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 ひたすらにどうでも良さそうな、無関心な声色で、態度で、言葉で、眼差しで。言葉と裏腹に雁字絡めな彼女の有り様を淡々と突き付けてやった。

「無意味だと言うならいい加減無意味な物として扱えるようになれよ、それに一番固執してるのも囚われてるのもお前だけだ」

 ばさりと視界が覆われると同時に、無味乾燥とした焔爾の台詞が突き刺さった。
     りょしゅう
 彼はよく虜囚と例えて馬鹿にするが、それが今程痛烈に堪えた事はない。

「…私、が…?」

「お前だけが、後生大事にそれを抱えている、だけだ」

 言い聞かせるような口振りは皮肉めいて、しかし論破出来る気がしなかったのは確かで。
           うちぎ
 落とされたのは恐らく袿だろう、寒さを苦にしない彼は羽織っていた己のそれで躊躇いもせず、雪に打たれ凍り付きそうな彼女の髪を拭っている。
 乱雑に濡れた頭を掻き回す掌は、愕然と言葉をなくした六花の様相に呆れた溜め息を残して止まった。

 覆われた薄闇の中で沈黙の合間に意味を反芻するも、理解を待たず彼は追い討ちとばかりに更に深くを抉り抜く。

「諦めろ」

 淡々としたその呟きに最早何を、とは訊けなかった。それは数え上げる必要もない程全てを、刃物のように自身の根源全てを断つ感情の薬であり、手段だった。

 千年忌避した毒薬を申し付けて焔爾は袿を取り払う。

「虚無は慣れれば救いなんだと」


 もう諦めろ───────

     わら
 くつりと嗤って唆す様は正に魔性のそれだ。鬼の中に在っては変わり者と称される彼もまた、その本質は紛う事なき鬼だ。

「諦めて空になれば楽だろうよ」
   みは
 目を瞠って彼を仰ぎ見るも、やがて居たたまれなくなる。自ら視線を落とし俯いた六花の胸中は、冷たく凍えた情と消えぬ欲の灼熱が入り交じりざわめく。

 恨み続けた千年の間に全て諦めようかと、そう思った事は幾百あった。苦しくて、もう良いやと投げ出したくなっては結局、心を手放す苦しさにまみれた。
 そして知っている、この憎しみを捨てた時、自分はただの骸になるのだと言う事。

「……嫌だ」

「何故」

 苦しくても、苦しくても。

「私はそれでも私でいたい…」

 苦痛は苦痛を生むだけで、そこに救いなどない事くらい知っている。諦めて手放した心の行き着く先は、悟りの境地のような無我でも救いでもなく、緩やかな崩壊だ。

 心を殺すのは結局自分自身の魂なのだから、それは単なる自殺的な自我の放棄に過ぎない、それっぽっちの手段だ。
 例え僅かばかりの魂と言えど、死んでなんかやらない。それが始まりの呪怨だから。

 諦めの果てには楽も救いもない、ただ勝者すら存在しない敗北に魂が屈するのみ。その泥沼に捕らわれたら最期、真実自分は死に絶えるだろう。

「……ふん」

 抵抗の意思だけは捨てない六花に、詰まらなさそうに鼻を鳴らす。焔爾は宛が外れたような、玩具を取り上げられたような、不貞腐れた子供染みた表情をして見せた。

「つくづく面倒な女だな。もっと馬鹿な女なら扱い易いのに」

「…焔爾」

 あからさまに悪態吐く彼を咎める口調で呼べば、やれやれと言った風情で瞼を伏せられる。
 いつか女に刺されて死ねば良いのにと内心毒吐きながら、六花は僅かに水気を帯びた葡萄色の髪を梳いた。

「湯を沸かそう」

「お前の湯はぬるい」

「…煩い、熱い湯に入りたいなら灼熱獄の釜にでも行けば良い」

「出向く方が面倒だ」
   ごくそつ
「……獄卒や鬼伯の咎めは完璧に思慮の外か…」

 呆れた彼女に不遜に口角を吊り、焔爾は気に留める程の事かと吐き捨てる。
 ふてぶてしいのは今に始まった事でもないが、この鬼伯の存在すら端にも先にも留めない振る舞いには、大いに既視感を抱かざるを得ない。

 例えば興亡激しい中津国の話が聞きたいからと、しょっちゅう牢獄へ忍び込んでは裁きを待つ亡者から現世の話を聞き出していた彼の父親とか、城主とか、頭領だとか。
 ああなんだ、どれも同じ方だったなと淡々と胸中で結ぶ。此方の制止を聞かず笑って城を脱け出していた城主の懐かしい姿を想起し、六花は目の前の息子へと重ねた。

 …嫌になるくらいぴたりと重なり、心底うんざりしてしまう。確かに焔爾にとっては、地獄の獄卒など怖れる物ではないのだろうが…

「焔爾…お頭に似て来たんじゃないか?」

「ふざけんな」

 しみじみ言う六花に本気で嫌そうに表情を顰めた焔爾は、多分絶対認めようとしないだろう。が、八人いる鬼の魁首の一角であるこの城の主、緋耀の子の内で、最も父親の気質を継いだのは他ならぬ彼だと思う。




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