[携帯モード] [URL送信]
夢うつつ、春来たり



鼻孔をくすぐる。
これは桜の香りだ。


辺りは真っ暗。
五感のひとつを潰されただけで、こんなにも敏感に感じてしまう。
ただし、これが夢であるからにして無闇に畏れを出す必要は皆無。
どうしてこのような状態になったのかだけ疑問を抱いた。

身に覚えがある感覚にうろたえることはない。そう割り切った本人は戸惑うことなく前へ前へと足を出した。
ずんずんと進んでいく足取りは中をかいて地面に降り立つ。それを繰り返していくうちに桜の香りが薄れていくのを察する。遠のくからこそ分かる、歩くたびに揺れる衣からの移り香。
だからと言い、きびすを返すこともなく進み続けた。

ざり、ざり、
ぞうりが地面を踏みしめる。
そうしてまた香りがし始めた。迷いなく歩みを止めずにそちらへと手を伸ばす。指先は丁度よくかすりそれに触れた。そこでようやく、立ち止まる。



ねえ、ボク


触れられたソレは喋った。指先は暖かい。
呼ばれ返事をする代わりに先を促すように顎をうえへと仰ぎみせる。そのやり取りに空気が笑ったのを肌に感じた。



今日は新月だね…
表に出て来れない日だ


リクオはリクオと入れ替えられるまで桜の枝でその時をじっと待っている。人間と妖の境目をただ、ずっと見つめている。
それが今宵は妖の内なる力が封じられる時、全くの正反対な人格をもつお互いは性格に触れることの器用さはない。
見て認識をする。昼が、夜が、いることを。意識をすることだけが相手の存在意義である。だから、契りの杯をかわすこともないのだ。

リクオが言葉を告げると聴き手のリクオは理性を欠いた。短く息を吸い込んで顎をひき、手を袖へと引っ込める。



オレを、
…笑ってんのか?


また微かに桜が薫る。優しく甘美に。
また空気が微笑んだ、瞬時。目を覆っていた闇が開けあたり一面に桃色が飛び込んでくる。
見事な桜吹雪が己を包み込んでいるのを、その中心で見上げた。闇ではない夜空に見惚れる情景である。



違うよ
君と対峙していられるのは、今しかないと思って出てきたの


乱した息を納め、意図がみえない相手に顔色をみせるよう、わざとらしく歪ませた。
ざわ、と空気が揺れ桜は視界を覆うほどに舞い散る。辺りは薄い桃色に覆われた。


「一緒に逢えないかな」


君と酒を飲みたいんだ。

ハッキリと耳元に聞こえる声色に、次序に消えていく花びらたち。
眼前に現れたのは己の姿。
同じ体にして、異なる体。

その大きな瞳がこちらを見ている。愚問だと思った。
夜は迷うことなく昼の腕を掴み己へと引き寄せた。ヒトの温もりが密着する。あたたかい。


「昼のオレよ」
「なに?…夜のボク」
「酔いつぶれても知らねえからな」


承諾の意をはっきりみせた相手に満足とばかり、満開の笑みを零した。
桜は優しく開花し続けている。















210916


あきゅろす。
無料HPエムペ!