,向こうも向こうでさっきからの妙な動きを続けており,全く要領を得ない.

駄目だ,こりゃ.

諦めた私は,これから怒る惨事に暗澹たる思いを抱きながら,みんなと一緒にハンバーグを口に運んだ.



「!!!!!!??????」



襲ってきたのは,全くの予想外の衝撃.
私がまず認識した感覚は,「辛い」でも「熱い」でもなく,「痛い」だった.

すこし間をおいて,口の中と喉いっぱいにいまだかつて経験したことのない焼けるような辛さが広がる.
辛い辛い辛い辛い痛い痛い辛い辛い痛い熱い辛い辛い辛い辛いからいつらい!

(委員長おおおぉぉぉぉぉぉぉぉおおおッッ!!!!)

どうやったのか,どうしてこうなったのかは皆目わからないけれど,こうなった原因は明らかである.委員長以外に犯人がいるわけがない.
その委員長もなんとかいつもの顔を保とうとしているけれど,顔面蒼白になっているのが明らかだ.きっと涅槃を見ているのだろう,キャッチコピー通り.

口の中の物体(そうこれは最早食べ物なんかではなく「物体」だ)を思いっきり吐き出しそうになるのをぎりぎりのところで抑え,席を立って二階に駆け上がる.後ろから長篠と兄の困惑した声が聞こえるのも,後ろから委員長の足音が追いかけてくるのも気にはとめていられない.


家が揺れたんじゃないかと思うくらいの勢いで部屋に飛び込んだ私は,ベッドサイドの小さな冷蔵庫からミネラルウォーターを2本取り出して,一本を委員長に投げて,もう一本を一気に喉に流し込んだ.水早飲み選手権があったら優勝候補間違いないという勢いで.

みるみるうちに500mlペットボトル一本を飲み干し,委員長に向かって叫ぶが,喉がひりひりと焼け付くようでまともに喋れない.


「げほっ!が,がはあっ……いいん,ちょ,げほげほっ,なにすっ……!」

「が,げふっ……き,みが……っ!がはっ,せきを,かわ,るっ,げっほ,から……!!」


激しく咳き込みながら,涙をぼろぼろとこぼしにらみ合う.

ああ,何もかも,こんな筈じゃなかったのに.


やっぱり,このコンビは最低だ!

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あきゅろす。
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