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今も怪我を意に介さず、寝間着に袿を羽織っただけという軽装で極寒の庭に下りて来た焔爾に額を押さえ、六花は説教染みた苦言を呈すもその一切を綺麗に横へ流し、彼は好き勝手を貫いている。
「全くお前はどうしてそうふらふらと…」
「おい酒が尽きた、後で足して来い」
「このっ……ああもう知らないぞ私は!いっそ禁酒でもしろ治りが早くなるだろうから」
「随分そこに突っ立ってたろう?何かあるのか生まれ損ない」
「…っ」
お 前 の 耳 は 飾 り か !
思わず迸りそうになる物をぐっと飲み込む。終いには暇潰しのつもりか、彼女の長い香染を梳いて掬ってと弄び出す始末。
言って素直に聞くような相手でないのは百も承知なので、結局は処置なしとばかりに好きにさせるしかない。何と言うべきか…猛烈に頭が痛くなる男だ。
「何を見てた」
「……別に…」
説くのも面倒だとありあり浮かんだ面持ちで明瞭に返答しない六花に、焔爾は探るような視線を向ける。
「自分の名前と同じ物を見るのが好きか」
「馬鹿を言うな!」
や ゆ
揶揄を多分に含んだ声に即座の怒声で返すも、次の刹那にはもう、激した感情を抑え込んで彼女は唇を噛む。
その拗ねた子供に似た癖を、本人は果たして自覚しているのだろうか。
「こんな物……っ…いや、お前には無意味な…話か」
「…ふん」
理解出来ない物を一人噛み締め完結させる六花の髪は手触り良く、するりと指をすり抜け癖を残さず真っ直ぐに溢れる。
てなぐさ
手慰みに髪を弄んでいたその指で触れた彼女の頬は冷たく強張っていた。
焔爾にしてはこれしきの寒さで凍えるなど、どれだけ脆弱に出来た身体なのかと言った所だが、人の血肉が濃いとはやはりそういう事なのだろう。
「凍えるなら中に戻れ」
「……お前が言うか」
いささ
溜め息と共に促せば、些かばつの悪そうな表情を見せる生まれ損ないの少女との付き合いはもう随分と長いけれど、いつまで経っても彼女の本質は子供の性分を捨て切れず、ひねた幼さを変質させないでいる。
いい加減忘れてしまえば良い物を、苛烈な悔恨の妄執は彼女の性情を強固に捕らえ離さない。黄泉へと到ってもう千年以上の時を数えるらしいが、少女の内面は初めて彼女を抱いた時から変わっていない気がした。
こだわ
「………何を拘るのか」
「…?」
面倒そうな渋面を隠さない焔爾に六花は訝し気な視線を向け彼を窺うも、頭一つ高い位置にある猩々緋はただ冷めた光でこちらを見下ろしていた。
「戻るぞ」
焔爾は白塗りの景色など食傷だとばかりに廂の簀子へと腰を下ろし、行儀悪く胡座を掻いて頬杖を突く。
ひさし すのこ
同じ廂に逃れ彼に倣い簀子に座れば、隣に別の体温があるからか、気持ちばかり冷たさが和らいだ気にはなる。
「よくもまあこんなつまらない物を眺め続けてられるな」
「だから、お前が言うか…」
床板が濡れるのも手間だなと、六花の髪に積もる雪を払いながら淡々と呟く焔爾に、彼女は呆れた声音を返す。
「お前だって寝起きは飽きもせずよく眺めていたように思うが、こんなつまらない物を」
「それはお前が俺に見向きもせずにいるからだ、自分を抱いていた男を放って何を見詰めてるかと思えば…他の男ですらなく雪だからな。良い度胸だ……なあ?」
い ろ
色情を匂わせる声色で笑って焔爾は啄むように六花の耳朶を食みつつ、鼓膜へ直に吹き込み囁く。
「そん、なの…は…」
「何かとこうして白くまみれてるのは…雪に抱かれてイキたい願望か?なあおい…」
明け透けな物言いに鼻白み絶句した彼女をしてやったりと嗤い、彼は満足気に双眸を細めた。下世話な物言いを嫌う六花の表情がうっすら険を帯びるのが小気味良い。
訳も解らぬ恣意に浸るくらいなら、此方の事にだけ思考も手間暇もかけていれば良いのだ。気儘に寝床を抜け出す怪我人にせいぜい頭を痛めて苦心すれば良い、そうすりゃ少しはそんな詰まらない顔を見ずに済む。
「…本当に最中しか可愛気のない、余韻も解さないのは女としてどうなんだ?」
「う、るさい、私は他の連中とは違う…そんなのはお前にすり寄る女に言え」
「血が不味い女に用はない」
「、」
ばさりと断じた焔爾に六花は、羞恥とも苛立ちとも知れない形容し難い感情を覚え、唇を戦慄かせる。
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