孤独な月を 神は笑った SEI 「トリニティ、居るか?」 二頭立ての馬車で4日掛けて目的地に辿り着いたグロリアは、疲れた様子も無く凛と声を発した その声が響いたのは、所々水滴の滴る洞窟だ。しかし1歩足を踏み入れれば、そこはグロリアの部屋に引けを取らないだけの豪華な部屋に変貌を遂げる 「……久し振りね、グロリア。何十年振りかしら?」 「あぁ、随分会わなかったからな。変わらんな、おまえは」 「グロリアこそ。あたし達は歳を取らないんだから当然だけど」 洞窟の奥−−いや、部屋の奥から現れたのは、グロリア同様人を魅力する美しさを持った美女だった ブロンドの髪はわずかな光も反射してキラキラと輝いている。日の光を長く浴びていないのか、肌は透けるように白かった 「グロリアがここに来た理由は知ってるわ。まるで人間みたいになっちゃったのね。あなたは誰よりも“魔女”らしい女なのに」 「…トリニティなら、あれの正体を知っているだろう?」 「えぇ勿論。でも“魔女”同士の取り引きは高くつくわ。あなたがあたしに、何をしてくれるのかしら?」 「おまえの望むモノをやろう。わたしにできる事なら何でもする」 「あら、そんな言葉、軽々しく使わない方が良いわよ?…逃げられなくなるから、ね」 口元に手を当て、トリニティは上品に笑った。外界との関わりを極端に嫌うトリニティは、ほとんどこの洞窟を改造した家からは出ない ただしグロリアよりも長く生きていて、持てる知識と経験の差は歴然だ。トリニティの方が良い“眼”を持っているし、グロリアからしてみれば先輩のような存在だ 「そうね、何でも…と言うのなら、あなたの心臓を貰おうかしら。美しさと若さを保つ為には最高の方法よね」 「…それは、」 「“魔女”の心臓なんて滅多に手に入らない。あたし達は、喉から手が出る程欲しいモノなのよ」 トンッと軽く心臓の真上に触れられる。それだけの事なのに、全身に冷水を浴びたように血の気が引いた 魔女に心臓を奪われるという事は、即[スナワ]ち死を意味する。人間に心臓を刺されても死ぬような事は無いが、相手が同じ魔女なら話は別だ 魔力を奪われ、魂まで喰われて死ぬだろう。そうやって“魔女”は己の力を増やし、魔力を高めて生きるのだ。勿論他の方法で魔力を増やす事の方が多いが 「他のモノなら要らないわ。あたしが生きていくのに必要なモノは全てここにあるもの」 「−−ならばわたしは、おまえを喰らうしかなさそうだ」 グロリアはそう言って、右手に黒い大きな鎌を出現させた。正直な所、初めからこうなるだろうとは思っていた トリニティは気紛れで扱い難い魔女だ。彼女との付き合いはもう長いが、未だに何を考えているのか分からない事がある 知恵を、あるいは力を貸してくれと頼んで、素直に貸してくれるはずがないと分かっていた。しかしグロリアはユリアンの為にも、諦めるわけにはいかなかった 「…あなたの未来は、きっと幸せではないわ。あなたにもそれが分かっているはず。それでもその武器をあたしに向けるの?」 「おまえには分からんだろう、トリニティ。1人は退屈ではないか?」 「“魔女”が何故独りなのか、あなたはまだ気付かないのね。1度過ちを犯してみないと分からないタイプかしら」 グロリアに鋭く睨まれているというのに、トリニティは依然として上品な笑みを崩さなかった。きっと、彼女には未来がどうなるのか視えているのだろう グロリアはもう躊躇わなかった。今こうしている間にも、あの黒い陰がユリアンを苦しめているかと思うと、居ても立っても居られないのだ 「−−ねぇ、グロリア。力を欲する者はいずれ力に喰われて死ぬわ。あたしはそんな人間を、魔女を、沢山見て来た。だからあたしは洞窟[ココ]に要るの。 貪欲で強欲で罪深いあなた達は、いつか自分の愚かさに気付くのかしら。“魔女”の本質にあなたが気付くのはいつかしら。 ……きっとそれは、グロリアが世界に、自分に、絶望した時ね…−」 トリニティの独り言のような最期の言葉は、グロリアの耳にいつまでも残って消えなかった。が、言っている意味も、意味深長過ぎて良く分からなかった ただユリアンの為に力が必要で、忠告にも似たトリニティの言葉の意味をきちんと理解できたのはもっとずっと後の事だ。この時のグロリアは、とにかくトリニティの心臓に歯を立てる事しか頭になかった まだ温かい心臓に犬歯が刺さった瞬間、トリニティの魔力が全てグロリアに流れ込んだ。その強大すぎる魔力はグロリアでは制御できず、暴走して洞窟の至る所を破壊し始めた 「うっ、…く……」 まだ若く魔女としては未熟だったグロリアが手に入れるには、トリニティの魔力は大き過ぎたのだ 一気に脳内に流れ込んでくる知識と情報、身体中に溢れる魔力。それはグロリアを蝕[ムシバ]み苦しめた グロリアの魔力に耐えきれず、洞窟は崩落していった。トリニティが死んだ瞬間に、部屋だった様子は失われている 入口は大きな岩に塞がれ、光すら遮られた。しかし不思議な事に、グロリアの周りだけは見えない何かに守られるように岩は落ちて来なかった 頭を抱え必死に情報と魔力を整理しようとするが、上手くいかない。四苦八苦してようやくグロリアがその洞窟だった場所から出られたのは、城を出て1年以上経ってからだった 「−−グロリア、あなたが辿り着く先は、きっと地獄でも天国でもない場所よ。そこには、あなたが望んだモノがあると良いわね…」 †Before††Next† |