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 母は自分を疎んでいたのかと、気付いたところでもう遅い。ここには己の身を守る物も、生かす者もありはしない。
 ただ、ひたひたと忍び寄る怖気に屈し、飢えて死ぬのか渇いて死ぬのか。狂い死ぬのか怯え死ぬのか。それだけなのだ。

 力ない幼子の末路は、この常闇の世界で一人きり────


「やだ…」

 こわい

「いやだ…」

 恐い

「死にたくない…」

 怖い



「死んで…まるか…!」
        じ だ
 刹那、子供の耳朶に響いたのは、水晶を砕いたような高い音。それと同じく無明の闇が砕け、ぱっと視野が生じた。
 そして童女は初めて、その冥暗の世界の…真実の姿を目の当たりにする。

 吹き荒ぶ凍てつく風に混じって、何処からか断末魔の悲鳴が谺する。化け物のおぞましい嘶きがする。爛々と輝く鬼火が踊る。

 そこは…ここは地獄だ。魑魅魍魎が跋扈する、異形や鬼が覇権を握る、黄泉の世界───────

「…っ…」

 やはり見殺しにされたのだ、私は。

 この世ならざる者として。生きながらに、死霊や亡者の成れの果ての同類として、この死者の世に封じられた。

「死んでたまるか…っ」

 それならば生きてやる、生き抜いてやる。思い通りになんかなってやらない。死んでしまえと言うならば、例えここが地獄だろうと、殺されてなんかやらないのだ。

 この命が、凍てつく焔を抱く限りは。
 この心が、願う限りは。
       えんさ
 幼い胸の内に怨嗟の念を燻らせ、彼女は決意した。人の魂を捨てても、心が朽ちて鬼になっても生きて行くと───────





『…ああ』

 神域を彩る薄紅がざわりと吹き荒れる。その根元に蹲り、両手で顔を覆う女の口から、擦り切れたような悲嘆が零れて行く。

「…なんて事を…!」

 我が子を闇に突き落とす、その恐ろしい所業を嘆く涙は、止めどなく銀露と滴り、袖を染めた。髪を掻き乱す程に頭を抱え、背を丸めた姿は、途方にくれる迷子のよう。
 かげろう
「陽炎…私は我が子一人、救う事が出来ないの…!」

 しとどに泣き濡れる女の傍らに、淡い光と空気の揺らぎが生まれた。透かした景色を微かに歪曲させる、その透明な揺らめきは応える。
 れんびん
 憐憫の滲んだ…それでも尚美しい声で。

『こうするしかなかった…』

「そうよ、こうするしかなかった!だって…だってどうして我が子を殺せると言うの!? 出来る訳ない!!」
 れいろう
 玲瓏な響きに噛み付いた女は、長い黒髪を振り乱し、憤怒をたぎらせ、叫ぶ。

「殺せなかった…!あの子を殺せる訳…ないじゃない…っ」

 どうしてもどうしても、あの幼い身体に刃を突き立てる事も、首を絞めくびり殺す事も、恐ろしくて悲しくて、出来やしなかった。

 だからこうするしかなかった。あの子を鬼に差し出すしか、扉の向こうへ放り出すしか。
 子供の中に眠る鬼の力は、女の手には負えなかった。女神と通じる巫女である彼女にでさえ、浄められなかったから。
       へいげい
 恨みがましい睥睨に、理不尽な現実への憤りを乗せ声を荒げた巫女は、傍らの揺らめき…陽炎の女神を仰ぎ見、全身で吠えた。

「あの子は私の全てだった…!」

『…生きるかも』

 心を決めて及んだ筈の所業だった。しかしそれでも、胸を抉る悲哀に我を失くして取り乱す、己の巫女の激昂を咎める事なく、光の揺らぎは応えた。一欠片の温情と希望を寄せて。

『あの娘なら生きるかも。あの世界でも…生き抜けるかも知れない』

「陽炎…私の娘を異形呼ばわりするの?あの子はただの子供よ…っ」

 優しい愛しい娘だった。異能の母親を疎む事も恐れる事もなく慕って、文句や不平の一つも言わず支えてくれた賢い子。
 心痛に負け、消沈している自分の手を引いて、月を見ようと慰めてくれた、心の優しい子。


───────なのに…




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あきゅろす。
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