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 そうして月が巡り太陽が天頂を通り過ぎた頃…


「奴らに動きはないのか」

「ない」

「掻い潜られてないだろうなぁ?」

「…ない」
  や ゆ
 揶揄を多分に含んだ焔爾の口振りに眇目で返して、少女は色の薄い髪を掻き上げる。はらりと微風に攫われるそれは、微かに花の香をさせた。

「お前は何をしていた焔爾?」

「野暮な女だな、俺は鬼だぞ。そこら中に人間がいるなら少しばかりつまみ食いしたって構うかよ」

 くつりと牙を覗かせる嗤いで焔爾は尊大に顎をしゃくった。示された先には何も知らない人間が有象無象に道路を渡り、街並みに沿って蠢いている。
 確かにあの中の何人かが消えたとしても、それで支障があるようには見えない。しかし少女は賛同も非難もせず、じっと人混みを見やるばかりだ。

「喰いたければお前も喰えば良い、一人二人くらい見逃してやるさ」

「…いらないあんな物」

 血が穢れる。とは言葉にせず少女は淡々と彼のせせら笑いに返した。

「あぁ…お前が喰うのはアレだけか。あの中にお前が気に入るようなのは……確かにいないだろうなぁ」

「どうでも良い事にばかり回る口だな」

「お前の舌には負ける」

 よく回るだろうなどと、先程からの遠回しな暗喩に神経を逆撫でられ、少女の双眸がより険しい物になる。その様を愉しんで彼は更に笑みを深めた。

「これが終われば好きなだけくれてやるさ、餓えたまま待ってろ」

「……下世話な男…」
          へいげい
 少女のじとりとした睥睨を軽く流して焔爾は彼方へと目を向けた。その鮮やかな髪がそよぐのを何とはなしに見やりながら、少女は重く口を開く。

「焔爾」

 彼女の眼差しは真っ直ぐに彼の背中を射た。

「その手傷はなんだ」

「、」

「…何をしていた?」

 一瞬虚を突かれたように見えた横顔も、振り向いた刹那にはもう皮肉めいた笑いに摩り替わる。
 焔爾がそれなりに長い付き合いで彼女を理解しているように、少女もまた同じだけの時を経て彼を見て来たのだ。

 少女は、彼がお題目である筈の異能狩りを差し置いて別行動している訳を、薄々勘付いていた。焔爾は何か…生まれ損ないなんかには任されないだろう、密命を担っている。そう確信を持っている。

「私なら気付かないと思ったのか?見くびるなよ」

「…面倒な女だな」
          え び いろ
 ぐしゃりと乱雑に葡萄色の髪を掻いて、焔爾は微かに表情を歪めた。

「何があった」

「お前は知る必要のない事だ」

「…………」

 それはそうだろう、だからこそ密命なのだ。しかし訊いているのはそこではない。
 一体何が、焔爾に手傷を負わせるなどという芸当を成し遂げたのかという事だ。




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