必要的共犯
※近親愛の描写
※様々な捏造


 

 父の葬儀が終わって帰る人を呼び止めた。振り返るその人の瞳は暗く底が覗けない。
「突然申し訳ありません、私は……」
「知っています。名前殿でしょう」
 認識されていることにほっと一息を吐く。初めましての挨拶から始めなくて良いようだ。
「百之助さんのことは勇作兄様から聞いておりました。本当に父様に似てらっしゃる。一目でわかりました」
「勇作殿から?」
「えぇ。勇作兄様は妾腹の私にも目を掛けてくださって。本当に、兄様も父様もこんなことになるなんて……」
 涙が溢れそうになって唇を引き結ぶ。私は花沢幸次郎の妾の娘だった。203高地で戦死した嫡男の勇作兄様は分け隔てなく私のことを実の妹のように可愛がってくれた。勇作兄様から、私と同じように妾の子である尾形百之助の話を聞いてずっと会いたいと思っていた。こんな場で出会いたいと願ったわけではない。それでも、声を掛けずにいられなかった。
「あの、兄様とお呼びしても……?」
 おずおずと厚かましい願いを切り出した私に、男性は口の端を少し持ち上げたように見えた。


 百之助兄様は、私に会う機会を何度もくださった。何を考えているかわからない猫にも似た目も山の形を描く眉も父様にそっくりで、軍服は勇作兄様を思い起こさせた。父の妾の子はこの世に兄様と私だけだ。血の繋がった家族を喪い、再び家族を求める気持ちが強くあったのだと思う。沈黙が心地良い。兄様の寡黙さは、生きるために媚びることを覚えた私を安心させた。
「兄様」
 呼びかけると兄様が顔を上げた。
「実は今日でお会いできるのが最後なんです。有難いことに、縁談を受けることになりまして」
 父様が自刃した上、既に亡き母は妾の身だ。身寄りのほぼないこの身に引き取り手があること自体が有り難い。だが、こうして兄様と会えなくなる。それだけがどうしても気掛かりだった。
「手紙を……手紙を書きます。偶にでいいので、お返事をいただけないでしょうか。兄様がご健勝であることだけ知りたいのです」
 はしたないだろうか。どうしても頷いてもらいたくて、縋るように兄様の服の裾を掴んだ。ここで連絡が途絶えても恨まない。ただ繋がっていると信じさせて欲しかった。
「処女は弾に当たらないらしい」
「えっ?」
「お前は処女か?」
「えっ……えっと」
 兄様の口から突然吐き出された言葉に困惑する。兄様の目を見つめても、いつものように何の色も覗けず、少なくとも揶揄われているわけではないことだけを辛うじて読み取る。気圧されて思わず頷いていた。兄様にはしたない女だと思われるのも嫌だった。
「は……はい、まだ……」
「そうか、まぁ童貞でも弾は当たるがな」
 兄様が何を言っているかわからない。兄様は陸軍に所属している。射撃が得意だと、勇作兄様に聞いたのだったか。
「あ、あの……私、そういう比喩はよくわからなくて」
「妾の子でも、こうも違うものか」
 兄様が目を細めて、手を伸ばした。理由はわからずとも、初めて触れられる兄様の手に甘えたくて、一瞬肩の力を抜いて身を委ねかける。しかし、兄様の手は頭や肩でなく、私の喉を掴んだ。
「えっ……なっ、なんで……兄さ……」
 眼前には短銃が突きつけられていた。初めて触れる兄様の無骨な手は血が通っていないかのように冷たい。喉が押し潰され、みっともなく喘ぐ声が漏れた。
「娘ならまた違ったのか。それとも母親が正気ならば何かに欠けることなく育つのか。……或いは、お前みたいなのが俺にも居たら違ったのか」
 兄様の言うことはわからない。でも、正妻の息子の勇作兄様を羨んだことはある。羨むことすら愚かしく思える程、清廉潔白で高潔な人だった。私は違う。私のは、勇作兄様の真似事だ。
 喉を縊る兄様の手を剥がそうともがく。爪を立てて皮膚を抉っても、兄様は顔色一つ変えない。気道が絞められ、息ができず、頭がぼんやりし始める。涙でぼやけた視界の向こう側で兄様が私を観察するように見下ろしている。心の臓が押し潰されるように苦しい。
 もう会えないのだと思った。息のできない苦しみも、早鐘を打つ胸の鼓動も、すべて兄様のためのものだ。ここで私が終わるなら、どうして私だけが罪を抱えて死ぬ必要があるだろう。兄様が罪を犯すなら、私だって。
「私の罪を……告白させて、ください」
「罪?」
 緩められた手の隙間から何とか息を吸う。ひゅうひゅう、と喉が悲鳴を上げる。
「何の罪を犯したと言うんだ、名前」
 興味深そうに兄様は私の顔を覗く。兄様が私に感情のある表情を向けるのは初めて見る。
「違います、私の罪は今から犯すのです」
 私の首を掴む兄様の手に触れ、向けられた銃口を物ともせず、その懐に真っ直ぐ飛び込んだ。
「好きです、百之助さん」
 兄様の身体に抱きつく。初めて触れる男性の身体は厚くて硬くて、そして思っていたよりも頼りなかった。そのまま唇を押し付ける。これが、家族に向ける愛情ではないことを証明するために。兄様の身体が反射的にピクリと動いた後、銃口の向きが私のこめかみから外された。それを横目に確認してから体を離そうとすると、今度は兄様が私の唇に吸いついて柔く喰んだ。
「えっ……」
 驚きに声を漏らすと、開いた唇の間から舌が入って来る。兄様の尖った舌が私の口の中を荒らす。無骨で硬い体と違って、濡れた舌は柔く熱く、溶けてしまいそうに感情的な口づけだった。男の方と手を繋いだこともない私はどうしていいか分からず、兄様に暴かれるまま身を委ねる。兄様が応えてくれるなんて思ってもみなかった。意図を読み取ろうとするけれど、想像だにしていなかった快楽の前に私の頭は敢え無く考えることを放棄した。
 とてもいけないことだとわかっている。親族相姦の罪は私の生まれる前に廃止された。それでも、殺人・食人に並ぶ人類の禁忌。異母兄妹、半分とはいえ血の繋がった兄妹なのだ。許されない想いだとわかっている。兄様の存在を知った時から焦がれ、初めて会った時に確信した。私はこの方と会うために生まれてきたのだと。肉親の情を知らぬこの方に、愛情を注ぎたいと思った。
 兄様のためになれるなら私は罪を犯す。私はそういう人間だ。清く正しい勇作兄様に憧れて、真似ようとしたこともある。天真爛漫に振る舞い「兄様」と呼んだ。でも、私は一線を越えられる人間だった。
「兄様……?」
 兄様の唇が唾液で濡れているのをぼんやりと見上げた。普段は覗くことができない興奮の乗った瞳を見ていると、身体の奥が熱くなって切なく疼く。この気持ちは墓まで持って行くつもりだった。兄妹の情を少しでも抱いてくださればそれで充分なはずだった。暴かれたのは私の欲だ。
「確かに、勇作殿とは違うようだ」
 私の表情を下目で見て微かに笑う兄様のそれが安堵なのか失望なのか、私にはわからない。
「兄様、どうして……」
「罪を犯すんだろ、今から。手伝ってやる」
 兄様は拳銃をホルスターに仕舞い込むと、引金の代わりに私の帯に指を掛けた。百之助さんと同じ罪を犯せる。その熱に抗う術など、私は知らない。



(2021/12/12)


あきゅろす。
無料HPエムペ!