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彼にとって自分の価値が如何程の物かなど理解しているけれど、本当に、ああやはりそれだけなのだなとか神妙に思ってしまう自分が薄ら寒い。
ふんまん
言葉にならない憤懣をぶつけてやるべきか否か瞬巡し…しかしやはり沈黙を選び全てを飲み込んだ。
彼は純血の鬼だから、自分とは異なる価値観を持ち、またそれを押し通せる力がある。そう最初から解っていただろうにと、ただ自身に言い聞かすより他ない。
…純血、か───────
眉を寄せ黙して見上げた鮮烈な原色は、自分には届かない域の力を顕す。幾ら手を伸ばしても声を嗄らして叫んでも、この手には入らない生まれ着いた物。
何故混血は生まれ損ないと呼ばれるのか。訊くまでもない程明瞭に、その差は歴然と横たわり超えられない溝を穿って、損なわれた血統を遥か下にせせら嗤う。
「……」
「…何だ?」
焼け付くような羨望の眼差しを受け止め、焔爾は涼しい表情で視線を返す。やがて嫉妬は虚しさに、無い物ねだりを自嘲して六花は力なく項垂れた。
所詮生まれ損ないは生まれ損ないだ───────
「六花」
二人の時にだけ…それは往々にして褥の中であるが、彼は悪戯に名前を呼ぶ。理由なんて知らない、しかし訊いたところでさしたる意味などないような気もする。
ただ己の名を呼ばれると、何故か言葉に詰まる。反応に困る。どんな表情をしたら良いのか解らなくなる。
嫌悪すれば良いのか、悲嘆を抱けば良いのか…何も感じなければ良いのだろうに、どうしてか胸の内がざわついて居心地悪いのだ。
それがどうしてなのかを考じるのも嫌で、六花はただ感情に蓋をして押し込める。しかし彼はいつだって酷く簡単に、不遜に、的確に、蓋の中身を溢れ返らせるのだ。
「雪の異称…悪くはない」
お前の血は混ざり物だし淡くて薄い、お前にはそぐっている。
「っ…」
「“六花”」
普段は生まれ損ないと呼ぶくせに、名前なんてどうだって良いくせに。
飽き足らず再び髪を弄ぶ彼に、沸々と不平が込み上げるのはきっと、母親に連なる何もかもを、一つ足りとも肯定されたくないという反発心だろう。
そんな彼女の心境を知っているのかいないのか、やはり笑って焔爾は言い捨てた。
「お前には、相応だ」
「………!」
至極当然に言って退けた焔爾に、眦が吊り上がるのを自覚して、六花は己の髪を手慰みにする彼の腕を払った。
ああ拗ねているな、と彼女の胸中を見透かし、焔爾は背を向けた痩躯を見やって唇を歪める。
何を言われても淡々と受け流す彼女をこうもむきにさせるのが、常にたった一人に起因している。それが彼には面白くもあり、つまらなくもあった。
「…結局お前は雪と名と、どちらが憎い」
「全てだ」
迷わず鋭い即答が焔爾の声を切って捨てた。雪の異称だと言う、ただそれだけを評したのであっても…そこに込められた意味を、意図を、まるごと認められるような言葉は癪だ。
馬鹿にしているのか見下しているのか知らないが、己の名前が好きではない彼女にしてみれば、彼の言は不愉快な物言いだった。
「こんな物…」
足許に踏み締めていた純白は、彼女の名前を意味する象徴、それ自体だ。
「私の名など…もう」
あなたの名前はね…
遠く朧な記憶の底に残る残響は穏やかで温かい、筈だった。この地に落とされるまでは、確かに。
「無意味な飾りだっ…人を許せなどと、笑わせる……!」
そそ
雪という字は雪ぐと読むのよ、罪を清め洗い流す事なの。だからあなたも人を許せる優しい子になって…って、ね?とても綺麗な名前でしょう───────
「何の意味もない…!」
ふざけるな誰が許してやる物か。
許して終わらせてなどやらない
流して忘れてなどやらない
どんな罪もなかった事になどならない。
意味などなくとも雪は降る、ただそれだけだ。
過ちはどう在ろうとも過ちだ、その罪はその身で贖え。
「…下らないな、居もしない人間の話は飽きた。お前の名を呼ぶのはもう、俺だけだ」
憎々しげに吠えた六花に焔爾は尊大な態度で顎をしゃくると、彼女が踏み締めていた物をぞんざいに蹴り上げた。
執念と言う盲目を、凝り固まった無垢な心を、過去に囚われた視野を切り捨て、彼女以上に踏み付けて砕いた。
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