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「ほれ着替えておいで」
面倒臭いです。
一瞬、反射的に脳裏を過った本音は飲み込む。表面上は殊勝に、しかしのんびりとはいを返した神夜は、促された通りに自室へと赴いた。
「はぅ…婆ちゃんも毎日よくやるよ」
ほしうら
どうせ星占するんなら、田舎に越せば良いのに。
襖を後ろ手に閉じ息を吐く。この都会の夜空でどれだけ星が見辛いかは、説くまでもないだろう。
しかし祖母が占いを専業に…特に星読みを日課としたのは確か、両親が他界してからの事だったか。理由は解らない。
「…あー明日部活朝練じゃん、稀然も道連れにしてやるー」
着替えを取ろうと、何気なく視線を上げた先。映った明朝の予定に、神夜の顔が微かに顰められる。よいしょと机上に重ねられた紙の束から一枚を抜き取り、神夜は筆ペンでざっと一文を走り書く。曰く───────
きぜん
稀然へ
明日朝練なんだよー
寒いし眠いし、僕だけ早起きとかやだから稀然も早起きして来ーい。決定ー。
「…かしこー、と」
文法も形式もあったもんじゃない、と自覚しながら、何故か文末をかしこで締め括り、神夜はその手紙で紙飛行機を折る。
かじり
そうして小さく神咒を呟いた。応えて宿る慣れた気配に、ふっと微笑を浮かべる。
せいらん
「頼むよ青嵐」
すが
清しい風が己を呼んだ声に応えて、ふわりと黒い髪を揺らした。そうして神夜の手を離れた紙飛行機は、そのまますい、と落ちる事なく風に乗り、高く昇って見えなくなる。
「さて…着替えるか」
半井家には固定電話がない。祖母の教育方針故、神夜は携帯もパソコンも持っていない。よって神夜の連絡手段は手紙か、彼らにとって古典的な方法しか、ない。
今回後者を選択したのは、正に言い逃げ。反論させるつもりがないからこそだ。幾分もなく届くだろう文に、親友が形容し難い仏頂面で怒りに震える姿を思い、ほくそ笑む。
あいふく
白基調の間服を纏う所作は手慣れており、彼が日常からこの古式ゆかしい衣服を常用しているのが傍目にも解る。
「どうせ来てくれんだから、諦めて怒らなきゃ良いのにな〜」
顰めっ面の親友は、なんだかんだ文句を言う為、早くに来るに決まっている。苦情を差し引いても、どうせ来るに決まっている。そういう律儀な性分なのだ。
帯を締めて裾を正すと、神夜は少しばかりの遅れを取り戻そうと、足早に廊下を駆けた。
縁側で一度、惹かれるように見上げた月が、常より随分近いような違和感を覚えて眉を寄せる。
何か…虫の知らせのような物を感じた…気がした。
「やな感じだなぁ…?」
白い、丸い…空にぽっかりと穴が空いたような月。何故か引っ掛かる、酷く冷たい心象。ギラギラと照り返る刃物に似た鋭利さを感じて、神夜は首を傾げた。
それが始まりの予感だったのだろう──────
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