あなた
※性的表現有り


 部屋に入った途端、唐突に床に組み敷かれた。手首を掴んで拘束され、力任せに身体を弄られる。ブラウスを乱暴に剥ぎ取られてボタンが飛ぶ。首筋に息が掛かると、血が滲むほど皮膚に歯を立てられた。

「痛い……っ、離してください」
「離したら逃げるやろ」
「逃げません、どこにも行きませんから」

 そう言ったのに、拘束は解かれない。手首を押さえつけられ、私は背中に腕を回してその人を抱き締めることも叶わない。何度も噛み付かれ、胸は荒く揉みしだかれた。まだ身体の準備が充分でないのに、拙速な指が私の中を蹂躙する。痛くされたのは初めてだった。いつも私を抱く時だけは少し過剰な程優しかった。言葉では辱められても私の様子を窺ってくれていて、痛いことなんてされたことがない。だから、大事にされていると思っていた。直哉は「強く弄られても感じてんや、変態やん」と乱暴な愛撫にも濡れる私をいつもと変わらぬ調子で嗤ったけど、その表情に余裕は感じられなかった。

 10月31日、渋谷で起きた未曾有の呪術テロ。その際に、禪院家当主であり直哉の父、私にとっても義父である直毘人様が亡くなった。直毘人様の遺言に従い、恵が禪院家当主となる。病院の待合室にて、真希が遺言内容を告げると、「お断りします、面倒くさい」と恵は即断だった。しかし、真希から真依のことを頼まれると、少しの沈黙の後に引き受けることに決めた。恵の返事を聞いて、それまで黙っていたが口出しすることに決める。尚、完全外様の女の私が当主になる道はない。

「でも恵、碌なこと起きないわよ。私は反対」
「起きないじゃなくて起こすんじゃねぇか。直哉は七菜香が止めとけよ」
「無理よ」

 それだけは断言する。直哉が私の言うことを聞くと思っているなら笑い種だし、私が直哉を止められると思っているのならもっと愚かだ。

「会えたら動向見ておくけど、それ以上のことは期待しないで」

 今本家で何をしているかすら知らない人物を抑えるなんて無理な話だ。

「直哉……って、確か七菜香さんの」
「婚約者」
「何かするような人なんですか」
「する」

 真希と声が重なる。何でそんな人と、と恵の顔に書いてあった。恵には一時協力して貰った割に色んな説明を省いている。禪院家に関わりたくないというのを恵が前面に出していたからだ。

「クッソ趣味悪ぃ、あんなヤツと一緒になるなんて気が知れねぇよ」

 心の底から真希が吐き捨てる。真希から見れば当然そうなのだろう。

「好きな人のためなら、自分の感情なんていくらでもごまかせるものよ」

 「真希にはまだわからないかもね」と笑うと、「わかりたくもねぇよ」と真希は言った。


 案の定、直哉は行動を起こした。恵を殺しに東京へ来て返り討ちに遭ったところで何とか合流でき、以後直哉と共に禪院本家に引き返して今に至る。私は禪院の人間として乙骨くんや恵の企みには加担できないので、直哉を見張りつつ戻るのが私にできる数少ないことだった。五体満足の一級術師としては歯痒さも感じるけれど、呪術界も禪院家も腐っていることは今更だ。

 どんなに酷い目に遭っても、再び東京に行かれるよりは良い。私を餌に引き留められるなら何でもする。幸い、多少痛くされた程度では問題にならないくらい、私の身体はあなたに反応する。当主の座を恵に奪われたこと、負けたこと、乙骨くんに良いように使われたこと、直哉の自尊心が傷つけられたのは分かっていた。直哉はずっと次代の当主として期待され育てられて来た。彼自身も禪院家を好ましくは思っていない、それでも今までやって来れたのは自身が当主になると信じて疑わなかったからのはずだ。直哉の中の実力主義は、弱きを踏みつけにして正当性を保っていた。煩わしい周囲を当主になって黙らせる目算が外れ、今まで積もった鬱憤が爆発寸前となっている。ただ感情をぶつけるための行為、情欲の捌け口、行き場のない情動が何度も吐き出される。私は逃げないし、拒まない。それなのに、完全な拘束ではないが、手首や肩を押さえつけられて私からの挙動は封じられる。本当は抱き締めて頭を撫でたかった。大丈夫だよ、大好きだよといつかのように聞かせてあげたい。でも、ここに執着はあれど信頼はない。快楽よりも苦渋に歪む顔を見上げると、直哉は「憐れむなや」と溢して、胸に噛みつきながら、私の底に達しようと腰を激しく打ちつける。ただ、私の身体に存在を刻みつけようとしていた。肉体は既に悦びに打ち震え、心との乖離を覚えた。女は犯され、容易く尊厳を踏み躙られる。だからこそ、これまで尊重されていたことを今更ながら実感した。私は何をされても受け止める、だから、せめてあなたは楽になって欲しい。絶頂の波に意識を飛ばされる直前、「安心しぃ、ちゃんと当主の妻にしたる」と囁く声を聞いた。

 気を失うまで抱かれ、気づけば私の身体には布団が被せられていた。隣には空蝉の如き空洞があり、慌てて起き上がる。どのくらい気を失っていたのだろう、今は何時頃かと周囲を見渡せば、新しい着物をきっちり着込んだ直哉が少し離れた場所に片膝を立てて座っていた。直哉の姿を確認してほっと一息を吐く。起き上がった音で、俯いていた直哉がこちらに目を向ける。少し虚ろに見えたが、その目の激情は鳴りを潜めていた。

「起きたんや」
「……はい」
「どっか問題あるん」
「大丈夫そうです」

 直哉は抑揚のない声で私に質問する。毒気が抜けているように見えるが、真意は不明だ。身体は痛みを覚えているが、それほど重大なことではない。直哉は私の手に視線を落とす。そこには拘束された際の赤い痕を残す手首があった。

「指輪してへんやん」
「それはダイヤだから……学生なので。持ってますよ」

 今気づいたように溢した直哉が不意に私の左手を持ち上げ、薬指に触れる。装飾品もネイルもしていない素のままの指だ。高価なダイヤの指輪を学生の身で普段使いにはしないし、戦闘に着けて行ったりもしない。渋谷から今に至るまで忙しなかったが、流石に本家に引き揚げる際には持って来た。私の持ち物で最も価値のあるものだ、私が死んだら一緒に焼いて欲しいと密かに願っている。

「やっぱ結婚指輪やないとアカンな。籍入れよか」
「えっ、今ですか?」

 素で返してしまう。東京は呪霊の巣窟と化し、日本社会崩壊の危機という場面に、戸籍がどうとかいう次元の話をしているのがずれていると感じる。そもそも役所が開いているのか、いや、まだ西日本は健全に機能しているか。色んな意味でこの国は平和ボケしているから。
 直哉が戸惑う私の手を顔の前まで持って行き、薬指に唇で触れた。敬愛を示す恭しいその仕草が直哉に似つかわしくない。寧ろ、渇望するような、何かを乞うているようにすら見えた。

「既成事実作らな恵君に持ってかれるやろ」
「恵は要らないですよ。そんなこともしませんし」

 直哉らしくない行動の理由に惑う。直哉は、当主になった恵に私を取られると危惧しているようだ。私にそんな価値はないし、恵も権力を笠に着るような人間ではない。どうしてそんな風に思うのか分からず、想定していなかった事態にただ困惑した。それに、既成事実は既に山積みだと思う。

「ほな、なんで恵君は協力してくれたん」
「それは恵が優しいから……」
「恵君に夢見過ぎやで、面の皮一枚剥がしたらただの男やのに」
 
 鋭い眼光が私を責めるように見つめる。私の指の一本すら何かの工芸品のように扱い、するりと丁寧に撫でた。以前恵が協力してくれた時から直哉の中にある蟠り、それを今目の当たりにする。恵に私を奪われるのではないかという恐れ。嫉妬、その根底には不安という澱みがある。直哉の自信の裏打ちが今揺らいでいた。だから、私の身体の末端に至るまで征服しようとしたのか、とやっと腑に落ちる。それでも、関係ない。

「私は直哉くんしか好きにならないよ……」
「何もなかったら恵君みたいな男好きになるんやろ」

 ちゃんと気持ちを伝えたいと思うのに、直哉に届かない。私の言葉よりも確かなものがあるというのだろうか。不安が不信を呼んでいる。彼の自信の基礎は強さ、次期当主であるという自負にある。それが揺らぐと脆い。
 私が直哉を好きなのは、刷り込みでしかないのだろうか。私自身だけでなく、直哉が疑っているとは思いもしなかった。直哉は、初めて私を優しく扱ってくれた人だ。この家で何度も助けてくれた。その後、私は自分の意思で禪院を出て、友人ができて、失って、一度は術師をやめようと思い肉親にだって再会したし、助けてくれる人もいた。それでも、私はあなたが良い。あなたじゃなきゃ駄目だ。だから、この気持ちは本物だ。あなた無しの私は、もう私ではない。

「恵君庇うために抱かれたんやろ。そんなに恵君に死んで欲しくないん?」

 こんなにあなたに焦がれているのに、信じて貰えないことが私の胸を裂く。愛しているから抱かれた、ただそれだけなのに。
 
「私は、直哉くんに殺してほしくないの」

 吐き出すように言った。直哉は、私が東京に行って欲しくなくて大人しく抱かれていたことも分かっている。それなのに、私の想いは何も分かっていない。私がこの世で最も大事なのは直哉だ。寧ろ、それ以外に大事なことなんて何もない。

「自分が他に女の人作るから疑うんじゃないんですか」

 浮気症の人ほど独占欲が強い。相手も自分と同じだと思うのだという。今現在は知らないが、直哉の女性遍歴くらい多少は知っている。何度も幼い夢は打ち砕かれてきた。
 私は興味を失い捨て置かれるくらいなら執着される方が良い。相伝持ちの子を産めず興味を失われた女は惨めだ。執着は歓迎するが、疑われるのは思った以上に心を摩耗させる。私の反抗に、直哉は顔を歪める。

「七菜香ちゃんは味方や思てたのにな」
      
 永遠の味方、それが直哉が私に求めるものだった。直哉の表情が失望の色を見せる。

「違う、そうじゃなくて!」

 悲鳴のような声を上げる。直哉の居場所に、永遠の味方というものになりたいという思いに嘘はない。それを疑われたら終わりだ。味方じゃないと直哉に判断されたら、完全に私は行き場を失い、あなたの居場所をも奪ってしまう。もうどうしたら伝わるのかわからなくて涙が滲んだ。

「当主じゃなくてもいいじゃないですか。私はずっと居ます、私は直哉くんしか要りません……それじゃダメなの……?」

 直哉をどうしても自分の元に引き止めたくて、最後には子どもみたいに泣きじゃくっていた。自分でも情けない。完璧な味方になんてなれそうにない。直哉の前では私はいつも幼子同然だ。
 ダメだと言われると思っていた。当主じゃなくても私がいるから良いなんて、そんなわけがない。滲む視界から伸びて来た直哉の手が、私の涙を拭うように頬を滑り、髪を撫でる。

「七菜香ちゃんはええ子やね」

 甘い囁きと共に柔らかく微笑まれ、胸が熱くなった。私は思いのまま直哉に抱きついて、やっと背中に腕を回す。

 直哉が褒めてくれるなら何も要らないと思っていた。だって他を知らなかったから。今でもそう思うのは、悪いことかな。最低な人だと知っている。でも、この世界の方がもっと最低だ。酷い世界でも、あなたさえいれば幸せだった。
 世界が滅んでも、禪院がなくなっても、私には直哉が居ればいい。この狭い部屋の外で何があっても知らない、知りたくない。日本の危機も、内輪揉めもどうでもいい。ただあなたと、この部屋にいたい。ここには、恐ろしいこともあなたを傷つけるものもない。この部屋の中で、何も知らず世界の滅ぶ音を聞いていたい。あなたと二人で、今はまだ。──もう少しだけ。



(2021/05/23)

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