孤独な月を 神は笑った
CINQUE
その不穏な陰にグロリアが気付いたのは、ユリアンが城に住むようになって5年も経った頃だった
きっかけは何だったか、確かユリアンの周りに黒い陰が見えた事だった気がするが、何分昔の事なのでグロリアはもう覚えていない
初めは気のせいかと思って気にも止めていなかったが、無くなるどころか日増しに濃くなっていく陰に、不安になったのだ
ユリアンに訊いても特に体調も悪くないし、心当たりは無いと言う。その陰の正体は、グロリアにも分からなかった
ただ自分が“魔女”である以上、その瞳に映るものを無視する事はできなかった。災いの前兆か、あるいは虫の知らせか
グロリアは書斎に籠ってあらゆる文献を調べたが、同じような事例はどこにも載っていない。心当たりも無い
日を追うごとにグロリアの不安は勝手に肥大して行った。理由も分からず、何に怯えているのかも分からず、ただ怖くて仕方が無かった
「シャドウには、見えぬのか…」
「はい、恐らくその陰が見えているのはグロリア様だけだと思います」
「おまえにも、何も分からんか?どんなに小さな事でも良い、似たような話を聞いた事は無いか?」
「私はこういった事には不詳なもので…。グロリア様のお仲間には、分かる方はいらっしゃらないのですか?」
「さあな…、如何せん連絡は取っていないし、わたし達は仲間同士の馴れ合いを嫌うのだよ。
…しかしそうも言っていられんか、一刻を争う事態ならばそれに備えなければならないな」
「はい、城の事はお任せ下さい」
「あぁ、おまえになら任せられる。城だけではなく、ユリアンの事も頼むよ」
どこか苦笑いを浮かべてシャドウの肩を叩き、グロリアはユリアンの元へ向かった。彼の為にも、あの陰の正体を早く突き止めなければならない
近くに居る知り合いの魔女の所に行って、助言を貰えればベストだろう。しかし1番近い魔女でも、随分遠い所に居る
この頃のグロリアはまだ瞬間移動の能力を得ていなかったので、交通手段として主流だった馬車でその魔女の元へ行かなければならなかった
往復で1週間程掛かるだろうか。そんなにも長く城を今まで空けた事は無く、シャドウに任せるとはいえグロリアも不安だった
「ユリアン、居るか?」
「…グロリア、どうしました」
聖職者であるユリアンは、グロリアの城に来てからも毎日神に祈る事を止めなかった。グロリアもそれを咎めたりはしない
ただ、ユリアンが祈っている時は、グロリアは彼の部屋に近付かなかった。神なんていないと知っているグロリアには、その行為が無意味としか思えないからだ
「邪魔をしてすまんな。しばらく城を空ける事になったから、知らせようと思ったんだが」
「城を?何かありましたか?」
「いや、大した事は無いんだが、少し知り合いに会いに行こうと思ってね。シャドウは残して行くから、何かあればシャドウに言ってくれ」
「そうですか…、いつ頃帰る予定ですか?」
「早くて1週間、といった所だな。相手も気紛れな奴だからな、はっきりした予定は分からん」
「分かりました。気を付けて行って来て下さい」
「あぁ。シャドウを頼んだよ」
祈りを中断してグロリアへと歩み寄り、ユリアンはグロリアの額にキスを贈った。初で何も知らなかったユリアンも、この城で長く暮らすうちに普通の男女らしい触れ合いができるようになっていた
元来フェミニストだったのか、ユリアンはレディファーストを徹底していた。グロリアを大切にしている、それはシャドウですら認められる事だった
「…ユリアン、わたしから離れるなよ」
「グロリア…?」
ユリアンに身体を預けながら、グロリアはそう呟いていた。離れて行くのはグロリアの方だ。些か的を射ていない言葉だった
しかし、言葉にしなければ不安に押し潰されそうだった。今までに感じた事の無い不安だったのだ
「…グロリア、貴女を愛しています。僕は人間ですが、できる事なら貴女と永遠を生きたいと思っています。僕はグロリアを独りにしない、神に誓っても良いです」
「神、か…。おまえがそう言うなら信じられそうだ」
「決してグロリアを悲しませるような事はしません」
力強く笑ったユリアンにようやく安心できた。もう1度強く抱き着いてから、グロリアはユリアンを離した
少し高い位置にあるユリアンの唇に触れるだけのキスを贈る。熱の籠った瞳で見つめると優しげな瞳が返ってくる
それはこの上なく幸せな事で、グロリアを溺れさせるには十分過ぎる程の毒を持っていた
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