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恋ひ侘ぶ




例え酒が苦手であろうと付き合いとして宴会の席に付かなくてはならないことが幸村ほどの武将になると度々ある

そのたび幸村はお猪口一杯を少しずつ飲んでは宴会が終わるのを待つ

飲めと言われれば飲めるが呑まれてしまっては意味がない
幸村はどうにも酒の良さがわからなかった


そして、やっと席を外せる頃、早々に立ち去ろうと、名のある武将に挨拶を交わし部屋から出ようとした時

「真田殿」


声を掛けたのは今武田との関係が最も危うい者だった

幸村は用心しつつ相手を振り返る


「呼び止めてしまって申し訳ない。何やら真田殿は酒が苦手な御様子だったので…」

これを、と高価そうな包みを幸村に手渡した

「これは…?」
「何、酒の肴ですよ。真田殿ぐらいお若いと酒より肴かと思いまして」

相手の目を探るように見つめるが、相手からは殺気も敵意も感じられない

今一度武田に取り入ろうとしているのか只心根の柔らかな者なだけなのかそのどちらかだと幸村は笑顔でそれを受け取った

「では有り難く頂戴致す」
「またご出席なされ」


そして手土産一つ、あるべき自分の部屋へと帰った






「おかえり旦那、相も変わらず酒の席の帰りは早いねぇ」
「うむ、やはり酒は好かぬ」

そう眉をひそめる主が珍しく手土産を持っていたので佐助はそれを見つめ、尋ねてみた

「それどうしたの?旦那が手土産持ってるなんて珍しい」
「あぁ、これか」

と言って高価な包みを開きながら戴いた武将の名を佐助に告げる

「ふぅん…旦那に声をかけるとはね…」

訝しげにその肴を見つめるが、幸村は笑みすら浮かべ、これは好意だ。と言う

「人から戴いた折角の気持ちだ。有り難く戴くぞ」
「はいはい、じゃあ用意してくるからね」

その前に、と佐助は幸村の唇に人差し指を当てた


「いつ敵になるかわからないような人から贈り物は貰っちゃ駄目だからね。旦那は自分の置かれてる立場考えなよ」

今回は許すけど、とため息をついて佐助は姿を消した


「俺は人を疑いながら生きたくはないのだ…」

佐助の指が当てられたまだ冷たさの残る自分の唇をきゅっと結んだ






肴と言っても対した量を貰ったわけでもなく、茶を入れて盆に載せてくるぐらいのはずだが、待てども待てども佐助は一向に戻って来ない


あの優秀な忍が何も告げずにどこかに消える訳もなく


佐助、と呼んでもみるが返事はない
悪戯にしてはあまりに長い時間だ


もしかしたら肴の他にも何かを手掛けているかもしれない、と台所へ向かった




台所からは薄く灯りが漏れている

しかし中からは何かを用意する音は聞こえなかった

更に台所の戸に寄り、耳を澄ますがくぐもった音しか聞こえない

「…?」
ゆっくり戸に手をかけ引こうとした時、


強く感じる錆の匂いが鼻についた

戦場に似たあの匂い

どくり、と心の臓が跳ね、呼吸が速くなる


「佐助!」
勢いよく戸を開け、台所に入る

「旦那、どうしたの?」
すると盆を持った佐助が竈の前にいた

「もしかして遅くなっちゃった?すぐに持ってくよ。ほら、部屋に戻って」
目の前の佐助は至って平常通りだった

あの匂いは一体…勘違いだったのかと思おうにも台所には勘違いと思えるような程度ではない位酷く充満している魚や鳥などのような生易しい匂いではない


この匂いは正しく人の血、だ


「旦那?」
佐助の側にずい、と寄って目を凝らす
この薄明かりの中確かに佐助の頬は血の気がないのが解った


小さく揺れる火のついた燭台を手に持ち、佐助の背後の薄暗い水洗い場にまわった

「あっ、駄目!旦那!」

盆を投げ出し、幸村の腕を掴むが構わず水洗い場に燭台を傾けた


そこには薄明かりでもはっきりと解るほど鮮やかな色が散らばっていた



夥しい血と吐瀉物


「おま…え…」
「…あー…あ。バレちゃった」

その途端、まるで堰を切ったようにむせかえる佐助
ごぽりとまた血を吐きながらも何時ものような笑いを顔に張りつけたまま幸村をみた

それが酷く幸村を苛立たせる
「っ佐助、貴様!」

胸ぐらを掴んで佐助を持ち上げる
右の拳を振り被るが、佐助は逃げようとはしなかった

荒い息と酷く近くに感じた血の匂いに幸村は拳を止める
そして佐助を離した

「何故、このような…何故だ…」
解っている。先刻頂戴した肴に毒が仕込まれていたことも。そしてそれを毒味として佐助が食したことも
だが解っていても気持ちは晴れない
苦しげに血を吐く佐助を救う術を持たない自分が腹立たしく、そして気を許した自分に腹立たしく、其処までして体をはる佐助が腹立たしかった


幸村の握りしめた拳から血が伝うのをみて、佐助は僅かに整い始めた息でぽつりと呟いた

「…旦那を…喜ばせたかったんだ」

その言葉に幸村は何か拙い気持ちが喉元まででかかった
だが伝えるには足りなすぎて、更にもどかしさが増えるばかり


「旦那があんなに喜んで、人を信じようとしてるから…俺達は信じることが出来ないものだから。だから、旦那の純粋な気持ち、踏みにじりたくなんてなかった」

そのためにその様な辛い体を引きずってまで肴を用意したのか。何もかも一人で背負う気だったのか

やはり拙い気持ちはうまく言葉に出来なくて、それでも決まっている事があった

「俺が何よりも信じているのは佐助だけだ。佐助を信じられればそれだけで、構わぬ」

だから、お前を一番に考えろ、と佐助の腰をかかえて引き寄せた

佐助はいつものような微笑みを携えながらも少しだけ、泣いていた


「全く…かなわないなぁ…旦那には」


幸村の拙い気持ちを表現した様な、甘くもあり苦い口付けは言葉に出来ない、不器用なものを二人に共有させた



錆に似た錆びない気持ちが口いっぱいに広がった




「後」→



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あきゅろす。
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