Sweetheart(彼女とあの人)…2


そんな会話があったのが,3日前.
そして委員長に泣きついたのが,2日前のことだ.


「……で,君はいいよって言ったの」

「あの状況でネゴれるわけないでしょ……」

「まあ,そうだろうね」

「どうしよう,兄の部屋で兄さんとあの子が二人っきりなんて,耐えられない……ッ」

「同感だ」

「じゃあなんでそんなに落ちついてられるの!」


やり場のない焦燥感を思わずぶつけると,委員長は厄介そうに私を一瞥し,嘆息した.


「僕に考えがある」

「考え?」

「そう.だから,当日まで大人しくしてなよ」


そうなだめられて,完全には不安が払拭できないままでも,私は仕方なく頷き.
そして運命の日はやってきた.


時は放課後,所は我が家の二階にある,この私,苗字名前の部屋.
今までなんの手立ても打たないまま,委員長と私はここにいる.


「名前,ほんとうにここに住んでるの」

「正真正銘,私の部屋だけど」

「綺麗すぎて生活感がない」

「あのね.同居人が好きっていう人間の心境を考えてよ.家こそ主戦場なんだから,汚くしておける訳無いでしょ」

「……気が抜けない生活だ」

「ほんと,安らげるのは委員長とふたりの時だけだよ」


実際,それは世辞でもなんでもなく,本音だった.
家にいるときはもちろん,学校生活でも,どんな評判が兄の耳に届くか判らない.
だから私はいつもできるだけ気を張って,きちんとした振舞いを心がけていたものだ.

そんな私にとって,何も隠さなくていい相手と一緒にいるのは,とても気が楽になることだった.
どうせ最初の出会いが酷かったものだから,今更委員長相手に取り繕うこともないし.
はじめは委員長のことを,傲慢で尊大でなるべく関わりたくないと思っていたけれど――――いや,今もその傲慢で尊大という印象は全然変わっていないのだが――――いつしかあの応接室の居心地は,自分にとって好ましいものになっていた.

今ではすっかりあそこは私の根城となって,大して用がなくても居座っていることが多い.
風紀委員のなかで唯一共闘の事情を把握しているらしい草壁君とも仲良くなった(もっとも彼はまだ私に対して敬語を崩してくれないのだが).
あの場所でのんびり肩の力を抜いて軽口をたたきあうのは嫌いじゃない.そうなったのは,公園での一件があったころからだろうか.



「で,委員長の考えってなに?ぐずぐずしてると,兄さん達が帰ってきちゃう」

「これ」


差し出された委員長の掌には,ごく小さな黒い電子機器.
よく目を凝らしてみると,先端にレンズのようなものがついているのが見える.


「……カメラ?」

「ご名答.性能のいい小型カメラを手に入れるのに今日まで時間がかかってね.集音マイクもついてる」


つまり,委員長の策とはこういうことらしい.
兄たちの留守の間に,部屋にカメラとマイクを仕掛けておく.
受像機は私の部屋に置き,私と委員長はそれを監視し続け,兄たちがいい感じになりそうだったらすぐさま妨害に入る.
「兄さん,お茶淹れようか?」なんて,偶然を装いながら,絶妙なタイミングでドアを開けるわけだ.

単純でありながら外道なアイディア.
正にこれから!って時に邪魔が入れば,まず十中八九しらけてくれるだろう.



「流石委員長.しかしこの前から尾行だの覗き見だの,インモラルだなあ」

「と言う割に,躊躇ないね」

「今大事なのは手段が汚いかどうかじゃなくて,実効性があるか否かでしょ.早速取り付けよう」

「……君にモラルを語る資格ないよ」

「失礼な.私はこの件以外についてはモラリストですよ」


私たちは兄の部屋に侵入し,カメラの取り付け場所を探す.
部屋全体が俯瞰できて,なおかつ見つかりにくい場所.一体どこが適しているだろう.
思案しながらあたりを見回していると,突然家のドアが開く音が聞こえた.
それに続いて,「ただいま」という兄の声と,「お邪魔します」という長篠の声.


そんな馬鹿な.
兄が帰ってくるのには,授業時間からしてまだしばらく先のはずだ.
予想外の事態に私は一瞬思考停止してしまい,同じように動きを止めた委員長と目を見合わせる.


「まだ帰ってこないんじゃなかったの」

「そのはず,なんだけど」


慌てる私に追い討ちをかけるように,「名前?まだ帰ってないかな?」などと言いながら階段を上ってこの部屋に近づいてくる足音が聞こえる.
このままここに居て現場を押さえられては不味い。


「とにかく,ここから出なくちゃ」


やっと我に返ってドアに駆け寄ろうとすると,委員長に腕をつかまれて阻まれた.


「委員長!」

「もう遅いよ.今出たら丁度鉢合わせる」

「じゃあ隠れなきゃ!」


私は近づいてくる足音に焦りながら部屋を見回す.
この中で二人の人間が隠れられる場所といえば……


「クローゼット!」


私は委員長の腕を引き,クローゼットの中に彼を押し込めるようにして自分も入り込む.
元々そこそこの広さはあるはずだが,服やらなにやらが場所を占めており,人間二人が入るのは相当に窮屈だった.
なんとか全身を収めて扉を閉めようとするが,内心の焦りもあってなかなか上手く閉められない.
そもそもクローゼットは中から閉めるようには出来ていないのだ.閉めるべき取っ手がついているはずもないから,わずかな突起をつかんで閉めようとするが,手は空しくがりがりとそこを引っかくだけ.
どうしよう,どうしよう!

パニックになりかけた時,後ろからにゅ,と委員長の腕が伸びてきて扉の出っ張りをつかみ,やっとクローゼットが閉まりきった.
それと同時に部屋のドアも開き,兄と長篠が入室してくる.
正に,間一髪.


私はほっと安堵する.
長篠がいるのにここを開けるようなこともないだろうし,上手い具合に扉の隙間から部屋の様子を伺うこともできる.
予定とは大分ちがうことになったが,まあ,終わりよければ全て良し,だ.

そこで私ははたと気づいた.

これじゃ,仮に兄たちがいいムードになって告白とかしそうになっても,出て行けないじゃないか.
二人で出て行った瞬間品性とかいろんなものを疑われ,信頼とかいろんなものを失ってしまう.
終わりよくない,全然よくない.


明らかな作戦失敗に,思わず眩暈がしそうになる.
もしかしたら,こんな狭苦しいところに何時間もいる羽目になるのか…….
そう思って,ふと狭苦しさの原因を意識する.
ばたばたしていて気にしていなかったけれど,今私と委員長はかなり密着した状態にある.
座った状態で委員長が私を後ろから抱きかかえるような体勢だ.

自分のものとは違う体温を改めて意識すると,なんだか急に自分の動悸が早くなった気がした.


(うわ,なんで)


今まで兄以外の人と接触しようが何しようが,何も感じたりしなかったのはずなのに,おかしいな.
クローゼットに隠れているという異常な状況のせいだろうか,きっとそうだ,そうなんだろうけど.
冷静になろうとすればするほど変に意識が密着部分に集中してしまい,ドキドキして息苦しくなる.


(一体どうしたの,私の体!)


下手に動けば兄たちに気づかれてしまうから,体を離そうと身じろぎすることもできず.
焦りばかりがつのり,動悸息切れは一向に止まってくれない.
私はここに来て突如反乱を起こした自分の心臓部分をぎゅっと手で押さえ,目をつぶった.




*タイトルはマライアの曲から.ちなみに「ネゴる」はnegotiationするということです,念のため.

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あきゅろす。
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