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「…退こう颯」
上官にあたる焔爾に離脱を言い渡されてしまった以上、独断で奇襲をかける事は出来ない。成功したとしても責められるのは絶対に自分だ。
黄泉に控えている老幹部らは生まれ損ないが逆らったなどと、無闇に騒ぎ出しかねない。
彼らは生まれ損ないを虫より取るに足らないモノだと思っているし、それでなくとも少女の立場は彼女自身も知らない、思いも寄らぬ形で危ういところに立たされている。
鬼としてしか生きられない彼女にとって、自ら薄氷を踏みに行く真似は避けたいのが本音だ。しかし、と少女は唇を噛む。
「解せない」
あの覡と混血の関係はなんだ。本来ならば敵対すべき殺し殺される存在であると言うのに、彼らはまるで互いが同じように生まれ着いた同志かの如く結び付いていた。
混血は覡を守り、覡は混血を蔑むでもなく利用するでもなく、共に在った。何故だ?
「…あり得ない」
あの混血には最早人喰いの本能さえないのかもしれない。そうなら解る、そうでなければ人の世で長じて生きられる訳がない。殺されない訳がない。
きっとそれだけだ。あの混血の血は生まれ損ないとも呼べない、人の子同然の無力な物なのだろう。
自分とは違う、生い立ちも環境も決して同じなどではなく…また同じ者である筈がなかったのだ。
「………」
噛み締めた箇所から鉄の味がして、少女はゆっくり瞼を持ち上げた。
『主よ』
「ああ」
薄く開いた唇から返事と共に鮮やかな雫が零れた。それを無造作に拭い取り、彼女は雪色の獣に跨がる。眼下の結界から滲み出るのは邪気を退ける神の力の片鱗だ、恐ろしく気分が悪い。
何よりそれが自分のよく知る力である事が、この上なく不快だった。胸にせり上がる嫌悪感に顔を顰める主人を視界の端に、狐は改めてその障壁を見下ろす。
『…陽炎』
「ああ、あの女と同じだ」
少女が鬼へと至った最大の要因は血と、母親の裏切り。今も心に刻み付けられている悲痛な記憶が頭をもたげるのだろう。
その母親が帰依していた陽炎の武神の力が、色濃くそこに漂っている。それは確かに主の神経を逆撫でるだろうと得心して、颯は素知らぬ風情で矛先を逸らした。
『ふむ…我々と接触した以上、覡も逃げ隠れて人間をむざむざ犠牲にする事はあるまい。必ずや立ちはだかって来るだろう』
あの覡は陽炎と縁ある者だ。鬼を祓おうとするならば、かの武神に助力を乞うのは目に見えている。
鈍色の双眸を細め、雪毛の巨体は夜闇を跳んだ。虚空を突っ切る白影をよく似た色の月が照らす。
同じ頃…いずことも知れない廃れた石塚が一つ、砕かれていた。
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