金魚の夢

 祭囃子が微かに聞こえて、今日はお祭りだということを思い出した。道の両端に提灯が浮かび、少し向こう側には屋台が連なっている。まだ夕暮れ時とはいえ人通りはいつもより多く、このまま大通りを進むのは躊躇われた。人を避けて小道へ抜けようとした時、すぐ前に影が差す。思わず飛び退いて見上げた顔は見覚えがあるという言葉だけでは言い尽くせない。見慣れた金髪が夕陽に反射して色を変えて、初めて見た時のように新鮮な気持ちにさせる。
「名前ちゃん、今帰りなん?」
「は、はい。直哉くんも?」
 偶然会えて嬉しい気持ちと、まだ心の整理がつかない気持ちとが一緒になって胸が詰まった。期待と不信で心の天秤が揺れる。大好きな人、でも、きっとその人は私のことを見ていない。
「まぁな」
 そう言うと、直哉くんは背を向けて祭りの中心部へと歩き出してしまう。人混みを避けようとした私は少し面食らった。帰宅にはその道が一番都合が良い。直哉くんも人混みは嫌いなはずだが、おそらく他人のせいで自分の行動を変えられる方がより嫌いなのだろう。少し迷って三歩後ろをついて行く。何も言われていないけども、ここで別れる選択肢を私は持っていない。
 焼きそば、かき氷、リンゴ飴。暫く食べたことのない様々な匂いが鼻腔をくすぐる。毎年行われるそれに馴染みはない。店先の色とりどりの食べ物も、見覚えのないおもちゃもどれも珍しくて興味を惹かれた。呼び込みの声を全て無視して、普段の歩幅で直哉くんは進む。それを私もつかず離れずの距離で追った。
 ふと同じ学校の男女の姿を視界に捉える。二人手を繋いで楽しそうに店を覗いている。あの二人付き合っていたんだ、なんて素朴な感想を抱いて前へ向き直り、振り返らない後頭部を見つめた。年齢も距離感も何もかもが私達を結びつけることはないだろう。きっと誰も私達を連れだと思わない。こんなに近くにいるのに、手を伸ばすこともできない。一瞬目を伏せた、その隙に見失うはずのない金髪が人混みに紛れる。今日は袴姿もいつもほどは目立たない。慌てて人を掻き分けるが、祭りの中心に来てしまったようで上手く進めなかった。振り向かない親を一心不乱に追った記憶が一瞬思い起こされて足を止める。急に、喧騒の中独りぼっちになった気がした。流されるままに人通りから外れる。多分直哉くんは私がいなくても気づかない。気づいたとしても気にも留めない。ゆっくり帰ればいいや、溜息を吐くとすぐ隣で子どもたちのはしゃぐ声を聞いた。浴衣の袖を捲って黒と赤の金魚を追っている子どもの姿に少し平静を取り戻す。金魚すくい、一度くらいはしたことがあるかもしれない。そうだ、一匹も掬えなくて、お店の人が二、三匹入れてくれたんだ。家に持って帰ったらわざわざ水槽を買ってくれたっけ。禪院家に来る前の数少ない家族の思い出を振り返る。寂しくなるから沈めた記憶。数日後には丸々と太った金魚が水面に浮かんでいた。プラスチックの水槽を泳ぐ金魚の命は短い。掬われたところで残り時間なんて限りがある。そんなこと、あの頃は知らなかった。
 一息吐いて顔を上げる。私はきっと迷子になった子どもと同じ。でも、探しに来てくれる人はいない。なら、自分の足で歩かなければ。

 やっと人混みを抜けたところで、不機嫌そうに腕を組んだ人が振り返る。
「遅いわ、何をトロついとったん?」
 屋台の明かりに照らされる見慣れた金髪を見つけると途端に泣き出しそうな安堵を覚える。
「すみません、人混みに引っ掛かってしまって……」
 怒られて小さくなっても、痛いほど鼓動は弾んでいた。私を探してくれる人なんていないと思っていた。居場所なんてどこにもないと。でも、当たり前に待ってくれる人がいる。それが私の目頭を熱くさせ、胸を苦しくさせる。
「早よ帰んで」
「……はい」
 直哉くんは私を気まぐれに選び、気まぐれに優しくする。それに私がずっと救われていたことを、きっと直哉くんは知らない。やっぱり私はこの人が好きだ。諦めるなんてできそうにない。あなたなしの世界ではもう私は息もできない。
 金魚の命は短い。でも、今はまだ夢を見ていたい。あなたに愛される愚かな夢を。



(2022/09/16)


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