孤独な月を 神は笑った
VENTI
かつんと鳴るはずだったハイヒールの音は真っ赤な絨毯に吸い込まれて消えた。3階からふらりと部屋に戻ったグロリアは、入口にもたれて室内を見やった
お気に入りのカウチソファやベッドに身を預けて眠る男達−−魔術を解いたのだから当然か、とグロリアは自嘲した
止まっていた時間を動かす反動で負担が掛かったり混乱しない為か、節目節目で生き物は眠ってしまうようになっている
3階で満足するまで“食事”をし体力も回復したグロリアは、すぐに時間操作を解いた。骸や雲雀に説得されずとも既に限界だという事は本人が1番良く分かっていたのだ
カウチソファを占領していたリボーンを床に落とす事で退かし、グロリアは空いたスペースに座る。彼らはまだ数刻は起きないだろうから、今が唯一“1人”でゆったりできる時間なのだ
時間操作を解くと同時に治癒能力も使ったお陰で今のグロリアの身体には傷1つ無い。それは幻でも偽りでもなく、完全に復活したのだ
自分以外動く者の居ない空間の中で、グロリアは深く座り徐[オモムロ]に天井を見上げた。先日越して来たばかりの新居にはまだ染みも埃も全く無い
何も無い虚空を見つめてグロリアは瞑想した。この先起こる出来事を、遂げなければならない使命を、掴み取るべき未来を思いグロリアは憂いている
予想以上に身体の負担が重く雲雀の特訓を途中で断念しなければならなくなってしまったが、グロリアは再度雲雀を鍛え直すつもりは無かった
元よりランボや笹川がこの特訓に呼ばれていないように−−正確にはグロリア直々の特訓に呼ばれていないだけで、各々別の所でグロリアの与えた試練に挑まされているのだが−−雲雀も焦って今強くする必要は無いと判断した
要らぬ事を喋り過ぎた自覚はある。彼らが余計な情を掛ける必要は無いのだから、黙っておけば良かった事実は沢山あるだろう
それでも口にせずにはいられなかった。誰かに聞いて欲しかったのだろうか、救いなど求めていないはずなのに
元よりその資格が自分にあるとは思っていない。己で背負うと決めた過去なのだから、そもそも痛みを感じる事自体おかしいのだ
そう頭で理解していても、理性が追い付いていないのか、時折グロリアは心の奥底から震え上がるような恐怖を感じる事があった
それは骸の槍で刺された時だったり、リボーンに銃口を向けられた時だったり、ツナの炎の熱を身体で感じた時だったりするのだが
今更臆す事など赦されるはずがない。そもそも事の起因は自分にあるのだから
一人寂しく息吐くグロリアの口元に浮かぶのは、他でも無い自分への嘲りを含んだ笑みだった
鼻腔を擽る甘い香りに触発されて、緩やかな微睡みの中に居た骸はゆっくりと目を開けた
見上げた天井は見慣れた自室のもので、ぼんやりとした頭で一体いつ戻ったののだろうと考えた
「…起きたか、六道骸。予想通りおまえが1番早い」
「グロリア?、傷は…!?」
「まだ起きるな、馬鹿が。わたしの魔力はいくらおまえでも悪影響だろう。回復するまで休んでおけ」
身を起こそうとした骸は肩を押され再び寝具へと沈んだ。グロリアの言う魔力の悪影響というより、魔力の余波で身体が怠くなっているような気がした
実際無理に身体を起こしたせいか、くらっと目眩を感じた。骸が1番という事は他の皆はまだ眠っているのだろう
「アールグレイだ、飲め。少し目も覚めるだろう」
「グロリアが、淹れてくれたんですか?」
「シャドウはまだ寝ていてね。わたしが作っただけあって、シャドウは特に影響されやすいんだよ」
今度はゆっくり身を起こした骸は背中にクッションを置き姿勢を維持する。少し濃く淹れてあるのか、いつもよりも香りの強いアールグレイを一口含んだだけで随分意識がはっきりした
「身体は治したよ。いつまでも醜い傷はあって欲しくないしな、おまえ達の視線も痛い」
「では、もう万全なのですか?どこも痛みませんか?」
「ああ。絶好調だよ」
以前のように力強く笑って見せるグロリアを見て、骸もようやく安堵の溜息を吐いた。彼女を傷付けてしまった事実は消えないが、それでも幾らか心は軽くなった
「グロリア、その…。先日は、本当にすみませんでした。きっと何か理由があったんですよね、貴女のように聡明な方が意味も無く人を困難に立ち向かわせるはずがありません」
「…ほう、随分買い被られたものだな。わたしはおまえの敵かもしれないのだぞ?」
「そうですね、でも味方だという可能性もまだあるでしょう。僕はグロリアを信じる事にしましたから」
にっこり笑った骸とは対照的に、グロリアは呆れたように笑う。しかしその笑みから曇りが無くなっている事に気付いて、骸はほっと胸を撫で下ろした
「もう少し休むと良い。いくらユリアンの生まれ変わりでわたしの魔力に耐性があるとはいっても、おまえ自身が術を受けるのは初めてだからな」
「…グロリア、また僕が目覚めるまでそこに居てくれますか?」
「おまえは子供か。城でシャドウを待たせてあるからな、わたしは早く戻りたいのだよ」
言葉通り大人しくベッドへ戻った骸の肩までシーツを掛け直してやる。見下ろした骸はグロリアの返事を分かっていたように笑っているが、眉尻は下がり残念そうだった
「…おまえが起きるまで側に居てやる事はできないが、寝るまでなら居てやっても良いぞ」
「本当ですか…?」
「ああ、だから早く寝ろ」
ベッドサイドの椅子に腰掛けたグロリアは、本当にそこに居てくれるつもりらしい。まさか自分の我儘を訊いてもらえるとは思っていなかった骸は、このまま寝てしまうのは勿体無いとさえ思った
「…良い夢を」
そっとグロリアの左手が骸の目元を覆う。心地好い暗闇と側に誰かが居るという安心感から、骸が深い眠りに落ちるのにそう時間は掛からなかった
グロリアが立ち去る間際、骸の赤い右目にキスを落としていた事を、骸は永遠に知り得ないのだろう
†Before†
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