ルチフェルの泪とサタンの唄声
04
具体策が見付からないまま、一夜が開けた。柘榴は安定剤のお陰で落ち着いていて、今は穏やかに眠っている
仕事を終え柘榴の部屋を訪れたツナは、柘榴の眠るベッドの傍らで分厚い医学書を開いているリボーンを見付け胸の内だけで苦笑した
信用できないだの嫌いだの何だと言いながら、リボーンも柘榴を心配しているのだろう。本人を前にして言えないだけで“仲間”と認め始めているのかもしれない
「…リボーン、何か良い治療法はあった?」
近付く自分の存在にも気付かず食い入るように本を見つめるリボーンに、隠そうとしていた苦笑いがつい漏れてしまう
ツナの声に反応して勢い良く医学書を閉じたリボーンは、今更ながらにそれを見られまいと抵抗を見せた
「…いつからそこに居やがる。仕事はどーした」
「ついさっきからだよ。リボーンがあんまり一生懸命だからつい、ね。ちなみに仕事なら終わった。あとはみんなからの報告待ち」
「…言っとくがこれはこいつの為じゃねーからな。オレの知識を増やそうと…」
「はいはい、そういう事にしといてやるよ」
今更ながら無駄な足掻きを見せるリボーンを半ば無視し、ツナは柘榴の白い顔を覗き込んだ
いつにも増して青白いその顔は、しっかりと目を閉じ小さく寝息を立てている
あれから1度も目を覚ましていないらしいが、魘[ウナ]されていない所を見ると悪い夢は見ていないようだった
「シャマルは何か言ってたか?」
「…とにかくクスリが身体から抜けるのを待つしかないって。下手に何かすると柘榴を余計に傷付けかねないから。
薬物依存にはならないだろうけど、でも何かトラウマがある人間はそういった物に頼りやすいらしいよ。ここに居る限りもう2度と薬物には手を出せないけど、その代わり過激な行動にも出かねないし」
「分かった、こいつはオレが見ててやるから安心しろ。馬鹿な真似だけは絶対させねぇ」
凶器となりうるものはリボーンの手で全て部屋から持ち出してあった。剃刀も硝子も鋏も紐の類いまで、全て
力強く言い放ったリボーンにツナは若干呆気に取られながらも、近くのソファに座るように促した
良く寝ているから心配無いだろうが、万が一柘榴が目覚めた時に話を聞かれないようにする為だ
珍しくツナの指示に従ったリボーンにエスプレッソを手渡し、ツナは重々しく口を開いた
胸に秘めた己の決意を。彼だけには事前の許可と承諾をもらっておくべきだと思ったのだ
「…実はさ、話があるんだ」
たゆたう意識を無理矢理浮上させ、柘榴はゆっくり目を開けた。窓から射し込む光は既に赤みを帯びていて、どのくらい寝ていたのだろう、とぼやけた頭で思った
身体に力が入らない上に頭がはっきりしない。寝過ぎたせいか、と結論付けた柘榴はそれがドラッグの副作用である事に気付かない
気怠い身体を叱咤して身を起こすと、部屋には誰も居なかった。喉がからからに渇いている事に気付き、柘榴はふらふらした足取りで備え付けの簡易キッチンへ向かう
流れ落ちる水はどこまでも澄んでいて、触れる事を躊躇う程だ。グラスに入れたそれを一口飲んだ所で、柘榴は異変に気付いた
呼吸が、しづらい。気管に引っ掛かるようにしか息が吸えず、柘榴は一瞬でパニックになった
途端に力が入らなくなった指先をすり抜けたグラスは床に叩き付けられて粉々になる。しかしそれすら気にならない程柘榴は混乱していた
呼吸ができないという事は酸素が吸えないという事で、つまり脳が正常に働かなくなるのだ
焦れば焦る程苦しくなるだけだと、普段の柘榴なら分からないはずがない。しかし今はそれどころではなく、ただ酸素を欲して言葉にならない喘ぎを漏らすだけだ
酸欠で余計に頭が痛む。とうとう立っている事もままならず破片の散らばる床に膝をついた時、踞る柘榴の背後から声がした
「…おい、どうした?」
簡単な書類なら柘榴の側に居てもできるだろう、とそれを取りに行っていたリボーンが戻って来たのだ
真っ青な顔で苦しそうな柘榴を見た瞬間、弾かれたように駆け寄ったリボーンがその細い肩を抱く
「おい、しっかりしろ。…くそっ!!」
リボーンの声にも全く反応しない柘榴は既に虫の息だった
恐らく内臓が機能障害に陥ってしまったのだろう。このまま放っておいても柘榴の容体は変わらず、その命すら危うい事くらいリボーンにも分かった
誰かを呼びに行く時間は無い。最善策は分かっているのに、しかしそれを躊躇うのはまだ自分が子供だからだろうか
「…畜生、オレは悪くないからな」
今の柘榴には聞こえないと知りつつも、リボーンはそう悪態を吐いた。そして、意を決したように、
柘榴の唇に自分のそれを押し付けた
柘榴がぴくっと身動[ミジロ]いた事に動揺しながらも、そのまま大きく呼吸する。肺を最大限まで膨らませる普段とは違う呼吸はリボーンにとっても苦しかった
自分で息が吸えないのならそれを手伝ってやれば良いだけの話。しかしそれはとても難しい事だった
柘榴がこれ以上苦しまないように、彼女のペースに合わせて呼吸する。段々血の気が戻る柘榴の顔色を確認しながら、リボーンはそっと唇を放した
ようやく肺がきちんと働き始めたのか、柘榴は1人でも息を吸っている。ほっと息を吐いたリボーンは支えていた柘榴を抱き上げ、ベッドに寝かせてやった
唇に残る熱に、気付かないフリをして
「…側に居てくれるって、言ったのに……」
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