9
「鬼の血…か」
私にも流れているのだからもっと…もっと、望んでも良い筈だ。
力を望む、強く。
手に出来る以上を。
「……力があれば」
守りたい物があるのだ。自分と、自分を守ると誓いをくれた暖かい者を。
正体不明の射手に撃ち落とされた雪毛の天狐は今、自らが属する黄泉とも中津国とも違う異界にて焔爾と同じく静養している。
声を送れば返事は返るし問題はないと断じているが、傷を負って以来颯は姿を見せようとしない。
恐らく弱った様を晒したくないのだろう、鬼にも…主たる自分にも。颯はどうにも家長的な気質らしく、弱味弱音は見せようとしないのだ。
そう言う性分は自らにも心当たりがあるし、元は神格持ちであった颯の出自と矜持を思えば理解出来るのだが、やはり早く姿を見たい。
真実大丈夫なのだと傍らで聞かせて欲しい、会ってあの美しい毛並みに触れて安堵したい。
「颯…」
あの血溜まりに倒れた姿が脳裏に焼き付いて離れないのだ。思い出すだにぞっとする。もしあの時あの不可視の矢が、颯の心臓を射抜いていたならと思うと。
「無事なのか……」
その姿を見るまで、あの体温に触れるまで、そうと信じ切れなくて…ただ、会いたい。想って、六花は瞳を伏せた。
「兄様」
「…あ?」
横たわったまま生返事を返す焔爾に朱羅は薄い笑みを浮かべて、しゃらりと花簪を鳴らす。
自分に従順なようでいて、しかしいつだってこちらの意を汲まない主張をして来る妹を、焔爾はあまり傍に置きたがらない。
小首を傾げた姿は可愛いらしい中に蠱惑的な色が滲むも、しかしその唇が吐き捨てるのはいつだって劇毒だ。
だからといって脅威に感じた事もないが、信用にも足りない相手だと彼は妹を評している。
後継を放棄した以上、形の上では焔爾は最早朱羅より格下になるのだが、それでも妹は何くれとなく自分の元へ訪ねて来るのが不気味で、煩わしかった。
「何故あの生まれ損ないを庇い立てなさったんですの?あのクソアマ父様直々に斥候を命じられておきながら、しくじったんですのよ」
「…それは俺がしくじったのと同義な訳だが、お前俺を処罰したいのか朱羅、あぁ?」
皮肉気な冷笑で口角を吊った焔爾にぱちりと瞬き一つ、朱羅はやがてゆぅるりと愉し気に表情を綻ばせ、否と首を振る。
責めるつもりなど微塵もないのだと、台本でも用意して来たのかと訊きたくなるような芝居懸かった素振りで腕を広げ、朱羅は大仰に謳い上げた。
「ふふ…兄様を良いようにお仕置き出来るなら喜んで承りますが、しかし兄様を罰するなど出来ませんわ。兄様は確かに密命を果たされてますもの!」
お勤めご苦労様ですわ、と朱羅は焔爾の髪に手櫛を通す。微かに硬い髪質はするりとか細い指先を通して揺れ、ゆっくりと雫が滴り落ちて行く。
色深い葡萄色はまるで血の沼に浸すような擬似体験を味わえ、この髪に指を通すのが彼女の密かな喜びだった。
「兄様、私知ってましてよ…と、申し上げましたわ」
水気を含んだ束を手櫛で透きながら、朱羅は視線を落とした先で怪訝そうに目を細める焔爾の横顔に、満面の笑みを返す。
「…………」
「兄様ならば必ずやと確信していましたの、中津国にある四つの関…突破されたのでしょう」
疑問符を差し挟む余地などないその口振りに、焔爾は理解と納得と苛立ちとを同時に食み、冷めた眼差しを朱羅に向ける。
焔爾が父、緋耀に密命を受けたのは確かだ。朱羅の言う通りそれは中津国にある、彼岸と此岸を隔てる関…封じを解くと言う命。
伴立った六花は某かを察してはいたようだが、関の存在について教えていないし、恐らく朱羅とて父親から明かされた訳ではないだろう。
「…何処で盗み聞きしてたか知らないが、お前に話してやる事はない」
「まあ聞こえの悪い。私がそんなはしたない真似をするとでも?……言いますわねぇぇぇ兄様なら!」
あはぁ、と吐息を溢し恍惚とした笑みで見下ろす朱羅に沈黙で応え、焔爾は己の髪を弄ぶ掌を制し、睨め付けた。
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