訓練生
私はどうしようもない程の愚か者だ。
前のバイトを辞めて、別の友達に相談したら、折角三門市にいるんだからボーダーに入ればいいじゃんと言われ、なるほどと思い入隊試験を受けて合格した。今日が正式入隊日である。
だがしかし、C級隊員すなわち訓練生は無給であることを私は今日知った。そして、訓練では全く勝てず、正隊員への道は遠そうだった。周りを見渡すと、新入隊員は中学生や高校生ばかりで、大学生は見当たらなかった。ボーダー隊員は若いほど有利らしい。
もう辞めよう。給料出ないし、昇級できそうにないし、友達もできなさそうだし。初日に辞めるのが続くのはどうかと我ながら思うけど。本当に私の馬鹿、ちゃんと仕事内容と給料は読め。今回は仕事内容はちゃんと見たんだけどね。
訓練でボコボコにされ、ふらふらと廊下を歩きながら、事務室を目指す。辞める手続をしに行こう。ふと、楽しそうな声が廊下の先から聞こえて目をやると、正隊員2人が反対側から歩いて来ていた。正隊員特有のオリジナル隊服。男子学生の楽しそうな声。若者はいいなと眺めていると、ぷらぷらと揺れるネクタイのロゴにB級1位と書かれているのが見えた。1位か、凄いな。そして、私の動体視力も凄い。そこで、ようやくB級1位がどんな顔をしているか見たくなって視線を上げる。なかなか今時の若人だったが、私の意識はそこでフリーズする。その隣を歩いていた同じ隊服の人が目を見開いてこちらを見ていたから。
「えっ」
辻くんだった。思わず、辻くんと呼びそうになって、何とか口を閉ざした。隣に人がいる。偽名だったら気まずい。
「辻ちゃんの知り合い?」
今時の若人が私と辻くんを見比べて、そう辻くんに聞いた。辻くん本名だったんだ。
「こんにちは」
ほっとして、笑いかける。ここまでリアクションして他人のふりをするのは厳しいと思う。
「こ、……こんにちは」
明後日の方向を見て、辻くんが言った。あれ、逆戻りかな。
「辻ちゃんに女の子の知り合いなんて珍しい。こんにちは〜C級?」
「こんにちは。そう、今日入隊で」
ひらひらと手を振りながら、こちらに近づく今時の若人。私の着ている、訓練生用の隊服を見てニヤニヤと笑った。なんとなく、辻くんにレンタル彼女なんて入れ知恵をしたのはこの人の気がした。
「あ、犬飼ね」
「三峯京子です」
ボーダーの先輩にペコっと頭を下げると、目の前の人が不思議そうな顔をしていた。
「いくつ?」
「18」
「おっ、一緒じゃん」
そこで、あれ? と思った。犬飼くん、先輩じゃなかったのか。辻くんに入れ知恵した先輩と早合点してしまった。
「高3? どこ高?」
「いや、大学生」
「あれ、歳上かぁ〜」
犬飼くんが大袈裟に額を押さえた。ん、ということは犬飼くんは高校生か。あれ? 辻ちゃんとか気安く呼んでなかったか。まあ、関係性は色々だ。
「辻ちゃん、歳上のお姉さんとどこで出会ったの?」
ニヤニヤして聞く犬飼くんに、黙ったままの辻くんの顔面は青白かった。えっ、と声に出さず言うと、辻くんが「ちょっと」と私の目を見ないまま私の服の袖を掴んだ。そして、そのまま廊下の曲がり角まで引っ張られる。角を曲がると、手は離されて、後ろ向きのまま辻くんが振り返らない。
「辻くんって、高校生なんだ?」
背中がびくりと反応する。
「いくつなの?」
「……17」
「高3?」
「……高2、です」
「辻くん」
「すみません」
辻くんがそこで振り返って、頭を下げる。小さくなっている姿は、言われてみれば高校生らしい、かもしれない。
「別に怒ってないから。でも、駄目なことってわかってるよね」
「……はい」
そんな立場でもないのに、一応歳上として諭す。確認を怠っているこちらの落ち度でもあるんだけど。
「お互い他言無用ね」
そう言うと、辻くんは顔を上げて頷いた。
「まあでも、もう辞めるから関係ないか」
「えっ」
独り言のようにぼやくと、すごい勢いで辻くんが振り返った。
「今日入隊なんですよね」
「うん、でもバイト代わりに〜って思ったんだけど、全く才能なくて」
「そんなことないと思います」
「でも、中学生にボコボコにされたよ?」
「大学生で入れたなら、トリオン量が人より多いんだと思います」
トリオン量、そういえばそんなことを言われた気がする。才能があっても使えなければなんの意味もない。
「武器は何を使ってるんですか?」
専門分野だからだろうか、いつの間にか辻くんが普通に喋っている。
「孤月だよ。変えた方がいいのかな?」
「俺も孤月です。近接なら一番安定して使いやすい武器ですね」
そうなんだ。見れば、辻くんの腰には孤月のホルダーが刺さっている。近距離、中距離、遠距離くらいの適正は見たんだけどな。
「あっ、辻くん師匠になってよ」
「えっ」
強くなるには師匠を作るのが一番の近道と聞いた。ここで再会したのも何かの縁だ。同じ武器ということで思いつきで言うと、辻くんがドン引きしていた。
「冗談だよ。辻くんB級1位だもんね。C級ビリなんて見れないよね」
正確にはビリではないはずだけど、似たようなものだ。
「や、そうじゃなくて……女子の弟子を持ったことがなくて」
「あっ、そっちね」
言われてみればそうだ。割と普通に喋れてる気がするから忘れてた。
「じゃあ、女子に対する苦手意識克服として弟子にしてみない?」
軽い調子で言ってみる。辻くんはうんうん唸りだした。
「む、無理そう……」
「だよね、ごめんね」
「……辞めるんですか?」
窺うように辻くんが言う。ちょっとだけ去りがたい。
「うん」
「誰か紹介しましょうか」
「ううん、いいや。ありがとう」
そのまま踵を返そうとすると、辻くんが私の服の裾を掴んだ。
「やっぱり、俺……やります」
強い口調だったのに、振り返ると捨てられそうな子犬みたいな目をしていた。それなのに、服の裾をようやく摘める程度にしか私には触れられない。前に会った時みたいに胸の奥が締め付けられる、どうしようもないもどかしさを感じる。
「うん、ありがとう。よろしくね」
辻くんが引き受けてくれることを私はわかっていたのかもしれない。
年下の師匠ができた。
「脇もっと締めて。柄はもっと先を持って」
「こう?」
「そうじゃなくて……両手はもっと離して、肩甲骨を寄せるイメージ……そう」
私は剣術の基本をわかっていないらしい。型すら分かっていないのだが、辻くんは私に触れることはおろか近づくことすらない。それでも、的確な口頭での指示で私のへなちょこ剣術がマシになっていく。
辻くんの言った通りだった。基本動作がまともになっただけで、C級相手には勝てるようになった。減るばかりだったポイントが増えていく。こういう達成感、最近は味わうことがなかった気がする。
味を占めて個人ランク戦ルームに入り浸る。さっきも中学生に勝ち大人気なく喜んだ。個室から出て、ロビーに戻る。この部屋は、というか隊員の割合として必然的に大多数をC級が占める。C級というのは、基本的に入隊間もない中高生で、基本的にミーハーだ。だから、珍しいA級やB級上位の隊員が来ると騒つく。今も騒ついている。黒スーツの元A級隊員が来たから。
「師匠」
「……師匠って呼ぶの、やめてもらえますか」
隊員が遠巻きに眺めているその人は辺りを見回して誰かを探しているようだった。その彼に話しかける。嫌がられた。
「ふふ、勝ったよ。ポイント1000切ってたのが2000超えたよ。辻くんの言った通りだった」
「頑張ってますね」
「今のランク戦でちょっと気になるところがあって、あとで教えて貰いたいところがあるんだけどいいかな?」
「いいですよ」
すっかり師弟関係である。年上異性の弟子とか普通の人でも扱いづらい。しかし、辻くんは元A級マスタークラスという凄く優秀な人で、教え方も上手かった。指導も熱心だ。こうして、空いた時間にはランク戦ルームに入り浸る私を探しに来てくれる。
優越感を滲ませて笑うと、周囲の騒めきはより一層大きくなる。その発生源が話しかけて来る。
「なんだ、珍しいな。辻が女子と喋ってるなんて」
「太刀川さん」
「本当に弟子だったんだな」
「だから言ったじゃないですか。嘘なんてつきませんよ」
チームとしても個人としてもA級1位の太刀川さんだ。彼はバトル好きでランク戦ルームにいることが多い。
「えっ、知り合い?」
「うん、昼間からランク戦やってるとね」
辻くんが少し驚く。昼間から大学の空きコマに個人ランク戦部屋に入り浸っていると、同じような人とは顔見知りになる。それが偶々トップの戦闘員でついでに孤月使いだっただけだ。
「一体どこで知り合ったんだ? お前達」
「気になります?」
「いや別に。辻、ランク戦して行かないか」
私のちょっと茶化した物言いは華麗にスルーされた。
「すみません、今から指導するつもりなので」
「そうか、邪魔したな」
興味無さげに太刀川さんは立ち去る。本当に自分が戦うこと以外関心がないようだ。
「ごめん、私のせいで」
「いや、確かに太刀川さんと戦うのもいい経験だけど、人に教えるのも学ぶところがあるから」
そういうフォローは大人みたいなのに。目は未だにほとんど合わないけど、辻くんのことはよくわかって来た気がする。大人みたいだけど、子どもで、でも、偶にドキッとさせられる。
私も彼との関わりの中で得るものを増やしていこう。そうすることが、きっと彼に対して弟子として返すことができるものだと思うから。
(2018/07/22)
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