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ルチフェルの泪とサタンの唄声
07



リビングのソファに膝を抱えて座っていた柘榴は、ドアが開く音を耳にして顔を上げた


泣き腫らした目はヒリヒリと痛んだが、既に涙は枯れていた



「……久し振り、昶。元気だった?」



ドアに手を掛けたまま柘榴を凝視する昶は、驚きのあまり声も出せないようだ


真っ赤に染まった髪も、見違える程に逞しくなった体つきも、柘榴の記憶にある昶とはかけ離れていたが



「…何、やって……」


「ちょっと、昶?何自分の家で固まってるの?」



昶の背後から聞こえた可愛らしい声。確認しなくともそれが昶の彼女の物である事くらい柘榴にも分かっていた



「…はじめまして、彼女さん。昶の、…姉の柘榴です」



未だ硬直している昶を押し退けてリビングに現れた女の子に、柘榴は仕事で使う笑みを浮かべて挨拶をした


“姉”と名乗って良いのか一瞬迷ったが、それ以外に二人を現す適切な言葉を柘榴は知らなかった



「え、お姉さん…?って、ザクロ…!?」


「驚かせてごめんなさいね。弟がお世話になってます」


「ちょっ、昶…!!なんでザクロと姉弟だって教えてくれなかったの!?二人全然似てないし気付かなかったよ…!!」



興奮気味の彼女は、柘榴がモデルをしている雑誌を見た事があるのだろう。ごそごそとスクールカバンを漁った彼女は表紙で柘榴が微笑む雑誌を差し出した



「あたし、大ファンなんです!!雑誌も全部集めてて…」


「ありがと。貴女みたいな子が居てくれて嬉しいわ」



感激して涙まで浮かべている彼女の頭を撫で、そっと昶の顔色を伺う


何も言わずに俯いたままの昶の表情は見えない。恋人との大切な時間を邪魔した事を怒っているのだろうか、その拳は硬く握り締められていた



「ね、昶。写メ撮って!!お姉さんとの写真、待ち受けに…」


「…姉貴、なんかじゃねぇよ」



低く唸るような声に、彼女はビクッと身を強張らせた



「そんなヤツ、姉貴なんかじゃねぇ」



柘榴を睨み付ける昶の目は鋭利な刃物のようだった



「ちょっと、昶…?何言って…」


「悪ぃ、野絵[ノエ]。今日は帰れ」



戸惑う野絵の肩を押し、昶は無理矢理家から追い出した。二人きりになったリビング。いつしか窓の外には雨雲が立ち込めていた



「…今更、何しに来たんだよ。もうずっと帰ってないくせに」


「…昶に会いたくなったの。でも、…ごめんね、邪魔しちゃって」


「ふざけんじゃねぇよ…!!散々、俺の事ほったらかしにしたくせに…!!」



今までにない程の昶の怒気に押され、柘榴は無意識に1歩昶から距離を取った


そんなに、自分に会いたくなかったのだろうか。それほどあの野絵という彼女が大切なのだろうか。自分よりも、ずっと





「アンタが居なくて、清々してたのに、アンタが帰って来なくて、やっと俺はシアワセになれると思ったのに…!!」





枯れたはずの涙が、再び涙腺から溢れ出るのを感じた



知っていたはずだった。分かっていたはずだった。しかし、言葉にされたその思いは、柘榴が思っていたよりも深く深く柘榴の心を傷付けた




「…そう、だよね。昶は、あたしなんて居ない方がシアワセだよね……」




視界がぼやける。霞掛かったように何も考えられなくなる頭で、柘榴は必死に意識を繋ぎ止めていた




「ごめんね、気付かなくて。ごめんね、嫌いになれなくて。

ごめんね、…シアワセ、にしてあげられなくて……」





昶の前で泣いたのなんて何年振りだろう。いつもは何を言われても何をされてもただ笑って我慢していたから、多分10年振りくらいだ


10年前の春の日。二人で生きて行こうと誓ったあの日



「…っ…!!何言ってんだよ、アンタ…!!何がしたいんだよっ…」



溢れ落ちる感情は、もう押さえる事なんてできなかった



最後だから、最期だからと言い聞かせて、柘榴は初めて自分から昶に抱き着いた



もう何年も触れていなかった昶の温もりは、子供の頃に感じた彼の優しさと同じだった



「…!?何すっ…」






「…幸せに、なりたかったの。昶と、あたしと、二人で居られればそれで良かったよ。でも…、

ごめんね。あたしは昶の“シアワセ”にはなれなかったみたい」





首に回した腕を力ずくでほどかれて、柘榴は柔らかいカーペットに尻餅を付いた



柘榴を見下ろす昶の瞳は冷たく凍てつくようだ。わずかに潤んでいるように見えたのは、きっと窓を濡らす雨が反射してそう錯覚したのだろう



「何様のつもりだよ、いつまでも餓鬼扱いしやがって、いつまでも姉貴面しやがって、うっとおしいんだよ!!

……その面、二度と俺に見せんじゃねぇ!!」




























その先の記憶は柘榴には無かった



ただ、気付いたら自殺の名所と名高い崖に来ていたのだ


足元から聞こえる波の叫びは、自分の涙も飲み込んでくれるだろうか


白く散る水飛沫は、汚れきってしまった心も身体も洗い清め消し去ってくれるだろうか



昶に必要とされなくなったなら、柘榴が生きる理由なんて無かった





「…ねぇ、昶。あたし、幸せに、なりたかった……」





躊躇いも無く空へと身を躍らせた柘榴は、静かに目を閉じ祈った



信じてもいない神に、自分の代わりに昶を見守ってくれるように、と


昶だけで良いから、幸せにしてあげて欲しい、と





例えこの魂が地獄に落ちようとも


昶にだけは幸せになって欲しかった






あたしは、シアワセになれなかったから




《†front†》

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