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「おい生まれ損ないぼさっとしてないで用を果たせ、一番旨い酒注いで来い」

「…!」

 不遜に顎をしゃくる焔爾に促されるまま、酒蔵へ一目散に駆ける背中を歯軋りしながら見送り、朱羅は燃える双眸で憎々し気に唇を引き結ぶ。
 その内この妹は視線だけで獲物を射殺せるようになるのではないか、と半ば確信的な物が焔爾の脳裏に過った。

「…朱羅、あれは俺の小間使いだ、お前が処遇を決める資格はねぇよ」

「兄様…何故あのような卑しい輩を傍に据えているのです、兄様ならばもっと…」

「血の不味い奴に用はない」

 淀みない兄の即答に朱羅は憤慨するでもなく頬を染め、うっとりした様相でしなを作った。

「兄様ったらどうしてそう解り易いんです胸が高鳴りますわ!」

「その感覚が解らん」

 真顔で言い捨てた焔爾に、朱羅は感極まって艶かしく身悶える。何処か嬌声染みた高い声色を耳障りに思いながら、焔爾はもう興味などないとばかりに妹に背を向け、ごろりと畳に横たわった。

「はああぁぁあんっ兄様あああつれない素振りもお慕い申し上げますぅぅ」

 でもあのアマ気に入らねぇと低音で吐き捨て、反して愛らしい笑みを浮かべる朱羅。何とも器用な事だ。

 朱羅は焔爾の言う事に…それがどんなに理不尽で身勝手な内容であれ…基本歯向かう姿勢を見せない。だからこそたかが生まれ損ないを始末するのに、一々焔爾の許しを求めるのだ。

 六花が、焔爾の所有物だから。この名目がなければ朱羅はとうに指先一つ汚さず邪魔者を消している。
 本人は苦々しく表情を歪めるだろうが、この城において彼女の身を守る最大の防波堤は魁首の子息たる焔爾の名だ。






「…なんだろうなこの敗北感は」

 朱羅の脅威から逃れ…いや焔爾によって逃がされた六花は、重々しく息を漏らす。手を突いた酒蔵の土壁はひやりとして、早る鼓動を宥めた。

 胸にちらりと過った敗北感は朱羅に対する物ではない、元より純血の鬼と生まれ損ないとでは、勝負にならなさ過ぎて敗北も糞もないとすら思う。

「やはり弊害は増えるか…」

 ならばきっとこの感情は、自分自身へのそれだ。過日の戦いにおいて傷こそさして酷くなかったけれど、失くした物が最も大きかったのは考えるまでもなく彼女だ。
 おんぎょう
「隠形の効力がこれ程落ちるとは…私の力量が如何に矮小か、泣ける話だ」

 これまで彼女の身を守って来た防壁の一つ、破魔の武神たる陽炎の加護───────
 これにもたらされて来た彼女の十八番隠形の術は、自らに向けられる他者の認識を薄れさせる…知覚されない事で身を隠す術。

 その精度は他の追随を許さない文字通り神懸かった、完成された物だった。“目に映らない存在”と言う陽炎の験力の恩恵を受け、六花はこれまでの千年多くの場面で鬼の目を避けやり過ごして来られた。
 その加護を失い彼女の隠形は効果が薄れ、鬼の目にも留まり易くなっている。とても無防備なのだと自覚している。

 以前ならばそれこそ息を殺して朱羅が去るのをやり過ごしていたのに、今日は端から彼女の視界に捉えられていたのが良い証拠だ。
 所詮は借り物、紛い物の力、千年の積み重ねは決して実力なんかではなかったのだとまざまざ思い知らされた。

「…畜生」
 ほぞ
 臍を噛む程の焦れったさ、苛立ち。そんな物が渦巻いて腹の底に淀んでいる。

 消えてしまえと心底願った、それは今でも悔いていない。しかしそれ故に足許が覚束なくなった自身に、言い尽くせない不甲斐なさを感じる。

「……もっと…」

 強くなりたい…

 生まれ損ないと言えどか弱く儚い物になど成り下がらない、泥にまみれ砂を食んでも図太く生き抜いてやる。

 あの日自尊心と共に打ち砕かれた呪縛になど、決して縋らない。子供のように、いいや子供のまま…死にたくないとやはりそれだけを心が叫ぶのを聞いたから…



 二度と誰かに、あんな情けない泣き言を聞かれたくないから。




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あきゅろす。
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