終わらない恋になれ
子供達のはしゃぐ声が広場に響き渡る。それでも、歓喜や期待の感情が多く、ストレスの真っ只中の街中に比べるとあまり不快ではない。どうしてボクがこんな場所に居るのか、それは自分が聞きたいくらいだ。
「行橋先輩!」
駅の方面からポニーテールを揺らしながら少女が駆けて来て、ボクの前で足を止める。
「待たせてごめん!!」
「いいよ、今来たところだからね」
大きく腰を折って謝る彼女にボクはお決まりの台詞を吐く。彼女はほっと一息つきながらも申し訳なさそうな顔で言葉を繋げる。
「途中で屋久島さんと種子島さんに会って、男の友達と二人で出かけるって言ったらすごく止められて……でも、行橋先輩とだって言うと二人ともこころよく見送ってくれたよ」
すごいね行橋先輩、とでも言いたげに拳を握る彼女の発言にガックリと肩を落としたくなる。彼女を溺愛している競泳部の二人にも安牌と思われているのかと自信を失いかけるが、だからこそ今彼女と二人で居られるんだと思い直す。
「行こ、行橋先輩」
彼女が笑顔でいるから今は、まだこのままでもいいと思えた。
「さっきのジェットコースター黒神さんがすごく気に入ってね、何回も乗ろうって言われてさすがに私もへとへとになって、そうしたら……」
だが、入場してからずっと、喜界島さんの話題の中心は黒神めだかだった。前に二人で来たときに黒神さんがどれを気に入って、どんな常識外れの行動をしたか、又は生徒会での話ばかりだ。それを、彼女はとても楽しそうに話す。相手がボクじゃなくても変わらないみたいに。彼女の笑顔を見るのは嫌いじゃない。でも、その笑顔はボクだけに向けられているわけじゃない。
彼女の話に相槌も打たずに俯くと、喜界島さんは言葉を紡ぐのを止めてボクの顔を不安げに覗き込む。
「行橋先輩? 私の話つまらなかった?」
「ううん……! そんなことないよ」
慌てて否定すると、彼女は更に心配そうな表情になる。
「じゃあ、やっぱり絶叫系はやめておくべきだったんだ。すごく怖がってる人が一緒に乗ってたのがダメだったのかも……? 気分悪い? だいじょうぶ?」
「あ……ええと……」
まくし立てる彼女に返す言葉が見つからず、しどろもどろになる。
確かにさっき乗ったジェットコースターでは少し気分が悪くなったが、そんなのは一瞬だ。そんなことを言っていては日常生活は不可能になる。寧ろ、降りた直後に具合が悪そうに振る舞ったのは、その時だけは彼女がボクだけを見てくれるからだ。
けれど、本気で喜界島さんが心配しているから、もう大丈夫だよと言いたいのに上手く言葉が出てこない。その間に、彼女はボクの肩を押して近くにあるベンチに座らせる。
「行橋先輩はここで待ってて! なにか冷たいもの買ってくるから」
「えっ……ちょ、待って喜界島さん」
「待っててね!」
いや、待って欲しいのはこっちの方……という叫びは届かずに彼女は走って行ってしまった。前から人の話を聞き入れないところのある子だと思っていたけど、ここまでとは。真っ直ぐ過ぎるのも彼女の美点ではあるのだが。
彼女の後ろ姿が小さくなっていくのをその場から眺める。走るのに合わせてミニスカートがヒラヒラと揺れる。そういえば私服を見るのは初めてだ。最初に落ち込んで、褒めるのを忘れていた。うまくいかないものだなぁと腕を組む。
心が読めてしまうからと言って人間関係が簡単にうまくいくわけではない。人の気持ちは、簡単に変えることはできないんだから。
「……遅いな」
時計を確認すると、彼女が走り去ってから20分は経過している。休日の遊園地は混雑しているとは言え、少し遅すぎる。迷ったのだろうかと入場時に貰った園内マップを開くと、フードコートはすぐ近くのはずだ。急に不安が襲い、ボクは彼女を探すことにした。
「やめてっ!」
フードコートに向けて歩き始めるとすぐに一際大きな、女性の声が響く。その声を、ボクは知っていた。
声のする方向に向かって急いで走る。そこで、喜界島さんは数人の男性に囲まれていた。彼女は両手に飲み物の入ったカップを持って肩を竦ませながら、周りの男たちを睨んでいた。
「退いてって言ってるでしょ。聞こえないの!? 人が待ってるの」
「お友達も一緒でいいからさー」
「喜界島さん!?」
「行橋……先輩?」
男が彼女の肩に手を置こうとするのを遮るように名前を呼ぶと、彼女は驚いて振り返る。
彼女は悪質なナンパに困っているようだった。両手が塞がっているし、子供の多い場所で彼女の武器である大きな声を出すことは憚られているのだろう。
男達も遅れてボクの方に目を向けると、噴き出し、馬鹿にしたような笑い声を上げた。
「なんだ、連れって弟じゃん」
「この際、弟くんは先に帰っててもらおうよ」
む、とボクが思う前に喜界島さんが眉を逆立てて息を吸い込む。まさか、とボクが思う前に彼女は両手のコップの中身を男達に向けてぶちまけた。
「行橋先輩のわるくち言わないでっ!」
喜界島さん空気読んで、と言いたいがある意味ではものすごく読んでいるのだろう。大きな声は道行く人々の注目を集め始めている。そこで、彼女の肩が少し震えていることに気づく。
「先輩は……すごく優しい人なんだから……」
男達がジュースを頭から被って呆然とした状態から我に返りかけたとき、喜界島さんは急に踵を返し、ボクの手を乱暴に掴んで走り出す。
「喜界島さん……!?」
「ごめん、行橋先輩。走って!」
言われなくても既に走っているが、不幸にも彼女は特別体育科で、足の長さも違う。結果的にボクは彼女に引きずられるような形になりながら、何とかその場を逃げ去った。
「はぁ……ここまで来れば大丈夫かな」
「うん……、あいつらの声は聞こえないから近くにはいないと思うよ」
アトラクションから遠い、人気のない薄暗く狭い路地でボク達は落ち着く。ボクは息も絶え絶えに、あいつらの下種な心の声は聞こえないことを告げる。珍しく、喜界島さんも少しだけ胸を上下させていた。
そっか、と彼女は短く答えて、逃げる際に繋いだままの手にギュッと力を篭める。ボクを見つめる彼女の頬は上気していて、何故かドキリと心臓が音を立てる。
「あのね、行橋先輩……」
彼女の薄紅色の唇が紡ぐ言葉を遮るように、突然陽気な音楽が鳴り響く。それと共にざわめきとマイクを通した音声が同時に近づく。
「あ、パレードがはじまる時間になったんだ。……見にいく?」
「どっちでも。喜界島さんの好きにすればいいよ」
「人多いよ?」
「喜界島さんは心配し過ぎなんだよ。そのくらい何ともないんだからね」
彼女に判断を委ねると、彼女はうーんと唸るがすぐに結論を出す。
「手つないだら大丈夫かな」
「周りからの受信量は多少軽減するとは思うけど……どうしてそう思ったんだい?」
「さっき走ってるとき、先輩が笑ってたからちょっと楽になるのかと思ったんだ」
「え……」
笑っていたなんて自分で気づきもしなかった。笑顔の理由なんて決まっている。そんなにボクは彼女の言葉を嬉しく思っていたのか。
「心配しなくても先輩は私が守るから」
頼もしい彼女に手を引かれ、ボクは光の方へと歩き出した。
テーマパークの、動物を模したイメージキャラクターが乗り物の上で手を振るのを眺めながら、隣の彼女が口を開く。
「先輩、今日はごめんね」
「え……?」
一瞬、聞き間違いを疑う。けれど、彼女はパレードを瞳に映しながらも眉を少し下げて再び謝る。
「最初ちこくして、無理にジェットコースターにさそって、変な人にからまれて不愉快な思いさせちゃったし、走らせたし……飲み物も結局こぼしちゃって、どうしてうまく行かないんだろ」
「喜界島さん……」
「ううん、初めからこんな人の多い遊園地に誘わなければよかった」
そんなことはないと首を振るが、パレードの光を眺める彼女の目にボクが映っているかは定かではない。上手く行かないと悩んでいたのはボクばかりではなかったようだ。彼女も彼女なりに悩んで、必死だった。
「黒神さんと来たときは楽しくて……ジェットコースターも黒神さんがすごく楽しんでたから行橋先輩にも楽しんでもらいたくて。パレードも黒神さんがはしゃいで見てたから……」
「喜界島さん!!」
叫ぶと、弾かれたように彼女が振り返る。やっと、その目にボクを映してくれた。
「ボクは、黒神さんみたいに上手く表現できていないかもしれないけど、喜界島さんと一緒に遊園地に来れて嬉しかったんだからね」
「……本当に?」
「君は嘘をつかないからね、ボクも君には嘘はつかないよ」
ギュッと強い力で彼女の手を握ると、喜界島さんは強張った表情を崩して微笑みを見せた。
「ボクと黒神さんは違うからね、同じようには行かないよ」
「そうだね。じゃあ、私も嘘はやめる」
「嘘?」
心と思考が常に一致する喜界島さんは嘘をつけないと思っていたが、彼女は重々しく口を開く。
「実は私、パレードって好きじゃない。あの着ぐるみのどこがかわいいのか理解できない」
「……知ってるよ」
生真面目な顔をして宣言する彼女に小さく噴き出す。手を繋いでいるのだから、ずっと彼女がどこがかわいいのかと訝しげにキャラクターを見ていることは知っている。ボクと手を繋ぐなんて頭の中身をそのまま預けるような行為を彼女は他意なくやってのける。
「もとになってる動物自体をかわいく思えないのに、中途半端なデフォルメをどうかわいいと思えばいいの?」
「動物のどこが嫌いなんだい?」
「全部。あの媚びた外見が嫌い」
こういうときの彼女は珍しく毒舌だ。それを宥めるようにボクは言う。
「結構可愛いこと考えてたりしてて、結構人間と変わらないよ」
「……そっか、先輩は動物の考えてることもわかるんだ」
「まあね、動物の思考だって電磁波で行われてるんだからね」
「どんなこと考えてるの?」
「うーん……そうだ。今度、動物園に行くのはどうだい? 動物嫌いがなおるかもしれないよ」
「え……」
我ながらいい思い付きだと思ったのだけど、絶句する彼女を見てこれは無理かもしれないと思った。
「動物嫌いなのはなおらないと思うけど……先輩と行くのは悪くないかもしれない」
今度は絶句するのはこちらの番だった。繋いだ手に篭められた力が強くなったのは気のせいだろうか。
「約束だからね」
「うん」
頷きながら微笑む彼女は美しくて、また今日のような、彼女の違う側面を見たいと思わせた。ボクと似ているところ、違うところを一つ一つ見つけていこう。そして、ボクのことも知ってもらおう。
ボク達の関係が今後どうなるかはわからないけれど、変わらぬ絆になればいいと思うから。
(10/12/16)
title by 確かに恋だった
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