■ Wonderful World □



 たとえばそれは鳥の卵のようだった。

 俺の周辺には膜のような何かが取り囲んでいて、そこから先は誰も中に入っていけない。入ることはできない。俺は殻に包まれてゆったりとまどろみ、里の人たちから受ける暴力とかさげすみとか、そういったものは殻の外だけの話だった。

 けど、ある時その殻が割れた。割ったのはカカシ先生。先生にはそういうつもりなかっただろうけど、殻を粉々にして中から俺を引っ張り出したのだ。

 世界はそれから一変。見るもの触れるもの全てが鮮やかな色を纏っていて、自分がどんだけセピア色の殻に閉じこもっていたかが分かった。

「だからさぁ、何もかもが新鮮で、すんげー綺麗なんだけどさ」

 雲の流れるスピードがゆっくりだったから、今日はあんまり風が強くないんだと思う。寝転がって見上げる青空はどこまでも広くてまぶしかった。

「だけど、何だ?」

 パチリと将棋の駒を打つ音が聞こえた。シカマルはお客さんの俺を縁側に放っておいて、自分は棋譜の本を読みながら何やら考え込んだ顔をしてた。

 折り曲げた座布団に頭を乗せたまま、横目でシカマルをじっと見る。眉間に刻まれた皺は深くて渋くて、年々シカクのおっちゃんに似てきてんなぁ、なんて思った。

(まぁ、血がつながってんだから当たり前だってばよ)

 目を閉じると空の青がまぶたに焼き付いていて、少しだけチカチカした。太陽にあっためられた空気が動いて俺の頬を撫でる。柔らかいその感覚が気持ちよくて、くふ、と変な笑い声が出てしまった。

「何笑ってんだよ、ナルト。話の続きはもういいのか?」

 薄く目を開けて視線を向けると、シカマルは棋譜通りに並べ終えたみたいで本を置いて将棋盤を睨んでいた。

 殻が壊れてから分かったことはいくつもある。たとえば、シカマルのこんな無関心な装いが、俺のためを思っての距離であること。面倒臭いと言いながらも、結局は俺や仲間たちを想って一肌も二肌も脱いでくれること。

 それらを知りもしないで、俺はずっと殻に閉じこもっていた。誰も中に入りさえしなければ一番安全で安心できる場所だったから、目も耳も感覚も塞いで手足を縮めて、小さく小さくうずくまって。

「っと、これは禁じ手だったな。そうすっとここは」

 パチリ。打つ手を休めないシカマルのところへ芋虫みたいにもぞもぞと這い寄って、胡坐をかいている太ももへ枕代わりに頭を乗せた。

「なぁなぁ、シカマル」

「んだよ、ナルト」

 シカマルの足は固くてあんまりいい感じじゃなかった。だけど、頭皮ごしに伝わってくる体温だけは気持ちよくて、俺はさっきと同じようにゆっくり目を閉じた。

「俺ってばバカだからよく分からねぇんだけど、カカシ先生、なんで俺のこと嫌いになったんだろうな」

「はぁあ!?」

 シカマルが思いっきり身動きしたせいで頭がずれ落ちる。下が畳だったせいでそんなに大きいダメージじゃなかったけど、俺はわざとらしく顔をしかめて痛い痛いとごろごろ転がった。

「おまっ、ちょ、どういうことだよ、それっ」

 将棋盤からいくつか駒が落ちてきて、動揺したシカマルの手が当たったせいだと分かる。けど俺はそれどころじゃなくて、痛い痛い言っていたらホントに痛くなってきて、じんわり目元を濡らしたしずくを慌てて腕でこすり取った。

(殻がねぇから、ハンパなく痛ぇってばよ)

 気づいたのは偶然だった。たまたま背中を向けた時、窓ガラスにカカシ先生の顔が映り込んだ。夜だったからガラスは鏡みたいに室内を映し出して、カカシ先生の表情もはっきり見えて、だから、分かった。

(カカシ先生、俺のこと嫌いなんだ……)

 視線をそらした一瞬、背中を向けた一瞬、それまで笑顔を浮かべていたカカシ先生の表情がストンと抜ける。けどそれは無表情とかそういうのじゃなくて、睨みつけるような燃える目で俺を見据えるのだ。

 物心つく前から里の人たちに嫌われていた俺は、そういう目で見られるのは慣れている。慣れているはずなのに、カカシ先生のそれは今までの誰よりも強くてきつくて。

 それだけじゃない。俺を抱きしめる腕がこわばるようになった。俺を撫でる手がためらうようになった。一緒のベッドで寝てくれたのに、俺の寝相が悪いからとか何とか言ってソファで一人休むようになった。

 気づいた途端、目にとまるようになった変化。表面上は前と変わらないのに、変わってしまったカカシ先生。殻の代わりに俺を守ってくれた人が、殻のない俺を傷つける。

「んだよ、そりゃ。お前の勘違いってことはねぇのか?」

 シカマルが俺の脇の下に手を入れて、ずりっと身体を引っ張り上げる。そうして、さっきと同じように膝枕をして、軽く肩を叩いてくれた。




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あきゅろす。
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