Watcher in the Dark(彼の災難)



この世界に神とか創造主といったものがいるなら,そいつはきっと今頃仕事を忘れて気分良く眠りこけているに違いない.
若しくは,人の困窮するさまを眺めるのが楽しくてしょうがないような,とんでもなく意地の悪い心の持ち主か,だ.

なにしろこの僕を,
“クローゼットに隠れる”
なんていう,この上なく莫迦莫迦しくも情けない境遇に置こうっていうのだから.

しかも,名前と共にぎゅうぎゅう詰め,というおまけつきだ.あまりに素晴らしすぎる状況に泣けてくるよ.
なんだかこいつと組んでからというもの,僕のやることなすこと全てが裏目に出ているというか,なんとも間抜けな結果に終わっている気がする.相性だのなんだのといったものははなから信じない性質だけれど,ここまでくると星の並びの悪さも疑いたくなるというものだ.

兎に角,僕はこの狭苦しい空間で,そもそもの元凶ともいえる名前を腕にすっぽりと収めたまま,しばらくの間じっとしていなければならないようだ.他人の家のクローゼットから突然現れたのではいくら僕でも申し開きの余地がない.
ああ面倒くさいことこの上ない.寝ようかな.

暴れだしたいくらい最悪な気分になんとか折り合いをつけて瞼を閉じると,腕の中の物体が急に肩で息をし始めた.これ以上一体何だというのだろう?

「どうしたの.静かにしてなよ」

外に声が漏れないよう,僕はできるだけ音量を絞って,触れるか触れないかくらいに耳に唇を近づけ囁く.
扉の外からわずかに光が入ってくるばかりの薄暗闇のなか,名前は息を荒くして左胸のあたりを手で押さえながら,首から上をゆっくりとこちらに向けた.表情は陰になってよく読みとれない.まさかここで心臓発作とか,コントみたいなことは言わないだろうな.

「さ,酸素が」

「は?」

「酸素が,足り,ない」

「……」

馬鹿も休み休み言え.
そう怒鳴りつけてやりたいところだが,何しろ今は一蓮托生の身.外の二人に気取られないように大人しくしていてもらうのが,僕にとってもこいつにとっても最優先事項だ.

「いいから,とにかく落ち着いて.外に聞こえる」

「それ,出来れば,苦労は」

「無理して喋らなくていい」

「し,心臓,止めて,私の」

「……それだと君が死ぬことになるよ」

混乱を極めた発言に,呆れて名前を見下ろす.相当動揺しているらしい.
仕方ないな.他人と物理的に接触をするのはあまり愉快ではないんだけれど.
僕は名前の背中に手を回し,もう片方の手で頭を肩口に抱き寄せる.一瞬びくりとした反応が伝わってくるが,そんなことには構っていられない.

「ほら,ゆっくり深呼吸して.できる?」

「うぅ……ご,めん,委員ちょ」

「黙って」

「はい」

こんな素直な反応が返ってくるのも緊急時だからか.自分に余裕がある状況だったら,こんな状態の彼女をからかって遊べたのにな,とすこし口惜しくおもう.
軽く背中を撫でてやりながら暫くそうしていると,名前も徐々に落ち着いてきたようだった.どうやら見つかってはいけないという緊張状態で動揺していただけらしい.心臓発作じゃなくて良かった.
名前は軽く息を吐き,僕の体から頭を離した.

「ありがとう.もう大丈夫」

彼女は若干気まずそうに礼を述べたあと,扉の隙間からそっと外の様子をうかがう.
木の板一枚隔てたこちらで僕らがばたばたしている間,監視対象はつつがなく平穏な時間を過ごしていたようで,楽しそうにお喋りを続けている.そのあまりにほのぼのとした雰囲気は,二人の周りに田園風景が浮かんでくるような錯覚すら覚えさせる.互いに気があるはずの年頃の男女がこんなに健全でいいのだろうか.こちらとしては願ったり叶ったりではあるのだが.
ぼそぼそと聞こえてくる会話内容に耳を澄ますと,今現在の話題の中心はこの腕の中にいる女についてらしい.男のほうが,いかに自分の妹がよく出来ていて可愛いかというエピソードを幸せそうに語っている.
とりあえず,この男の明らかな欠点がひとつ判った.
シスコンだ.それも重度の.

「君の印象操作,成功してるよ」

「……うん」

同じく耳をそばだてていた名前に皮肉交じりの言葉をかけてみるものの,上の空の返事しか返ってこない.
顔を覗き込んでみると,兄に褒められているのが余程嬉しいらしく,正に「にやけている」というワーディングがぴったりの幸せそうな表情を浮かべていた.
僕にはそんな顔見せたことない癖に.そう思うとなんだか腹の底にもやもやとした思い塊が沈んでいるような,なんともいえない不快感が湧きあがってきて,なんとなく名前の頬をつまんだ.むに.意外と柔らかい.

「なに?痛い」

驚きと抗議の入り混じった目を向けられ,僕は「別に……なんとなく」と手を離す.名前はまだ納得がいかないような顔を向けるが,何故そんなことをする気になったのか,自分でも説明がつかないのだから仕方がない.
僕はその視線を避けるようにうつむき,背後から顎を名前の肩の上にのせて力を抜いた.

「寝る」

「え」

「出られないんだから,見ててもしょうがない.精神衛生上悪いだけだ」


出られるようになったら起こして,と言い残して目を瞑る.
名前は体温が低くて冷たいイメージだったけどこうして抱いてみると温かいんだな,だとかとりとめのないことを考えながら,徐々に眠りに沈んでいく.
どうしてだか,あれほど嫌だった筈の他人の体温を不快に感じていない自分に気づいたのは,意識が完全にフェイドアウトする一瞬前のことだった.



*タイトルは「Dancer in the Dark」から.

[前へ][次へ]

第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!