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「私が…殺した。私が……ろした…!」
『あの娘は、鬼の血と私の加護に守られた子供。望みをかけられる唯一の子供…』
ただびと
唯人ではそうは行くまい。己を責め苛む巫女を慰めるように、努めて穏やかに女神は言う。誰より痛切に生きて欲しいと願っている、一人の母親に過ぎない女の為に。
「私は…ただ愛する者を殺す事しか、出来ない…いつも何もっ…出来ない!」
『巫女よ、夜の扉は封じられた。もう鬼と戦う必要もない。あの娘は…こんな事の為にでなく、生き抜くだろう』
「生きて…」
生きていて。
私を憎んで、それでも生きていて。
あなたの命はあなたの物。
だから生きて、あなたの心を守る為。
何よりあなたが生きる為。
「生きて…ぇ」
泣いて泣いて泣いて、咽びながら願うのは一つだけ。悲痛に啜り泣く声は、静まり返った夜闇に尾を引き、か細く残響を醸す。
その余りに悲惨な姿を、有り様を覗き見ていた一人の男が、戦慄きながらその場を逃げ出した。
きじょ
「ぉ…鬼だ、鬼女だあれは…」
彼は目撃した。女ががんぜない子供を闇に喰わせる様を。不可視の化生を傍らに、言葉を交わす様を…
そんな事が出来るのは、都でも高名な術者や同類である鬼だけだ。
「化け物だっ…!」
うわごと まろ
譫言のように繰り返し転びながら、男は夜道を駆けて行った。そしてこの男こそが、近い将来巫女を殺す要因となる事を、巫女も女神もまだ…知らずにいた。
「どうか…どうかお願いだから」
あの子を守って。殺さないで。
数多の異形を退け、鬼を祓った巫女だけれど、紅葉も元はただの人の子だった。最初から神に仕えていたのではない、信仰心を持った唯人でしかなかった彼女は、誓いを立てて女神の加護を得た、後天的な存在だった。
彼女は大切な者の為に、同じだけ大切な者を討った、苦渋と後悔をその始まりに持つ巫女であった。そして、同じ後悔を今また繰り返してしまった、憐れな女だった。
「…あなた…」
もう呼ぶ事の叶わない名前を胸の底に沈めて、彼女はふらふらと頼りなく立ち上がり、夜桜散る社を離れた。
心だけはそこに残して。
いくばく
そうして幾漠か後、鬼女 紅葉が討伐されるのだけれど…
それは最早遥か彼方遠い霞、記憶ではない記録。歴史と言う堆積に差し挟まれた一片になり得ている。
そんな歴史の断片を、血脈として継ぎ続けている者達。同じ祖を持つ後継達が、長い時を超え、相対する事になる。
時は現代、東京都であった───────
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