obiter dictum
 Chapter.3の後半/コンタクト紛失/徐々に特別な存在へ




obiter dictum



雲雀が応接室のドアを開けると,そこにはすでに先客がいた.
もちろん,この部屋の主に別段の断りなく自由に出入りするような輩はこの学校にひとり,名前その人しかいない.
分厚いファイルを開き書類をチェックしていた彼女は,雲雀が入ってきたのを見てすぐに立ち上がる.


「あ,委員長.これなんだけど」


そう言って歩み寄ろうとする名前はしかし,思い切り向こう脛を重量感のあるテーブルにぶつけた.
ごん,という鈍い音からしても相当痛かったのだろう,顔をゆがめてその場にしゃがみこむ.


「いっ,たぁー……」

「……君ってそんなドジだったっけ」


腕を組み,冷たく見下ろす雲雀.


「うう……委員長からいたわりの言葉を聞く日はいつ訪れるんだろう」

「君には一生来ないかもね.で,何の用なの」

「ああ,そうそう.ちょっと書類に不備があって……あ」


足をぶつけたときに,開いていたページを閉じてしまったらしい.
どこだろう,と言いながら書類をめくって探す名前.
しかしその探し方が,睫が触れそうなほど紙に目を近づけて舐めるように読むものだから,さっぱり要領を得ない.


「……ごめん,ちょっと見つからないや.後にする」

「そう」


「なんで付箋貼っておかなかたんだろう」と呟きながら,肩を落として座っていたソファに戻ろうとする名前.
しかし今度は,テーブルの上に置いてあった紅茶のカップに手をひっかけ,中身を盛大に撒き散らした.


「うわ,あつ!あつい!」


高温の液体を目いっぱい被り慌てふためく名前に,雲雀は手近にあったタオルを投げて渡してやる.



「あー,ありがと委員長……」


情けない顔をして自分の体と部屋に飛び散った紅茶を拭く彼女を,雲雀は呆れたように眺める.


「どうしたの,名前.いつも変だけど,今日は特に変だ」

「……実は,今日コンタクト落としちゃって」

「君,もしかしてすごく目が悪い?」

「裸眼の視力は無に等しい,ね」


さっきから行動がおかしかったのはそのせいか,と納得する雲雀.
そのとき,応接室に新たな来客があった.
ノックの音に続いて,草壁が中に入ってくる.


「失礼します,委員長.ああ,名前さんもご一緒でしたか」


そう声をかける草壁に目を細めながら近づき,顔と顔をぐっと近づける##NAME1##.草壁もその異様な挙動に気おされたのか,眉根を寄せてやや身を引く.


「……どうかされましたか,名前さん」

「あ,草壁君か.ごめんね,今日ちょっと,見えなくて」


名前はやっと草壁から離れ,敬語じゃなくていいって言ってるのに,などと苦笑いする。その様子をみて,雲雀は嘆息した.


「名前,もう今日は仕事にならなさそうだから帰っていいよ」

「……確かに,そうかも」


じゃあお許しも出たことだしお先に,と言って,名前は身支度を始める.
ふと気づいたように,それに雲雀は声をかけた.


「そういえば,僕のことは入ってきて直ぐに判ったよね.どうして」

「ああ……なんでだろ?でも,委員長のことは直ぐ判るよ.雰囲気かなあ」

「……」


ではまたね,とひらひらと手を振って部屋を出て行く名前.
それを見送る雲雀の顔に笑みが浮かんでいるのを見て,草壁は驚きを隠せなかった.
委員長が誰かを「咬み殺」そうとするとき以外で微笑みをみせるのは,そうそうあることではない.
まじまじと顔を見つめる草壁に気づいた雲雀はすぐに無表情に戻り,「なんなの」と問う.


「いえ,……委員長のご気分が,良さそうにみえましたもので」

「僕が?まさか.気のせいでしょ」

「ですが……」


じろりと睨まれ,続く言葉を飲み込む草壁.
伊達に長年補佐をしているわけではなく,その判断は賢明なものだったが.

どうも自分の上司はご自身の感情には疎いのではないか.
そう思うと,なんだかこれから自分がいろいろ苦労しそうな予感がして,当人には聞こえないようにそっと陰でため息をつく草壁であった.




(了)



*「オビタ・ディクタム」はラテン語で,「傍論」.


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あきゅろす。
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