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バーミリオンヒュー


 夕暮れを橙に描く者は多いが、実際橙の夕暮れはない。橙から緑に、時には橙ではなく紫と赤などという夕暮れもある。
 あの日に見た夕暮れには、薄橙に黄や桃や緑が差していて、宗教画のような美しただった。あるいはある映画の、強力な爆弾が遥か上空で爆発した時のような。どちらにせよ、非現実的だった。

 朝焼けを眺めながら、雲雀はそんな事を考えていた。

 あの日、ディーノの自宅へ招かれたあの日。雲雀は相談と言うより、ディーノの考えや胸の内をひたすら聞かされて終わった。何故だか分からないが、それから毎日雲雀は胸がむかむかしている。
 ディーノを見ると、あの日彼が見せた瞳の輝きが蘇る。酷く綺麗だった。また見たいと思わせる瞳。陽に透かしたべっこう飴のような、懐かしく、それでいて妙に興奮させられる瞳である。誰かの瞳にここまで引き込まれたことは、今まで雲雀には無かった。
 どうしてまた見たくなってしまうのか。
 夏の輝く川のようだと雲雀は思った。思ったより流れが早く、一瞬にして捕らわれてしまった。重要なのは、まだ飛沫を上げることが出来るか、ということだ。沈んでしまっていたら、それこそ抜け出せない。
 もう日が大分登ってしまったのを見ると急に思い出したように暑さを感じ、雲雀は部屋へ引き返した。依然としてむかむかは増すばかりだった。





「恭弥?」
「…何でもない」

 夏休み前で皆どことなく浮かれている様子だが、雲雀は別である。勿論、ディーノは浮かれきっている。
 昼食を誘いに来たいつにも増してだらしない表情のディーノと顔を合わせるなり、彼の目をじっと覗き込む。が、あの日のような輝きはうかがうえなかった。


「なあ、今度恭弥が描いてるとこ見に行っていいか?」
「…?」

 中庭へ行く途中にある冷水機で水を飲んでいると、ディーノがそう言った。

「恭弥がどんな表情で、どんな絵を描いてるのか見たい」
「どうして?」

 いまいち理解出来ず首を傾げると、ディーノは困ったように、うーんと、などと唸って頭を掻いた。彼の後ろを一年生がバタバタ走って通り過ぎていった。

「人が絵を描く姿を見るのが好きなんだ」

 階段を下りて行く人々の様々な足音が聞こえる。ばたばた、とんとん、どんどん、ぺたぺた。

「なんでだと思う?」

 中庭の階段近くのベンチに座っておにぎりにかじり付いた雲雀は、急に話を向けられて驚いた。飲み込もうと噛み砕いているうちに、再びディーノが話しだしてしまった。そもそも雲雀の話は聞く気はなかったようだ。

「絵を描いている時って、無心になるだろ? 俺はその瞬間の表情を、『素情』って名付けた」
「なにそれ」

 聞いておきながら答えさせなかったことが癪にさわったので(名付けの行が下らなかったのもあるが)、雲雀は冷たく言い放っておにぎりをあらたに頬張った。

「大体、『素性』はそういう意味じゃないよ」
「その『すじょう』とは漢字が違うんだよ。ほら、素顔の素に、表情の情」
「…へえ」

 段々面倒くさくなってきた雲雀は、もうへえとかふうんとかしか言わなくなった。ディーノが書いて説明した『素情』の下手くそな漢字を、気怠そうな目で眺めている。
 そこからは適当に相槌を打って、襲ってくる眠気と戦っていた。





「……なにこれ」

 放課後の予備校も終わり、電車を待つ間に携帯を開いた雲雀は愕然とした。あるメールに驚いたのだ。そのメールの差出人欄には、何度も受信したことはあれど一度も送信したことのないディーノのアドレスが表記されている。
 『いつなら見に行っていい?今度は返事くれよ!』の文の最後に、『(`・ω・´)』の顔文字がついている。

「…」

 そもそもなぜ見に来る事になっているのか。了承した覚えのない雲雀は記憶を辿るも、やはり分からない。
 もしかしたら、もしかしなくても、適当に相槌を打って受け流したあの時かも知れない。今更ながらに、自分の行動が悔やまれる。

 なにが(`・ω・´)だ。ちっとも可愛くない。と心の中で悪態をつきつつ、諦めて返信ボタンを押す。
 見に来るのなら、雲雀しかアトリエにいない時が良いだろう。部外者がいては、皆気が散ってしまいそうだ。あの派手な外見の金髪では尚更である。

 少し考えて、日曜日にまた特別にアトリエを開けてもらう予定だったのを思い出した。雲雀は一度も送信したことのないアドレスに、ボタン一つで電波を送った。


『今度の日曜 13時から 4F』


 鮮やかな橙の夕焼けが、駅にいる人々を一色に染めている。自分もその中にいるのが、何故か心地良かった。それは母の胎内のようだと、雲雀は思った。



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あきゅろす。
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