孤独な月を 神は笑った
DUE
リング状に焼かれたシューにカスタードクリームを挟むパリ・ブレストというお菓子は、その昔開かれた自転車レースを記念して作られたものだ
必要以上に手間と材料費をかけない、昔ながらの素朴なお菓子。綺麗に六等分されたそれが、1つずつグロリアと雲雀の前に置かれている
「いらっしゃいませ、雲雀様。今日は何をお飲みになりますか?」
グロリアの前には予[アラカジ]め置いてあったティーカップに紅茶を注ぎ足し、以前より一回りも二回りも大きくなったシャドウが訊く
「僕は要らないよ。あまりゆっくりして…」
「シャドウ、雲雀恭弥には煎茶を出してやってくれ」
「畏まりました」
暢気にグロリアとお茶する余裕は無いのだが、グロリアの指示を受けたシャドウは一礼して一旦部屋を出て行く
大きな体を左右に揺らし、のそりのそりと二足歩行するツキノワグマはまだ見慣れない
ようやくウサギが起立しているのに慣れ始めていたのに、その数倍もあるツキノワグマでは違和感だらけだ
「そんなにシャドウが気になるか。ねだってもやらんぞ?」
じっと見すぎていたのか、正面に座るグロリアにくすくすとからかわれてしまった
「そんなんじゃないよ。ただ、ウサギの方が家事も薔薇の世話もやりやすかったんじゃないかと思っただけだ」
「まあ多少の不都合はあるだろうがな。シャドウは優秀だからすぐに慣れるさ」
いつものように香りを楽しんでから、紅茶を一口啜る。シャドウの淹れる紅茶はいつ飲んでも最高に美味しかった
「なんで君、相変わらずバンダナしてるの?1度見せたんだから今更隠す必要無いだろ」
「隠したいわけじゃないさ。見たくないものを視ない為だと言っただろう?これを外すのは余程大きな魔力を使う時か、視る必要がある時だけだよ」
「良く分かんないけど、まあ良いや。なんか骸を見てるみたいでムカつくしね」
「そんなにあいつが嫌いか?」
「嫌いっていうか、反[ソリ]が合わないんだよ」
「そうか、それは残念だ」
ナイフで小さく切ったシューを口に運ぶ。適度に柔らかく適度に歯応えのある固さで、文句の付けようが無い
「そう言えば、あの薔薇は持って来なかったの?この城の周りは丘のままみたいだけど」
「雨の日にシャドウに世話をさせるのが忍びなくてね、室内に引っ越したんだよ」
「…あれだけ大量の薔薇が部屋の中でも育つのかい?」
「それなりの手入れをしてやればな。3階のフロア全てで薔薇を育てている。細かい事が知りたければシャドウに訊け、わたしは知らん」
薔薇が自分の延命剤であるにも関わらず無関心なグロリアは既に自分の分のパリ・ブレストを食べ終わり、二切れ目にフォークを突き刺していた
毎日持って来る獄寺のケーキを、グロリアは普通に食べていた。食事は必要無いと言いながら、シャドウの淹れた紅茶と共に
「…なんで彼、ウサギからツキノワグマになったんだい。どうせ君の仕業なんだろ?」
「当然そうする必要があったからだよ。シャドウがウサギの姿を得てから百年余り経つ。そろそろ潮時だったのだよ」
「…何が?」
グロリアの言葉はいつでも難解だった。今まで“人間”とだけしか関わりを持たなかった雲雀にとって、グロリアの世界は理解の範疇を越えているのだ
「人間の身体もいつかは朽ちるだろう、それと同じだ。
以前のシャドウは知人に貰ったラビットファーを元に作ったが、しかしただの毛皮が何百年ももつはずが無い。わたしの能力を持ってしても、百年程度が限界なのだよ」
いつの間にか部屋に戻り、片隅で青い薔薇が描かれた洋風な急須を傾けるシャドウは、前にも増してその表情が分かり難くなった
毛色がグレーからブラウンになったせいだろう。雲雀には無表情に見えるその顔は、実際は悲しみに歪んでいた
「−−既にあのシャドウの身体は限界だった。四肢が動き難くなっていたにも関わらず新しい“身体”が見付からなくてね、シャドウには辛い思いをさせてしまった。
ようやく良いツキノワグマの剥製が手に入ってほっとしたよ」
「身体に良いも悪いもあるの?毛皮でも剥製でも良いなら、なんでもアリな気がするけど」
「そんなはずがないだろう。“シャドウ”と“身体”の相性というものがある。“シャドウ”に合う“身体”でなければ反発して当然だ」
「…良く分からないんだけど」
「要するに雲雀恭弥の中身を六道骸の身体に入れたとして、それで生きていけるか否かという事さ」
「無理。絶対無理」
「おまえの気持ち以前に、身体も中身も“自分”以外のものは受け付けないのが当たり前だからな。だから“合う”身体を探すのに苦労したんだよ」
「ふうん、臓器移植みたいなものなんだね」
「かなり違うが原理は似たようなものだな。身体はウサギからツキノワグマに変わっても、中身はどちらも同じ。記憶もあるし変わらず“シャドウ”だからな」
「ねぇ、彼の“中身”って何なの?僕らと同じ魂ってわけじゃないだろ」
「……今日は随分と質問が多いな、雲雀恭弥」
「ゆっくり周りを見渡す余裕を持てって言ったのは君だろ。それとも何、答えられないの?」
グロリアは3切れ目のパリ・ブレストを自分の小皿に取り分けながら、白いバンダナの下でそっと目を閉じた
シャドウの“中身”。人間のそれとは大きく異なる、複雑な呪詛と魔力によって未だにこの世に繋ぎ止めている絡繰
それを解説するには膨大な時間が必要だし、こういった事に精通していない者に解るように説くのは非常に難しいのだ
グロリアにとっては息をするのと同じような事。今更どうやって呼吸するのか言葉にするのが不可能なように、グロリアの能力は地球上に存在する言葉では現せなかった
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