Sweetheart(彼女とあの人)…1



掃除機の音がどうも苦手だ.
無機質で無節操な音は騒音以外のなにものでもないうえ,洗濯機と違って嫌でも稼動時に離れられない.
もう掃除機界にブレイクスルーは起こらないのだろうか.完全無音の新型とかが出来たらいいのに.
そんな空想で不快感を紛らわせながら,私は家を掃除する.

男手ひとつで私たちを育ててくれている父の負担をすこしでも減らすため,家事は私と兄とで分担してこなすのが,我が家の暗黙のルールになっている.
もうずっとそうやって暮らしてきたから,周りと比べて特にそれが辛いとか大変だとかは今更思わないけれど,そういった理由から掃除だけはあまり好きになれない.

家中に掃除機をかけるのはなかなか重労働で,ひととおりかけ終わったあとはうっすらと額に汗がにじんでいた.
ダイソンとやらは吸引力が凄いらしいからもっと楽になるのかなあ,でも音はもっと五月蝿いらしいし……などと妙に家電に詳しくなってしまい,なんだか所帯じみたことを考えてしまう自分がちょっとさみしい.
思春期の女の子が憧れるべきなのは,洋服やらアクセサリーやらであって,決して吸引力ではない筈なのだが.

各自の部屋だけは基本的にそれぞれが掃除することになっているのだが,私は「気の利く子」として,当然兄に声をかけることにする.
こんこん,とノックをしてドアをあけると,勉強でもしていたのか,BOSEのヘッドホンを耳にかけながら机に向かっていた兄が振り向いた.

美人は三日で飽きるというけれど,十数年一緒にいる兄のことは未だに見るたび格好いいと思える.私の頭は相当お花畑だ.


「丁度掃除してたんだけど,ついでに兄さんの部屋にもかけようか?」

「いいのか?じゃあ,頼もうかな.ありがとう,名前」


ううん,とにっこり笑って私は掃除機のスイッチをいれる.
こういった日々の積み重ねがいつか実を結ぶ,と信じたい.
兄に背を向けて手を動かしていると.


「そういえばさ.名前は雲雀恭弥って人と仲がいいんだって?」


……何かいま,不吉な名前が聞こえた気がするが.
きっと気のせいに違いない.だってほら,掃除機の音が五月蝿いし.
私はスイッチをオフにして,兄に向き直る.


「ごめんなさい,よく聞こえなくて.誰,って言ったの?」

「雲雀恭弥くん,だよ.長篠サンから聞いたんだ」

「……」


そうか,ついに伝わってしまったか.
委員長と長篠が幼馴染で,おまけに同じ学校にいる以上,何らかの形で私と委員長の繋がりが発覚することはもちろん覚悟していた.
協力していることは知られないに越したことは無いし,変に仲を勘ぐられても面倒だから,できれば隠しておきたかったのだが.
それにしても兄の口から委員長の名前が出るのには異様な違和感がある.何故だ.


「長篠サンと幼馴染なんだってな.勉強も運動もなんでもできて頼りになるすごい人だって,とにかく褒めてたよ」


恐るべし,長篠フィルター.
世界広しといえども,あの仏頂面で無愛想で唯我独尊な委員長を好意的に褒めちぎれるような人間は他にはいまい.
とはいえここで私がそれを否定するのは得策ではない.
他人の悪口を言う女の子が,どうひっくり返ってみたって可愛く見えないのは判りきっている.


「……うん.転校したばかりの私に,よくしてくれるよ」

「そっか.名前って今まであんまり特定の男と親しくなったりしなかったから,なんかおれ,しみじみしちゃうな.娘を嫁にやるお父さんの気持ちがわかるっていうか」

「やだ,そういうんじゃなくて,ただの友達だよ.……兄さんのほうがずっといいもん」


チャンスは逃さず,ここぞとばかりに私は上目遣いでアピールする.
鏡の前でひとり,自分が一番可愛く見える角度を研究した成果だ.……今まで,他人がその姿を見たら涙がちょちょぎれるようなその努力が,報われたことはないけれど.
今回も,勇気を出して放ったアピールの効果はまったくなかったようで,兄は憎らしいくらい爽やかな笑みを見せ,私の頭をくしゃくしゃと撫でる.


「はは.名前はホント,お兄ちゃんっ子だよな.おれとしては,可愛い妹がいつまでも懐いてくれて嬉しいけど」


(……ちょっとくらい動揺してくれたっていいのに)


ここまでスルーされると,単に私が妹だから異性として全く意識されてないだけなのか,そうじゃなくて私の魅力が全然ないから何の反応もないのか,自信がなくなってくる.
そんな不満も兄の優しい笑顔を見ていれば,どうでもよくなってしまうのだけれど.
……でももうすぐ,この笑顔を独占することはできなくなる.「彼女」が出来たら,「妹」はその立場には敵わない.


「……ねえ兄さん.兄さんのほうこそ,長篠さんと仲良くしてるの?」

「ああ,そのことなんだけど.今度うちに呼んでもいいかな,名前にも会わせたいし」

「え……」

「そうだ,その雲雀くんも一緒にどうかな?長篠サンと幼馴染だっていうし,名前とも仲がいいなら丁度いいよ.皆で晩御飯でも」

「……」

「いいよな,名前」


にっこりと微笑む兄に,私はもちろん,NOということはできなかった.




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あきゅろす。
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